僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 「人間の証明」や「飢餓海峡」や

2008年09月15日 | 映画の話やTVの話など

アナザービートルさんのコメントに「人間の証明」のことが書かれていた。
角川春樹が「犬神家の一族」に続いて世に出した映画だった。
昭和52年に封切られた映画で、「砂の器」の3年後の作品である。

実は昨日「砂の器」の話を書きながら、映画「人間の証明」のことを思い浮かべていたので、アナザービートルさんのコメントを見て驚いたのである。2つの映画は、それはそれは、よ~く似た映画なのだ。

「人間の証明」は、僕から見れば、「砂の器」の二番煎じであり、二匹目のドジョウを狙ったものであった。角川得意のTVでの宣伝作戦により、興行成績はよかったかも知れないが、映画としては単なる娯楽作品にとどまっていた。ストーリーに必然性が欠け、説得力が薄かった。

「キスミー」という言葉から「霧積」が割り出され、「ストロハ」という殺された男の最後の言葉から「ストローハット」と結びつき…。タクシーの車内からは、殺された男が忘れたと思われるボロボロの『西条八十詩集』が発見される…。

なかなか面白そうな出だしだったけど、NYロケなどを敢行したわりにはあまり印象に残るようなところのない凡作であった。

しかし映画はともかく、何といっても大ヒットしたのは、当時、毎日毎日テレビCMで流された映画の宣伝文句である。これを知らない人はいないほどであった。

  母さん、ぼくのあの帽子、どうしたでしょうね
  ええ、夏、碓井から霧積へ行くみちです
  渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ

そのナレーションとともに、麦藁帽子のような形をしたホテルが映るのだが…。
このフレーズと主題歌だけが先行し、それだけで有名になった映画である。

フレーズと主題歌が良かったわりには、映画本体は、あまりに偶然のシーンが多すぎて、がっかりした。刑事役のハナ肇と松田優作のコンビも不自然過ぎ、松田優作は独特の存在感を示していたが、映画の流れに溶け込んでいなかった。ハナ肇にいたっては、単なるトンマ刑事であった。「砂の器」の丹波哲郎・森田健作の絶妙の呼吸には、はるかに遠く及ばなかった。

「砂の器」は、「宿命」を背負った父と子の物語だった。
「人間の証明」は、「宿命」を背負った母と子の物語だった。

「砂の器」では、人気絶頂だった天才ピアニストの加藤剛が、突如目の前に現れた自分のいまわしい過去を知る男を殺害する。「人間の証明」では、人気絶頂の女流デザイナーの 岡田茉莉子が、これもいまわしい過去につながる自分の息子を殺害する。やっとつかんだ栄光から、再び過去へ引き戻されようとする恐怖と苦悩。そのあげくに罪のない人を殺害してしまう主人公…。

このパターンで、僕がこれまで見た映画の中でも最も印象深いものの一つとして、少し古いけれど、水上勉原作の「飢餓海峡」を挙げることができる。

昭和40年に内田吐夢監督、三国連太郎主演で映画化がされた。
僕は、昭和44年の自転車旅行のとき、函館から下北半島へ向かうフェリーの甲板に立って、海の景色を眺めながら、この映画のことを考えていたことを思い出す。

「飢餓海峡」の主人公がこの海峡を小舟でわたり、下北半島の仏ヶ浦の絶壁にたどり着く場面が、鮮烈な印象を残していた。

その男、犬飼(三国連太郎)は北海道で起こったある事件に関わって追われる身であった。ひとりでボートを漕いで函館から下北へわたり、仏ヶ浦の断崖絶壁でボートを焼いて逃走する。そして、下北の花町で純心な娼婦八重(左幸子)と知り合った犬飼は、一夜で彼女に惹かれ、事件で得た大金を渡して姿を消す。その大金のおかげで自由の身になれた八重は、東京へ出て生活をはじめる。

数年後、八重は偶然に、忘れ得ぬ恩人である犬飼の顔を、新聞で発見する。
京都府に住む名士が、大金をどこかへ寄付したという記事の内容だった。
その名士は、名前こそ犬飼ではなかったが、写真の顔はまぎれもなく彼であった。
八重にとっては、1日たりとも忘れることのなかった懐かしい恩人の顔であった。

八重は犬飼に一目会って礼を言いたい一念で、京都府へ行く。
そして犬飼の住む豪邸を訪ねる。現れたのは、間違いなく犬飼本人であった。
犬飼は地域で有数の資産家になり、地元の著名人として名声を得ていた。
八重は涙を流し、かつて下北の花町で大金を頂戴したお礼を言う。
犬飼は八重に「私ではない。人違いだ!
」と言いながら、戸惑い、狼狽する。
いまわしい過去を葬り、名前も変えて生まれ変わり、地方の名士として成功した今、八重の出現は、そのまま過去の北海道での犯罪の露見につながってゆく…。

ついに犬飼は、八重と揉み合った末に殺してしまう。
死体となった八重の所持品から、新聞の切抜きが出たことで犬飼は逮捕される。
そして、過去の北海道の事件が発覚し、彼は北海道へ護送される。
函館が近づいてくる津軽海峡で、犬飼は船の上から身を躍らせて海に飛び込む…。
物語は、冒頭とラストでこの海峡が舞台になっていた。

この「飢餓海峡」は小説、映画ともに強い感銘を受けた。

「氷の華」から「砂の器」を思い出し、そこから「人間の証明」を連想し、さらに「飢餓海峡」にまで思いを馳せた。

昔の映画を再び見たり、思い出したりするのは楽しい。

気持が若返ったなあ~という感じもするし、でもその反面…、

「昭和○○年の映画」と聞くと、年取ったなあと思ったりもするけれど… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (9)
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