一昨日の16日の日曜日のこと。
4月からモミィが通い始めている高校からメールが来た。何かと思えば、
「教職員の方1名が新型コロナウイルスに感染していることが判明しました」
とのことでした。で、17日の月曜日から19日までの3日間は中間テストの予定だったのですが、とりあえず3日間は休校し、テストは20日からに延期します、という内容でした。そんなことで、昨日、今日、明日とモミィは「自宅待機」の状態です。
休校が延長されなければいいんですけどね~
ほんと、いつまでもコロナ、コロナで大変ですわ。
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さて話は変わり、また古い話になりますが、先日の14日は滋賀県の信楽鉄道事故から30年が経ったということでした。
信楽鉄道事故というのは、1991年(平成3年)の5月14日に、信楽鉄道の普通列車が赤信号を無視して出発し、JR西日本の快速電車と衝突して42人が死亡、600人以上の人が負傷した事故です。
この事故から30年が経ったと知り、「あぁ、あれから30年か」と、僕自身のあの日のことを思い出したのでした。
5月14日の朝日新聞夕刊
この1991年という年は、僕は16年間勤務していた市役所の議会事務局という部署を離れ、総務課文書法規係というところへ異動した年でした。4月1日に異動し、5月に文書法規係の全国職員研修会というのがあるので「出席すれば」と上司に勧められ、一人で研修会が開かれる福岡へ行きました(一人の出張って、何となくウキウキ)。
研修を受けたあと、夜は博多の屋台で一杯飲むことにしました。博多は屋台が有名ですもんね。せっかく来たんだから屋台にも行ってみなければ、と一人ブラブラ出かけました。
屋台でおいしいサカナをあてにお酒を飲んで、オヤジさんや隣に座っていた日経新聞社の記者の人らとおしゃべりを交わしたりしていい気持になり、夜の10時頃にホテルの部屋に戻りました。
そして部屋から自宅に電話をしたら…
電話に出た妻が、
「きょう滋賀県で大変な大事故が起きたの。ニュースはずっとそればかりよ」
と興奮した口調で話したので、
「えっ? そんな大事故が」
僕は酔いも覚め、電話を切った後、すぐに部屋のテレビをつけた。
妻が言ったとおり、テレビではその事故のニュースを報じていた。
そこで初めて信楽鉄道事故の詳細を知ったのだった。
なので、今でも信楽鉄道事故と言えば福岡を思い出すのです。
ところで、
事故を報じるテレビを見ていたら、次のニュースがまた衝撃だった。相撲界に君臨していた大横綱の千代の富士が場所中、急に引退を表明したのだ。
「へぇ、千代の富士が引退!」
ニュースでは、千代の富士が会見で「体力の限界!」と涙ながらに振り絞った言葉が耳に焼き付きました。
千代の富士の引退記者会見。
そうして一夜が明け、翌日、朝食を食べていると、テレビのニュースで、
「安倍晋太郎氏が死去されました」と報じられたのでまたビックリ。
安倍氏は当時、自民党の幹事長で、さらに元総理大臣の岸信介や佐藤栄作の親族で、次期総理候補として注目されていた著名な政治家だったので僕もよく知っていた。むろん、去年まで総理だった安倍晋三氏の父親としても知られていますよね。その安倍晋太郎氏が病気で亡くなったのがこの日でした。
安倍晋太郎氏。
1991年(平成3年)5月14日。
福岡へ研修に行った日。信楽鉄道事故があり、横綱千代の富士が引退し、翌朝には総理大臣候補だった安倍晋太郎氏の突然の訃報と、3つの大きな出来事があった…。そのことを、僕は今でもよく覚えています。
あれから30年が経ったとは。
早いです。