大阪からフェリーで徳島に渡って、黄色い部分を6日間で走り、
瀬戸内海の東予からフェリーで大阪に帰った。赤い印は宿泊場所。
(この地図は最近のものですが、僕が走ったのは30年以上前なので、
地名などが一部変わっています)
20歳の時の大阪~北海道往復自転車旅行から9年の歳月が経っていた。
1978年(昭和53年)。29歳の時だった。
僕は市役所で働いており、その時は議会事務局の職員だった。
2人の息子たちは、長男が5歳、次男が4歳だった。
役所では夏期休暇が8日間もらえた。
生活も落ち着いてきたので、久しぶりに自転車旅行を復活しよう、と考えた。
今年は四国へ。来年は九州へ。そして再来年は中国地方へ。
何とか11年がかりの日本一周を実現したい…という思いに駆られたのだ。
1978年(昭和53年)の7月7日。
僕は午前2時に起き、支度をして、2時50分、妻に見送られ、四国への自転車旅行に出発した。午前4時45分発の徳島の小松島行きのフェリーに乗るためには、こんな、とんでもない時間に起床しなければならない。
今回は四国で5泊する予定だが、すべて事前に宿泊施設を予約しておいた。
市町村職員共済組合会館とか、国民宿舎とか、安宿ばかりだけれど。
おかげで昔のようにテント・寝袋などは自転車に乗せずに済む。きわめて軽装の旅支度で臨めることになった。その代わりに、寄り道は許されない。きちんとその日に、予定の宿に到着しなければならない。予約金も支払っているしね。
雨が降ったらどうなる…? もちろん構わずに走らなければならない。
じゃあ、恐ろしい雷が鳴って嵐でも来たらどうなる…?
計画どおり走れるのか…?
…と、これはこれで悩みがある。
どうも、やろうとすることに比べて気が小さいので、そんなことが気になる。
しかし、幸いに…というか、この年は7月上旬に早々と梅雨が明け、僕が出発した7日はすでに真夏の青い空が広がっていた。その分、毎日ものすごく暑かったけれど、まぁ、あれもこれもいいことなんて、ありませんよね…。
9年前の自転車旅行は、これと言ってアテのない旅だった。
気に入ったところがあれば何日か逗留したし、自転車仲間と出会ったらその人たちと回り道もした。まことに行き当たりばったりの旅で、それは「自転車放浪の旅」と呼ぶにふさわしかった。しかし今回は、ごく普通のまっとうな自転車旅行である。いちおう、妻子もある社会人になっていたんだもんね。
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自宅から自転車で、フェリーが出る大阪南港まで1時間10分を要した。
時計はちょうど午前4時をさしていた。
4時25分、目の前に大きなフェリー「あきつ丸」が姿を現した。
中からトラック、乗用車などが次々と吐き出されて来る。たった一隻の船の中に、これだけ多くの数の車が入っていたとは、このフェリーというやつは、とてつもなく巨大で力持ちなのだなぁ…と感嘆しながら眺めていると、いよいよ最後の1台らしき車が出てきた。あ、これで終わりだ、と思ったら、しばらくして1台の自転車に男性が乗ってスイっと出てきた。まるで勢いよく水が流出していた水道の蛇口を閉じた後、ポトリと落ちる最後の「しずく」のようであった。
轟々たる騒音を響かせながら車の行列が出て行ったあとに、ひょっこり現れた小さな自転車は、まさに最後の一滴そのものである。
僕も同様に最後の一滴だから、車が全部入ってから自転車を船に入れる。
乗船の順番待ちをしていたら、不意に誰かが僕の背中を叩いた。
ギョギョっと驚いて振り向くと、役所の同期の上○君がニコニコ笑っている。
「のんさん。いよいよ出発ですねぇ。がんばってくださいよ」
「え…? どうしたん…? こんなとこで何してるん…?」
「見送りに来たんですよ。ひとこと、がんばってね、と言いたくて…」
「ほ、ほんまかいな。こんな時間に…。びっくりするがな。でも、悪いねぇ」
「いいです、いいです。のんさんのサイクリング姿も見たかったし」
そう言って、4歳年下の同期の上○君は手を差し伸べた。
僕らはがっちり、握手した。
やがて「自転車の方、どうぞ乗船くださ~い」という声があった。
「ではね。行って来ます。気ぃつけて帰ってや」
「のんさんも、道中、くれぐれも気をつけて」
「ありがとう。行って来ま~す」
上○君には、僕のこの旅行のことは知らせていたが、彼は「見送りに行きます」な~んてことは一言も言っていなかったので、いきなり姿を見せた時は、本当にびっくりした。こんな未明に、単車に乗って港まで来たらしいのである。
その上○君であるが、その後も友人でもありいい後輩でもあったが、数年前、肺がんで亡くなった。まだ50代半ばだった。その悲しい訃報に接したとき、真っ先に思い浮かんだのは、彼がこの南港に見送りに来てくれた時のことだった。
ともあれ、僕は船上の人となった。
フェリー料金は人間が1,440円。自転車は「特殊小荷物」の扱いで550円だった。
