僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「のんが くる」 ~長良川の戦い~

2020年05月11日 | ウォーク・自転車

「コロナ」の流行でテレビの視聴量が急増している、と先日の新聞に書かれていました。やはり家にいる人が増え、コロナが常に気になるので、ニュースや情報番組を見る人が増えたということでしょうね。

僕はニュース以外に、ドラマもよく見ています。
特に面白いのが、
「いいね!光源氏くん」
光源氏が現代にタイムスリップする奇想天外なお話だけど、毎週、録画したのをモミィも入れて3人で楽しんで見ている。
朝ドラの「エール」も、窪田正孝と二階堂ふみの意気投合したやりとりに笑ったり勇気づけられたりして、なかなかいいですね。先が楽しみです。
時代劇では「鳴門秘帖」が面白かったですけど、もう終わってしまった。
もちろん大河ドラマの「麒麟がくる」も熱心に見ています。

で、今日は「麒麟がくる」の話というより、それに関する自分の思い出話なんですけど

昨日(10日)の「麒麟がくる」は前半のクライマックスとも言える「長良川の戦い」でした。「モックン」こと本木雅弘が扮する斎藤道三が、長男である斎藤高政と戦い、討ち死にをするという見応えのある展開でした。

美濃の長良川を挟んで、道三と高政が対峙し、ドラマでは川の中でも戦いが繰り広げられていました。道三の城は稲葉山城で、後に信長の城となった今の岐阜城です。僕は長良川の戦いのシーンを見ながら、むかし、31歳の夏の、4日間の岐阜方面への自転車旅行のことを思い出したのでした。1980年の8月のことです。

思えば、20歳の時の大阪~北海道往復自転車旅行に続き、29歳の時に四国一周、30歳の時に九州一周、31歳で中国地方一周をして、一応日本一周を遂げることができた。では次は日本の中部を走ろうと思い、大阪から飛騨高山までを往復することにしたのです。日程は4日間。初日は岐阜泊、2日目は高山泊、3日目は帰路で名古屋泊、そして4日目に大阪に帰る、というスケジュール。距離にすると670キロほどあり、割にきつい行程でした。

その初日です。大阪から京都を経て琵琶湖の東岸を走り、米原、関ケ原を経て、途中自転車がパンクするアクシデントもあったが何とか自分で修理し、夕暮れ時に岐阜の中心に着いた。しかし市内の「共済宿泊施設」は、どこへ電話しても、夏休みということもあり、満室で断られた。仕方なく野宿することにし、地図に載っていた岐阜公園というところへ行き、そこのベンチに腰掛けた。

買っておいた食べ物とウィスキーで夕食。あとは寝袋に入り、ベンチに仰向けになって、ふと見たら、ほぼ真上に金華山(旧の稲葉山)が見えて、その頂上にある岐阜城がうっすらと灯に照らされ、幻のように浮かんでいるのが見えた。

しばらくすると、その金華山の向こう側で「ポーン、ドドドーン」と、花火が炸裂する音が響いて来た。あれはたぶん長良川の鵜飼いが佳境に入っているのだろう(鵜飼いのことは事前にガイドブックで見て知っていた)。

そして眠りかけた9時半頃。ポツポツと雨が降って来た。雨はあっという間に本降りになり、僕はあわてて寝袋から出て、近くにあった公衆電話ボックスに寝袋と貴重品を持って入り込んだ。そこで朝まで寝袋を抱きかかえ、しゃがみ込んだまま、うつらうつらした。わが人生で、電話ボックスの中で宿泊したのはこの時限りである(笑)。

遥か頭上にそびえ立つ岐阜城をうらめしく見ながら過ごした一夜だった。

遠い昔の記憶の一光景が「麒麟がくる」の「長良川の対決」を見て、また鮮明によみがえったわけです。

翌朝、ロクに睡眠もとれないまま、早朝に岐阜公園を出て、飛騨高山に向かう。雨は止んでいたが、国道156号線を北上、美濃まで行くとまたパラついてきた。雨具をつけて走っていると長良川が近づいてきて、そのあと、ピッタリ道路と並行しはじめた。雨はまた本降りに。普段なら美しいはずの長良川も、この時は灰色に濁っていた。そのうち土砂降りになってきたので、たまらず道路脇の屋根付きバス停に避難し、約40分間、道路の横を流れる長良川を見ていた。雨の勢いが少し鈍ったところで再度出発。いつのまにか四方は山に囲まれ、まわりは山と川だけの風景に変わっていた。長良川と並走しながらようやく郡上八幡駅に着いた。

駅でトイレに行き、顔を洗い、歯を磨き、休憩した。郡上八幡はとてもいい駅だった。そこに45分間ぐらいいたが、雨が止んだようだったので再び出発。ここからは国道156号線と別れ「郡上街道」と表示された山間コースに入る。標識には、「高山まで78キロ」とあった。時計を見ると午前11時。あと78キロかとため息をつきながら、出発した。

と、話はここまでです。

それにしても、かつて斎藤道三の城だった旧稲葉山城を眺めながら電話ボックスで一夜を過ごし、翌日も長良川沿いの道を、雨と格闘しながら走った。

この一連のトホホな体験談を、いま改めて、
「長良川の戦い」
と名付けたいと思います。

 


 
岐阜公園から見上げた岐阜城(旧稲葉山城)は、
こんなイメージでした(写真はネットから)。


 
岐阜公園内で。今夜はここで野宿することに決めたのですが、
まさか大雨で公衆電話に避難しなければならなかったとはね。
(誰に撮ってもらったのか忘れた。自動シャッターかな?)



翌日、美濃へ入る前。道行く人に撮ってもらった。
美濃から郡上八幡までは、雨の中を長良川に沿って走った。


   
 郡上八幡駅に自転車ごと入れさせてもらった。
 ゆっくり安らげて、とても感じのいい駅でした。


 
さて、その郡上八幡駅を出てすぐに、
「高山まで78キロ」との標識があった。
かなり標高の高い山々が行く手に立ちはだかる。
「長良川の戦い」の次は「飛騨高山の戦い」だ。

 

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★おまけ

昨日は母の日ということで、モミィが一人で駅前の花屋さんへ行き、カーネーションを買ってきました。その写真です。


  

 

 

 

 

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