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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

橋幸夫さんを偲んで

2025年09月07日 | 思い出すこと

  
 
  昨日(9月6日)の朝日新聞より。

歌手の橋幸夫さんが亡くなられたことには、大きなショックを受けた。
今日、石破首相が総理大臣を辞任する意向を表明したけれど、
総理大臣が辞めるより、橋さんが亡くなったことのほうが、
僕自身にとってはより大きく、より衝撃の出来事だった。

なにせ橋さんのファンになってから60年以上経つんですからね。

まぁ、橋さんは82歳でしたから、早世ではないんですけど、
それでも、「あの橋幸夫」がいなくなった、というのは、
僕にとっては、信じられないことなのです。

「橋幸夫」に関する話は、このブログにも何度も書いています。

橋さんは僕より6歳年上です。
彼が17歳で「潮来笠」でデビューしたのは、
僕が11歳の時で、たぶん小学5年生だったと思う。
(昭和35年のことです)

それまで「流行歌」などは、ラジオで美空ひばりや三橋美智也や春日八郎を聴いていた程度で、自分で歌うなんてことはなかった。でも…
橋幸夫の「潮来笠」をラジオで聞き始めて、その艶やかな美声や節回しに、子供ながら魅了され、それ以後、暇さえあれば、
「♪ 潮来の伊太郎ちょっとみなれば~」
な~んて鼻歌交じりに歌っていたものです。

そんなあるとき、
父の仕事仲間のおじさんたちがわが家に集まった時、
(何かの寄り合いだったと思う)
そばで座っていた僕に、一人のおっちゃんが、
「のぼるちゃんは歌が好きみたいやな。何か歌ってぇな」
と言ったので、僕は迷うことなく、
「うん、ええよ」と答え、
その場で、

♪ 潮来の伊太郎ちょっとみなれば~
 薄情そうな渡り鳥~
 それ~でぇ いいのさぁ
 あの移り気なぁ~

と、3番まで全部歌ったところ、
その場にいたおっちゃんたちが
「うまい、うまい」
とパチパチパチ~と大きな拍手をしてくれた。

それ以来、僕は橋幸夫の歌のほとんどを、
歌詞を見ずに1番から3番まで覚えて、周りに人がいようがいまいが、
お構いなく、歌って過ごしていた。

「潮来笠」のレコードB面の「伊太郎旅歌」というのも、全部暗記。
それ以降、橋幸夫は日本一の人気歌手になり、僕は、
「沓掛時次郎」や「中山七里」
「おけさ歌えば」や「木曽節三度笠」
「南海の美少年」や「明日を呼ぶ港」
「江梨子」や「舞妓はん」など、
レコードが出るたびに全部覚えて、
一人で歌いまくっていました。
(時には学校の茶話会でも歌いました)

今もそれらの歌をほとんど歌詞を見ずに3番まで歌えるほど、よ~く覚えています。
つまり、今から60年以上前の歌は覚えているんですけど…
昨日に何を食べたのかは覚えていないんですよね(トホホ)。

そんなことで、中学生の頃は、日曜日のお昼ごろにテレビで、
「橋幸夫ショー」というのがよく放映されたのですが、
その日は朝からそれを見るのをず~っと楽しみに過ごしていました。

その後…
橋幸夫の歌は「チェッチェッチェ」とか、「恋のメキシカンロック」とか、
歌の傾向が変わってきましたが、モミィがまだ小さかった時、
一緒にカラオケに行って「恋のメキシカンロック」を歌ったら、
彼女はすっかりこの歌が好きになり、それからカラオケに行くたびに、
「♪メキシカンロック~歌って」
と、リクエストをしてくれていました(笑)

ちなみにモミィは昨日、わが家にいたのですが、
「橋幸夫さん亡くなる」というテレビニュースを見て、
「あ、これ、メキシカンロック歌ってた人やなぁ」
と言ってました。
覚えていたのですね。

人の命はいつかは消えて行くものですが、
好きだった有名人の方々の訃報に触れるたびに、
改めてそのことを実感します。

特に、自分の人生に大きな楽しみを与えてくれた芸能界の人が亡くなったら、一層その感が強くなりますね。

あの、大好きだった橋幸夫さんが亡くなられた…

次はまた、あの世でお会いしたいです。

 

 

 

 

 

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