僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

米倉涼子と 防災訓練と ピーター

2008年09月14日 | 映画の話やTVの話など


9月某日

1週間前の土・日曜日に2夜連続で放送されたミステリードラマ「氷の華」を、ビデオに録画していたので一挙に見る。米倉涼子主演。見応えのあるドラマだった。

主人公は人気ピアニスト。小学生の頃、両親がおぞましい事件で亡くなり、病院などを経営する金持ちのおじに引き取られて育てられるが、そのおじが車にひき逃げされて全遺産を相続することになる。医師である夫(堺雅人)は院長におさまる。
(後で、ひき逃げ犯人は夫であることが判明する)

ある日、彼女(米倉)に見知らぬ女から怪電話がかかってくる。夫の子を妊娠しているという。医師である夫から不妊症と宣告されていた彼女は衝撃を受け、その女性を毒殺することを計画し、トリックを使って実行する。しかし、それは、夫と、夫の別の愛人とによる罠で、彼女を凶行に走らせるための謀略だったのだ。彼女が毒殺した女は、夫とは無関係の看護師だった。夫の本当の愛人は、彼女もよく知っている友人の高岡早紀だった。看護師毒殺事件は、当然、実行犯である主人公の彼女に嫌疑がかかるが、新たな証拠が出てきて、夫と愛人の犯行との見方も警察では強まり、しかも夫と愛人はそのあと、遺書を残して毒物による心中をしてしまう。実は、夫と愛人を服毒心中に見せかけて殺したのは、2人の関係を知った彼女であった。夫の遺書を偽造したのも彼女だった。そして彼女は証拠不十分で無実となった。完全犯罪が成立したかに思われた。

しかし、舘ひろしと、ともさかりえの刑事コンビが、この事件の真相に迫り、主人公の米倉涼子を追い詰めていく。そして、ついに動かぬ証拠を見つける。

ラストは、主人公の米倉涼子のピアノコンサートの場面。弾き終って万雷の拍手を受けている会場へ、舘ひろしとともさかりえが入ってくる。そこで、ドラマが終わる…。少々中だるみはあるが、最近では最も面白いミステリードラマであった。

ただ、気になったのは、映画「砂の器」(昭和49年・松本清張原作)とそっくりな作り方であったことだ。「砂の器」は、僕が日本映画史上ベストワンだと思っている作品で、僕はこの映画をこれまで何回見たかわからない。

「氷の華」の冒頭、母親に連れられて小学生の主人公が海へ入水しようとするシーンがシルエットで映し出され、音楽が流れる。そのシーンが、「砂の器」の父と子の巡礼シーンとダブり、また音楽が「砂の器」のテーマ曲とそっくりだったのである。米倉涼子が、ある劇場のポスターで高岡早紀の存在に気付く重要な場面も、「砂の器」の丹波哲郎が映画館に掛っている写真で犯人の手がかりを見つける場面とよく似ているし、特にラストシーンは映画の場面そのままであった。

「砂の器」の犯人は人気ピアニストの加藤剛だった。米倉涼子も人気ピアニスト。刑事役は映画では丹波哲郎と森田健作のベテランと新鋭コンビ。これが今回は館ひろしとともさかりえのベテランと新鋭コンビである。「砂の器」では、ラストシーンで、逮捕状を持って丹波・森田の2人がピアノコンサート場へ行く。加藤剛が、ピアノを弾き終え、万雷の拍手を浴びる。そこで映画は終わる。

今回の「氷の華」も、米倉涼子がピアノを弾き終え万雷の拍手を浴びているところへ、舘ひろしと、ともさかりえがやってくる。そこで、ドラマは終わるのである。

ちょっと似すぎているように思うのだけれど。

それでも、米倉涼子の演技は素晴らしかったなぁ。

新聞評などでは、「米倉は唇が微妙にゆがみ、見事に悪意が顔に張り付き、今後の仕事が心配になるほどだ」と書かれていた(むろん、演技をほめているのだ)。
これからも、こういうミステリードラマが増えたらうれしい。


9月某日(土)

平成20年度防災総合訓練に出席する。毎年、恒例である。場所は大和川の河川敷。
出席といっても、僕はテントの中の椅子に座って眺めているだけだ。
訓練に参加するわけではない。

地元の消防団による、災害の情報伝達訓練。
町会や警察、地元企業などによる避難誘導訓練。
自衛隊による被災者の救出訓練。
自主防災組織によるバケツリレーと消火訓練。
水道の復旧や給水の訓練。
郵便事業(旧の郵便局)による救援物資の配達の訓練。
消防隊による消火訓練、など、など、いろいろと眼前に展開される。

そこへヘリコプターが飛んできた。
災害に遭い孤立した人を、ヘリで引き上げて救出する訓練である。
きょうの訓練の最大の見ものであり、堤防の一般観衆も身を乗り出している。
轟音を響かせて目の前にヘリが降下してきた。そのときだ。

