今日は8月11日ですね(もう、夜も遅いですけど)。
今のこの時期、終戦から80年ということで、
それに関したいろんなことが話題に上がっています。
8月6日は広島に、9日は長崎に、原子爆弾が投下されたことで、犠牲者の方々の法要や原水爆禁止の集会などのニュースが流れていました。
そして8月15日が終戦の日ですよね。
う~ん。
8月初旬と言えば、僕の個人的なことで言えば、
6日は次男の誕生日、8日は母の誕生日です。
まぁ、母は10年前に亡くなっていますけど…
母は昭和初期の8月8日生まれで、8が重なる子、
ということで「八重子」と名付けられました。
そしてその母の八重子が10年前に亡くなった時も、88歳でした。
これもまた、8が重なってますよね~
よほど「八」に縁が深かったんですね。
ま、それはともかくとして…
明日、8月12日のことですが。
12日は、日本航空機墜落事故が起きて40年の節目に当たる日です。
40年前と言えば1985年(昭和60年)ですね。
この事故は…
1985年の8月12日(月)に、日航ジャンボジェット機が、群馬県の御巣鷹の山の中に墜落して、520名の死者を出すという、世界史上でも最悪の航空事故が起きました。
むろん、誰もが知る大事故ですね。
(原因は飛行機の整備不良と言われているようです)
この飛行機は、羽田空港から大阪の伊丹空港へ向かう便でした。
そこに乗っていたお一人が、あの歌手の坂本九さんでした。
数日前、NHKテレビでそのドキュメントが放映されました。
それによると…
坂本九さんは、元々その便に乗る予定はなく、
通常は日航ではなく全日空を利用していたのが、
その日に限り、お盆ということもあって全日空が満員で、
切符が取れなくてやむを得ず日航のその便に乗ったとのことでした。
では、なぜ坂本九さんが大阪へ向かったのか?
それはテレビでも説明がなかったので、ウィキペディアで調べると…
その時、坂本九さんの元マネジャーの香川弘行という人が、9月初旬に実施される大阪府羽曳野市の市議会議員選挙出馬する、ということで、8月13日に行われる事務所開きに駆けつけるために大阪へ向かったとのことです。
つまり、その事務所開きの1日前の8月12日に、坂本九さんはその飛行機に乗ったというわけですね。
えぇ~~!
これを見て僕はビックリしました。
大阪の羽曳野市、と言えば、僕が住んでいる藤井寺市のすぐ隣で、
市域面積の狭い藤井寺市を囲むように羽曳野市があります。
わが家からも、少し歩いたら羽曳野市です。
西へ歩いても、東へ歩いても、南へ歩いても、羽曳野市です。
その羽曳野市議会議員選挙に出馬する人の事務所開きに駆け付けるために、
坂本九さんは厳しいスケジュールの合間を縫って、東京から大阪の羽曳野市へ行くところだった、ということでした。
それで、その飛行機が墜落した…
いや。
驚きました。
人の人生って、何がどうなるのか。
一寸先は闇、ということでしょうか。
ちなみに、
僕が坂本九さんの歌で一番好きなのは、
です。
明日(8月12日)は、あれからちょうど40年です。
墜落事故で亡くなられた500数十名の方々に、
心から弔意を表します。
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