僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

奇跡の年賀状 

2015年01月22日 | 思い出すこと

  

    やわらかに 柳あをめる  
    北上の  岸辺目に見ゆ  
    泣けとごとくに   啄木

  (岩手県渋民村・石川啄木の歌碑。1969年撮影)

  

今年いただいた年賀状の中に、
1通だけ、見知らぬ方からのものがあった。

差出人住所は青森県十和田市。お名前は女性名。
そのお名前には、まったく心当たりはなかった。

「え…誰だろ?」と差出人のところをよ~く見ると、
(旧姓・羽入)と小さく書かれていた。

「あっ、あの…?」と思いながら裏返して文面を見たら、
あ~、間違いない、…あの「羽入さん」だった。
いや、ご本人ではなく、ご家族の方だったが…。

…懐かしい思い出が、よみがえってきた。


 ………………………………………………………………


もう46年も昔、1969年(昭和44年)の話である。

20歳だった僕は、大阪から北海道の最北端まで行き、
大阪に戻る…という70日間の自転車旅行をした。
そのことは、これまでも何度も書いてきたし、
その自転車旅行だけを綴ったブログも掲載した。

僕にとってこの旅行は青春そのものであり、思い出は尽きない。
その中のひとつに、こんなエピソードがあった。


北海道からの帰途。本州に戻り、やがて岩手県へ。
時期は8月の初旬だった。

岩手県・渋民村の啄木の歌碑の前でのことだ。

僕が歌碑の前の屋根つきベンチで野宿の準備をしていたら、
年配のおじさんが自転車でやって来た。
その前に、道路で僕はこのおじさんを追い越している。

「あ、先ほどはどうも」と挨拶を交わした。
ごく普通の自転車に乗っておられたが、
東北一周しているところだと言われたので驚いた。

おじさんは周りを見て、悲しそうな表情を浮かべ、
「今日も、写真屋さんはいないのですね」と言われた。
「私がここを訪れるのはこの30年間で今日が4度目です。
でも、いつも写真屋さんはいないので、写真がありません」

あまりに残念そうな様子だったので、
「僕のカメラで撮りましょう。カラーじゃありませんけど」
そう言ってカメラを取り出した。
おじさんは「いやぁ、有難いです」と目を輝かせた。
「ではそこに立ってください。行きますよ~ パチッ」
何枚か撮り終え、おじさんと住所を交換し合った。
青森県の十和田市に住まれている、とのことだった。

「大阪に帰ったら、写真は必ずお送りしますので」
「ははっ。よろしくお願いいたします」
…と、羽入さんは深々とお辞儀をされた。

「では、気をつけて行ってくださいね」と僕は見送った。
「はい。あなたも、ご無事で故郷へ帰られますように」


    
     歌碑の前で。羽入さん。


大阪に帰り、数枚の写真を羽入さんのご自宅に郵送した。

すると、折り返し、礼状が届いた。
筆で書かれた、まるで時代劇で見るような手紙である。

以前、ブログにも書いたけれど、もう一度掲載します。

 

 


拝啓 いつの間にか秋がやって参りました。
去る十六日急用のため夕方から夜にかけて、
十和田の実家に帰りましたところ、
○○さんからの写真が届いておりました。
三十年前から夢にまで見ていたあの場所での写真は
全く偶然に知り合った大兄から頂くことになりました。
厳に謹んでお礼を申し上げます。
カラーでなくても、あの山、あの川、あの場所が好きなのです。
本当に有難うございました。
(後略)


そして冬には青森のリンゴを、
ダンボール箱いっぱいに送ってくださった。


それから10年以上経ったある日…
突然、自宅に羽入さんがやって来られたのには驚いた。
「兵庫県の壮年マラソンに出場してきました。
大阪に知人がいますので、今夜はそこに泊まるのですが、
ぜひお目にかかりたく…」と、訪ねてくださったのだった。
兵庫までマラソンに来られるとは…本当にお元気な方である。

2人で当時の話を中心に、1時間ほど歓談した後、
羽入さんは、御丁寧なご挨拶とともに、わが家を辞された。


自転車旅行のブログで、このことを書いたら…

八戸市にお住まいのTさんという学校の先生をされている方が、
たまたま僕のそのブログを熱心に読んでくださっていて、
当時僕が自転車で走った青森、岩手などの現在の様子を、
僕のところに、メールで写真を送ってくださったり、
いろいろと興味深い情報を送っていただいたりした。

そして、そのT先生が、わざわざ羽入さん宅をお訪ねになり、
娘さんに会われて、僕のそのブログを印刷したものを渡された…
とお聞きし、びっくりすると共に、T
先生に恐縮する一方だった。

その後、羽入さんの娘さんから、僕の住所が知りたいとのことで、
T先生へ問い合わせがあり、先生からその旨のメールを受けた僕は、
むろん異存はなく、先生に、自宅の住所をお伝えしたのである。

そうしてこのお正月に「旧姓羽入」様からの年賀状が届いたのだった。


 ………………………………………………………………


46年前、石川啄木の歌碑の前で羽入さんとお会いしてから、
長い長い年月を経て、娘さんからの年賀状をいただいた…。
不思議な感覚である。

文面は…

明けましておめでとうございます。
お元気でしょうか。
T先生より自転車旅行記のコピーをいただき、
家族全員で拝見させていただきました。
父は3年前に空へ向かいましたが、
〇〇様と絆を深めることができ、
今でもうれしく思っていることでしょう。
ありがとうございました。
機会がありましたら、大阪へ行ってみたいと思っております。


羽入さんは、3年前に亡くなられていた…。

その娘さんから、心温まる年賀状をいただいた。

46年の歳月が、まるで一瞬の夢のように感じられた。

「ぜひ一度、お会いしたいです」
お会いして、父上・羽入さんのお話を聞かせていただきたい…。

返礼の年賀状で、僕は、心からの思いを伝えた。

 

青森県八戸市のTさんへ。

 思いも寄らぬ「自転車旅行・
後日談」を数多く生み出していただき、
 本当にありがとうございます。いつも、心から感謝しています。

   
  
   

      
  
 


 

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2 コメント

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Unknown (もりもりサラダ)
2015-01-23 11:34:19
いい話ですね。
僕も学生時代、北海道にバイク旅行に行き、そこで知り合った人に写真を撮って貰いました。
「また送るは!」
でも、届かなかった事を思い出しました。^^;
返信する
テンション、ダウン? (のん)
2015-01-24 09:50:10
北海道にバイク旅行に行かれたのですね~

その人、写真送ってくれなかったのですか。
旅先ではテンションが上がってますから
「また何々してあげるわ~」
と知り合った人に言いがちですが、帰宅して日常に戻ると、
気分が冷めて面倒になる…というパターンでしょうか?
あるいは、すっかり忘れられてしまった…?
いずれにしても、残念ですね~
返信する

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