「うわっ!」と、テントの下にいた僕たちは一斉にのけぞった。
空中で浮いたままでヘリからロープがおろされ、人が引き上げられていく訓練なのであるが、そのとき、プロペラが巻き起こす突風のため、河川敷の砂が、前が見えなくなるほど嵐のように舞い上がり、テントの最前列にいた市長や議長や消防長や府会議員や警察署長、2列目にいた僕たち、3列目にいた町会のお年寄りたちのところへザザザザザ~と降りかかってきた。それが3~4分かあるいはそれ以上と思われる間、続いた。目も開けていられない。砂が舞いっぱなしである。僕らはヘリに背を向け、身を縮みこませ、顔を手で覆い、口と鼻にタオルを当て、息もできないほどの苦しい体勢でじっと砂塵の収まるのを待った。

やっとヘリが飛び去ったとき、周りの人たちを見ると、砂だらけであった。
前にいた市長や議長の頭は真っ白けで、服やズボンも砂まみれ。
メガネをかけている人は、それも真っ白け。背中の中まで砂が入っている。
後ろに座っていたお年寄りたちは、しばらく身動きも出来ないほど固まっていた。
僕も、口の中はジャリジャリ、耳の穴まで砂が入り、もちろん服やバッグは真っ白けだ。こんなに大量の砂を全身に浴びたのは、うまれて初めての経験であった。

去年の防災訓練は雨上がりで行われ、テントの上に雨水がたまっていた。
そこへヘリがやって来て、風圧でテントの水が竜巻のように舞い上がったあと、強風にあおられて、僕たちはその水をモロにかぶり、びしょ濡れになった。今年はいい天気だったのでその心配はないだろうと油断していると、今度は砂の嵐であった。やれやれ…。
「砂の器」は何度見てもいいけれど、「砂の嵐」なんて、二度といらない。

それにしても、すごいのなんのって。
映画なんかで見る砂漠の「砂塵」というのが、こんなんだろうなあ。
おかげで、訓練の様子など、誰も見ていなかった。


 
     
      ここから 凄まじい砂塵が 巻き起こった

 

最前列の席にいた消防長で友達のエノさんが、
「いや~、ひどかったですねぇ」と、砂をはたき落としながら
「ところでのんさん、今度あのヘリコプターに乗りませんか? 管内防災視察の一環として、年に何度か地域の上空を関係者を乗せて飛ぶのです。どうです?」

ほんまかいな…?。
ヘリコプター…なあ。
落ちたら、どないすんねん。


防災訓練は昼に終わり、昼過ぎに帰宅し、さっそくシャワーを浴びた。
そのあと、妻とモミィと3人で回転寿司に行く。
キリキリと冷えたビールがとてもうまい。
しかし寿司をほおばると、口の中がまだ砂でジャリジャリするみたいだ。

シャリよりジャリかぁ…。シャリにもならんわ。


夜8時から、テレビのNHK衛星第2で、「日めくりタイムトラベル・昭和44年」という番組をしていたのでビデオに録画しながら、途中まで見た。昭和44年といえば、僕が20歳の時で、夏に北海道までの往復自転車旅行をした思い出深い年である。当時の東京新宿の騒乱ぶりが映し出されていた。その頃、僕は自転車旅行の途中で会った人の好意で、新宿に1週間ほど滞在したことがある。フォークやフーテン族など、なつかしい映像が目に入り、また自転車旅行のことを思い出す。

余談であるが、この昭和44年は7月にアポロ11号が人類で初めて月に一歩を記した年である。そのアポロ11号が月に到着した生中継を、自転車旅行中、北海道の網走で見た僕は、8月に東京へたどり着いたわけだが、新宿のアートシアターのようなところで、大島渚監督の「少年」という映画を見た。今もまだ心に残るいい映画だった。そのあと、「薔薇の葬列」という映画の予告編があったが、それはゲイボーイが主演するたいへんグロテスクな映画であった。主演は、スカウトされたばかりのまだ10代のピーターという名前の少年で、妙に印象に残った。それが、まあ今のピーターだったのだけど、そのピーターが、先週の日曜日、大阪のウラネタ芸能ワイド番組「週刊えみぃSHOW」に出て、こう言った。

「あたしも、昔は美少年だったのよ。当時は『アポロが月から連れてきた少年』なんて言われたものよ」

う~ん。
この言葉を、なるほどなぁ、と真に納得して聴いた人は、少なかったと思う。
しかし、アポロの月到着の翌月に映画デビューしたピーターのことを、僕は当時、新宿で予告編を見ながら強烈な印象を受けていたから、そのころはきっと彼が言ったように、芸能週刊誌などで、「月から連れてきた少年」というようなことも言われていたに違いない、と思う。
テレビの中のピーターの言葉に、深~くうなずく僕だったのである。


 

 

 

コメント (5)
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