4月に入って最初の土曜日、わが日本ウダウダ会は、
高野山のふもと、天野の里 (和歌山県かつらぎ町) を歩いた。
日本ウダウダ会については今さら説明の必要はないだろう。
知る人は知っている。 たぶん、日本中で15人くらいだけど。
で、この天野の里であるが、いくらウダウダ会だからといっても、
ウダウダと拙文を並べるより、これを見ていただいたほうが早い。
http://www.katsuragi-kanko.jp/amanonosato.html
ここにも書かれているが、白州正子さんがその著書 「かくれ里」 で、
「天野の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原」
と書き、さらに、
「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑で
うっとりするような山村を 私は知らない」
「できることならここに隠居したい。
桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」
…と、天野の里への感動ぶりを伝えている。
さて…
僕たち10名余りのウダウダ会一行は、電車を乗り継ぎ、
J R 和歌山線の笠田 (かせだ) という駅に降りた。
そこから、かつらぎ町のコミュニティバスに乗った。
乗客は僕たち一行のほか、年配の女性が1人だけであった。
「いつもこのバス、乗るのはほとんど私ひとりだけなんですよ」
と、女性が僕たちに話しかけてきた。
そして 「皆さん、どういう方々のお集まりなのですか?」
と尋ねたので、ウダウダ会で唯一の女性会員Aちゃんが、
「ウダウダですわ」 と笑顔で答えると、年配の女性は、
「あ、そうですか…」 と、なぜか納得の様子であった ???
バスはぐんぐんと山間部へ上って行き、30分足らずで、
「丹生都比売神社前」 という終点に到着した。
丹生都比売神社は 「にうつひめ神社」 と読む。
天照大御神 (あまてらすおおみかみ) の妹神である、
丹生都比売大神 (にうつひめおおかみ) を祀っている…
とのことである。
空海や高野山との関わりが深く、この神社の本殿や楼門は、
2005年に高野参詣町石道とともに、世界遺産登録された。
丹生都比売神社
いざ、ウオーキングの出発。
ウダウダ会一行の本日の行程は、この山々に点在する史跡を巡り、
そのあと山を下って紀ノ川に出て、川沿いの公園の桜の下で、
例によって酒盛りをしようという算段である。
たいていは、山を歩いている時間より、酒盛りの時間のほうが長い。
それにしても、この山深いところに、いろいろな史跡がある。
僕たちが細い山道を登ったり降りたりして巡ったのは、
二つ鳥居、西行堂、院の墓…などなどであるが、
びっくりしたのは、院の墓であった。
坂道を登っていると、突然 「待賢門院の墓」 の標識が現れたのだ。
待賢門院といえば、NHK大河ドラマ 「平清盛」 で、
僕の好きな女優・檀れいが演じている鳥羽天皇の皇后である。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/cast/imperial.html#i_tamako
「まさか、こんなところに墓が…?」 と腑に落ちない思いだったので、
翌日、ネットで調べてみたら…
待賢門院の墓と伝えられていますが、
院に仕えた中納言の局の墓と考えられます。
…とあったので、納得した。
それにしても、まぎらわしい標識である。
西行堂は、西行が出家した時、妻も尼になって住んだ場所だそうである。
西行の妻とともに、娘も尼になり、この庵で読経の生活を送ったという。
母娘とも、この地で生涯を終えた…とされている。
西行堂。
時々道に迷いながらも、ウダウダ会一行は史跡めぐりを堪能した。
山の上から見た天野の里は、絵に描いたような美しい風景だった。
しかし現実はきびしい。
きつい下り坂をどれほどの長い時間、歩いたことだろう。
下りても下りても下界が見えない。 膝がガクガクしてきた。
それだけに、やっと眼下に紀ノ川が見えた時は歓声が出た。
ようやく、紀ノ川が見えてきた。
史跡めぐりを堪能したあとは、お酒を堪能したい…
頭の中はすでに、そちらのほうに切り替わっていた。
山道を下りきったところが 「酒殿神社」 という神社だった。
お酒の神様が、「お帰り~」 と出迎えてくれたようなものである。
実際に、メンバーの一人 (実は会長) が午前中は所要のため参加できず、
この酒殿神社で、車に弁当や酒やバーナー (酒の燗用) などを積んで、
僕たち一行と合流したのであるから、まさにお酒が出迎えてくれたわけだ。
酒殿神社。
ここへ会長が、弁当、酒、ビールなどを車に積んで来てくれた。
「あぁ、お疲れさ~ん。きつい下り道やったね~」
と、互いに言葉を交わしながら、紀ノ川を渡った。
時計を見ると、午後1時半であった。
紀ノ川沿いに桜が満開の公園があり、そこへ、
「花見弁当」 と酒類を積んだ車が先に到着していた。
桜の樹の下に大きなシートを敷いて、全員、車座になった。
本日ウダウダ会の第二章、「花見酒の部」 が始まった。
春爛漫の、のどかな1日であった。
打ち上げは桜の樹の下で…
* 日本ウダウダ会に関する過去ブログのいくつかをご紹介しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/m/201111
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20100412
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20100415
ひょんなことからブログ見つけてしまいました。いろいろ勉強させてください。
僕の後輩さん、ですか…?
「どん」さんって「どん」な方なんだろう…
な~んちゃって。
また一度お会いして、どんちゃん騒ぎしましょうねっ、どんちゃん。
慈尊院から、
弘法大師が母を背負って
高野山に詣でたという町石道を
畏れ多くも走って駆け上るという
レースがあり、3回ほど走ったことがあります。今回ののんさんの記事の中に出てくる
名所旧跡の案内看板も、コース上のあちこちに
あったのを思い出しました。
いかに「でこひろし」と言えども、もうあんな大それたレースを走ることなどできませんが、記事を読ませていただいて、今度は介護の母親を背負って、じゃなくて家内と一緒にゆっくり歩いて登ってみようと思ったのでありました。
元気にしてます~
3階のガラスケースに…
あなたは熱帯魚でしたか…?
すみません。冗談ばっかりで。
な~るほど。
3階ね~。 なつかしいなぁ。
また、よろしく~
すみません。
ドイロンちゃんの「別名」を明かしてしまいました。だはは~
町石道を駆け上がるレースがあったのですか?
はぁ~? 知りませんでした。
いろいろなレースがあるのですね。
それに、3回も参加されたとは…、
あなたのレース経験も豊富で異色で幅広いですね~
さて、でこ…じゃないドイロンちゃん、心機一転の春ですね。
お元気そうで何よりです。
また一緒に遊びましょう。
町石道をおんぶしてくれてもいいですけどね(笑)
そういえばセルジオいちごという名前で、
庁内報の「ねっとWORK」にサッカーの話を書いたことがありますね。
ちなみに「ねっとWORK」というタイトルの発案者は、
でこひろしさんです。
ランナーズだよりって、そんな号数までありましたっけ。
知らんわ~
第175号まで発行しましたよ~
最近とくに記憶力が衰えて、さっぱりワヤですわ。
それにしても…
あるときは…
またあるときは…
貴君は七つの顔を持つ男ですね~