高校生の頃から東北にあこがれていた。
大好きだった 「おくのほそ道」 の影響もあった。
太宰治にも、大きな影響を受けた。
20歳の時に自転車で放浪の旅に出たのも、東北へのあこがれからである。
このとき、往路は日本海側を走り、復路は太平洋沿岸を走った。
しかし、八戸からは三陸海岸を通らず、盛岡、花巻、一関の国道4号を走った。
そして、一関から石巻に入り、仙台湾を下って松島、仙台、岩沼、相馬と、
今回の大震災で甚大な被害を受けた地域を走った。
そして、沿岸部である国道6号を走った。
相馬では、食堂でご飯を食べていると、見知らぬおじさんが
「おお、君じゃないか。いま、ここを走っているのかね」
と声をかけてきたのに驚いた。
青森の八戸の時計屋さんで何泊かお世話になったとき、僕と会ったそうなのだ。
相馬から南下して、原町というところで、また食堂に入った。
ここでカレーライスを注文した僕は、生涯忘れられない思い出を得た。
ここのカレーライスに入っている肉の多さにびっくりたまげたのだ。
お皿からはみ出るほど、ゴロゴロとカレー肉がご飯の間や上に乗っていた。
常にひもじい思いをしていた僕は、このカレーの肉への感激が、今も忘れられない。
そして、いわきで泊まったユースホステルでは、知り合った女の子が、
僕が早朝に自転車で出発する時、伊豆の踊り子のラストシーンのように、
姿が見えなくなるまで、屋上から手を振ってくれたことも忘れられない。
今回の震災報道で、相馬や原町、いわきが映ると、そんなことを思い出す。
福島に最初の原子力発電所ができたのは、その2年後のことである。
20歳の時(1969年)に走った東北のコース (復路)
2年前、60歳で定年になり、妻と2人で青春18切符を使い、東北旅行をした。
このときも、東京から常磐線に乗り、水戸~いわき~原町~相馬~岩沼
~名取~仙台と通過した。
その日は仙台で1泊し、翌日は松島を巡り、平泉から、盛岡へ行った。
このときも、自転車旅行の時と同様、三陸海岸は通らなかった。
なかなかチャンスに恵まれなかったのだ。
♪ みなと~、宮古・釜石・気仙沼 ~
森進一が歌って大ヒットした 「港町ブルース」 の良港を、いつか巡りたいと思っていた。
それが、こんなことになろうとは … 。
自分も、旅旅行は大好きです。
自転車ではないのですが、長崎へバスで旅行に行きました。
自転車のほうが旅行らしいでしょうか?
バスも案外良い物ですよ。
それと、耳鳴りの報告です。
耳鳴りの種類ですが、12月は数種類でしたが、今は一種類になりました。
音の大きさはですね、12月は大音量でしたが、 今は時々小さくなるけど、音がうまく拾えていない状態です。
水分摂取療法で改善しました。
のんさんもどうですか?
今は時々小さくなるけど ×
少し鳴るけど、すぐ消えるような音ですが、 ○
ただ義援金寄付箱を盗むような輩は日本人ではありません。地獄行きです。
余談ですが伊豆の踊り子のラストシーンは切ないですね。こんな体験をしたら一生忘れられませんね。(笑)
僕は例のごとく長崎へは自転車で行きました。
坂道ばかりなので、自転車には不向きな街ですね(笑)。
「バスも案外良いものですよ」というのは、偶然ですが、ごく最近体験しました。
耳鳴りは僕は相変わらずですが、水分摂取はあらゆる意味で大事ですよね。
それで耳鳴りが小さくなったというのは素晴らしい。
うらやましいです。
2年前、車窓からのその風景に感激し、アナザービートルさんにメールしたら、
新婚旅行で行った場所だと教えてもらいましたね。
その美しい土地が、こんな大変な災害に遭うとは…
42年前のいわき市の 「伊豆の踊り子」 さんも災害に遭われたのだろうかと、
そんなことも、ふと思ったりします。