わが「珍友」の doiron クンが、
一昨日(18日)のモミィの誕生日に、
こんなコメントを送ってくれました。
↓
こうしてのんさんが綴るモミィちゃんの成長日記を、
大きくなって本人が読んだらうれしいでしょうね~
大河日記 「モミィの記は残った」 なんてね。
読みながら、クスクスと笑った。
大河ドラマ 「樅の木は残った」 …をもじっている。
うまいなぁ、相変わらず。
doiron クンのこのセンスにはいつも感心させられる。
「珍友」というより、年下ながら「畏友」と呼ぶほうがふさわしい。
ユーモアやパロディの達人だった井上ひさし氏がいなくなっても、
doiron クンがいれば寂しさも紛れるわい…と思うほどである。
その「モミィの記は残った」…じゃない、「樅の木は残った」の方は、
doiron クンもご存じないだろうけど、僕はかなりのファンなのである。
それにまつわる、忘れられない思い出がある。
それで今日はそのことを、つい書きたくなったわけで…
2006年(平成18年)の6月。
僕は脳梗塞に近い症状に襲われ、自宅療養を余儀なくされた。
その間、ほとんど床に伏せていたのだけれど、
病床で読んだ本が、山本周五郎の「樅の木は残った」だった。
この江戸時代前期に起きた伊達騒動を題材にした長編小説は、
調べてみると、1958年(昭和33年)に刊行されたものだった。
そしてNHKで大河ドラマ化されたのはそれから12年後、
1970年(昭和45年)のことだった。
大河ドラマ化される前年、つまり1969年だけれど…
僕は2ヶ月半をかけて自転車で北海道往復旅行をした。
その旅行中、仙台市を通ったとき、観光ポスターに、
「来年の大河ドラマの地、仙台市へようこそ!」
…という意味の宣伝文句が書かれていたのだった。
「へぇ、来年の大河ドラマは仙台が舞台なのか~」
と思いながら、そのポスターを眺めた記憶がある。
そのドラマというのが「樅の木は残った」なのだった。
でも僕は翌年のそのドラマは見ていない。
当時、まだ「遊び盛り」の大学生だったもんね。
自宅でTVドラマを見る習慣って、あまりなかった。
それから36年後。
何の縁か、病床で「樅の木…」を読んだのである。
読み終えると、今度は大河ドラマを見たくなった。
体が回復し、職場へ復帰できた頃、レンタルビデオ店で、
「樅の木は残った・総集編」というのを見つけて借りた。
平幹二朗が主人公の原田甲斐を演じ、
僕の好きな吉永小百合と栗原小巻が出ていた。
出演者たちの重厚な演技に、今のドラマとの差を見せつけられた。
そして8月、夏期休暇を利用して、宮城県へ行った。
この小説(ドラマ)の舞台は宮城県の柴田町というところである。
当時は仙台空港鉄道がまだ通っていなくて、仙台空港から、
タクシーでJR東北本線・館腰駅まで行き、列車に乗った。
そこから数駅先の、船岡という駅で降りた。
駅前に「原田ホテル」というのがあった。
原田甲斐にちなんでつけられた名前かな? たぶん。
船岡駅前(2006年8月27日撮影)
駅からテクテク歩いて船岡城址公園へ行く。
ここに「樅の木」があるということだ。
ところでその時、僕は一人でなく、地元の知リ合いの人と一緒だった。
空港からこの船岡城址公園まで、その人に案内してもらっている。
公園は全体が山の中にあり、入り口からズンズン登って行く。
やがて、こんな場所に出た。
この細い道を上がって行くと、一本の樅の木が聳え立っている。
詳しくは柴田町のホームページをご覧ください ↓
http://www.town.shibata.miyagi.jp/index.cfm/69,0,73,214,html
そして公園の山頂へ着くと、とても美しい眺望が目に飛び込んできた。
遠く蔵王も見渡せて、「美しい日本」をしみじみ感じるまさに絶景だった。
その風景を眺めながら、2ヶ月前の自分の体のことを思った。
不整脈から血栓ができて、その血栓が脳血管を詰まらせたのである。
一時的に右の上半身が麻痺し、ろれつが回らなくなった。
しかしあくまでもそれは一時的であり、幸いにも回復した。
「詰まった場所が脳の細い血管だったので、ラッキーでしたね」
ひとつ間違えば車椅子生活になるところでした、と医師は言った。
それがこうして、2ヵ月後には「樅の木…」ゆかりの地を訪ね、
まばゆいばかりに光り輝く風景を目にすることができている。
これ以上幸せなことがあるだろうか。
この気持ちを、いつまでも忘れないようにしたい…
そう、強く肝に銘じたことを思い出す。
あれから6年の歳月が流れた。
今、このブログを書きながら、改めてそのことを心に刻んでいます。
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