定刻より45分遅れの午前8時35分に、フェリーは徳島の小松島港に着いた。
徳島の小松島港へ着く。
小松島から国道55号に出て、阿南市に向かう。
道路に、室戸まで126キロとの標識が出ている。
今日、僕が宿泊を予定しているのが「国民宿舎むろと」である。
う~む、126キロとは、僕にとってはえらい距離やなぁ。
那賀川を渡り、しばらく走ると左手に目の覚めるような眺望が開けてきた。
室戸阿南海岸国定公園の一部である橘湾だ。とても美しい風景だ。
しかし海の景色はほんのわずかで、間もなく山間コースに入る。
道路脇の自動販売機でファンタを飲み、冷たいお茶を水筒に補給する。
それにしても、暑いこと、暑いこと。
土佐街道と呼ばれるトンネルの多い道を日和佐まで。
日和佐の大浜海岸は、ウミガメの産卵で有名だ。
6月から7月にかけての夜間、体重200キロ級の巨漢のアカウミガメが浜に上陸し、直径4センチ大の卵を150個近く産みつけるという。
日和佐から海沿いのコースで、南阿波サンラインという道が開通したそうだが、僕は国道55号を走り続ける。何とかラインと名のつく道路は、景色はいいのだが、たいてい起伏がきつく、自転車ではしんどいのだ。
日和佐トンネルを抜け、12時半に牟岐町に到着。駅前食堂に入ってトンカツ定食を食べるが、不思議なことに食欲が湧いてこない。店に入ってもまだ心臓がドキドキして、呼吸が収まらず、「食べよう」という気が起こらないのである。やはり、この暑さと疲労で体がバテバテになっているのだろう。大好きなトンカツがなかなか喉を通らない。まだ半日しか走っていないというのに、この有様では先が思いやられてしまうぜよ。
牟岐からは海岸コースだったが、案の定、起伏が多い。
だいたい海沿いのコースは、イメージよりも登り下りの坂道がきついのだ。
自転車に乗っているとそれがイヤというほどわかる。
しかし、それにしても起伏が多すぎる。平坦がなく、坂道ばっかりである。
休憩の時に地図を見ると、ここの地名は「八坂八浜」とあった。
な~るほどなぁ…(と感心している場合ではないのだけど)。
牟岐町を過ぎると海南町。そして海部町、宍喰町と通過して、長い長い水床トンネルを潜り抜けた時、「高知県・東洋町」の標識があった。
ここで徳島県に別れを告げ、高知県に入ったのだ。午後2時半だった。
ここから今日の目的地の室戸岬まで、約40キロだ。
へとへとになりながら、5時過ぎに室戸岬に到着した。
国民宿舎は山の頂上にあるので、ここから登って行かなければならない。
宿舎に電話をかけ、あと1時間ぐらいで到着すると伝え、宿舎の場所を尋ねた。
岬をぐるりと回る。
そこから室戸スカイラインという有料道路に入るのだが、グネグネと曲がる道の勾配が恐ろしくきつい。自転車に乗るどころか、降りて押してもエイヤっと力を入れなければ前に進まない。時々、たまらずその場に座り込んでしまう。汗が全身を滝のように流れている。えげつない登り道である。
そんな道でも料金を取るのだから恐れ入る(当たり前か…?)。
料金所にさしかかり、そこで窓口のおじさんに、自転車料金30円を支払う。
30円ぐらいだったら、いっそ無料にしろって。
ついでだから、係のおじさんに国民宿舎の場所を訊く。
おじさんは、ラジオの相撲中継を聴きながら、わかりやすく教えてくれた。
うむ、これなら30円も値打ちもあるぜよ、と心を入れ替える僕であった。
というようなわけで、午後6時、「国民宿舎むろと」にようやく到着した。
風呂で鏡の前に立って自分の顔を見ると、ぎゃっと叫ぶほど真っ黒けに日焼けしていて、自分の顔ではないような気がした。
夕食は魚のフライ、マグロの刺身、ぜんまいの煮物、それに漬物と吸い物。
ビールを2本飲んだら、目がグルグル回ってきた。
しかし、食欲は戻っていた。
ビールのおかげだろうか…。
やっとの思いで室戸岬に着いたけれど…。
国民宿舎へはこの有料道路を行かなければならなかった。
えげつない登り坂が延々と続き、もうヨレヨレ。
行ったことのない四国の旅日記第一回!、楽しく読まさせて頂きました。
続きが楽しみぜよ!?
私は若い時に、車で一度しか通った事ないですが、記憶では”自転車なんてとんでもない”道路だった気がします。
まさに、超人ですね。(^_^;)
室戸岬ですか~。とても懐かしい気がします。
こう言っている僕も、このときがはじめての四国旅行でした。
北陸、東北、北海道には行きましたし、九州にも修学旅行や仕事の出張で行きましたが、なぜか四国には縁がありませんでした。大阪から見れば、一番近くにあるのにね~
続きを楽しみにしておいてくださいぜよ。
いや、それにしてもあの坂道のえぐいこと…、車に乗りながらもよく記憶されていたことですね。
いや、まあ、日本広しといえども、あれほど急な上り坂の有料道路は見たことがありません。「実体験」された方からコメントをいただき、喜んでいます。それもakiraさんですからね。ところで「懐かしい室戸岬」には、何をしに行ったのですか…? 彼女とドライブ…? あはは。