NHK大河ドラマ「真田丸」も後半に入って、
益々面白くなり、目が離せなくなってきた。
今回は、太閤秀吉に子供(後の秀頼)ができたことで、
関白秀次が「自分は邪魔な存在なのでは」と不安を抱き、
あげくの果て自害をしてしまうシーンがヤマ場だった。
ところで今回のドラマで、真田信繁(幸村)は、秀吉から、
大谷吉継(片岡愛之助)の娘と結婚するように命じられる。
信繁はその時、同時に、秀次の娘を側室にすることも決心する。
秀次は自害したけれど、それに怒った秀吉が、
彼の一族を皆殺しせよと命じるのであるが、
秀次の娘たかは、隠れていて、難を逃れる。
たかを発見した信繁が、彼女を側室にする、と決めたのだ。
さて、ドラマの本編が終ると、その日の物語のゆかりの場所の、
現在の風景が紹介される「真田丸紀行」というコーナーがある。
今回は、秋田県の由利本荘市という所が紹介された。
「この地にも真田家の息吹きを感じることができます」
というナレーションが流れた。
で、なぜここなのか…と言えば、
信繁と側室のたかの間に、女子が生まれたと伝えられるが、
その女子は「お田(でん)の方」といい、そのゆかりの地が、
ここ秋田県由利本荘市であるというのだ。
お田の方は、この地の亀田藩で、
藩主の正室として、暮らしていたという。
テレビ画面に、現在の亀田城跡が映り、そして次に
お田の方が両親の菩提寺として建立したと言われる
「妙慶寺」というお寺が紹介された。
そのお寺には、お田の方が着用したという甲冑が残されていた。
甲冑の兜の部分には、六文銭がくっきりと刻まれていた。
この日の「真田丸紀行」は、最後に
「妙慶寺 JR羽後亀田下車 徒歩15分」
という字幕が出て、終った。
真田丸の今回はこれで終った。
でも僕はこの「真田丸紀行」を見て、胸が騒いだ。
亀田…という地名は、
僕の中では忘れがたい地名として刻み込まれている。
映画「砂の器」に結び付くのである。
1974年(昭和49年)に公開された日本映画屈指の名作である。
(原作・松本清張、監督・野村芳太郎、音楽・芥川也寸志)
僕はこれまでの生涯に見た映画で、
最も感銘を受けた映画を一つだけ挙げよ…
…と言われたら、迷わずこの「砂の器」を挙げる。
その「砂の器」は、ご承知の方も多いと思うが…
東京の蒲田駅操車場で、中年男性の他殺体が発見される。
その殺された被害者のポケットからバーのマッチが出てくる。
丹波哲郎らの刑事がそのバーへ聞き込みに行くと、従業員が、
被害者と若い男との間で「カメダ」という言葉が交わされた…
「カメダはどうしたとか、カメダは変わらないとか」
従業員にはズーズー弁、東北訛りに聞こえたという。
この「カメダ」が、事件の突破口となる。
丹波哲郎が「カメダ」というのは人の名前ではなく、
地名ではないか? と捜査会議の席で言い、
若い刑事の森田健作と秋田県の亀田へ行く。
この映画は、丹波哲郎と森田健作が、汗を拭きながら、
羽後亀田駅に降りるシーンから始まるのだ。
そして、地元警察の協力を得て、
不審人物に関する聞き込みなどをするが、
何の手がかりも得られないまま帰京する。
結局、途中で「カメダ」は、秋田県の亀田ではなく、
島根県奥出雲の亀嵩(かめだけ)ということがわかったが、
なにせ映画の冒頭だから、羽後亀田には強烈な印象が残った。
日曜日の夜に「真田丸紀行」を見て、
信繁と秀次の娘の間にできた子が亀田に住んでいた
という話を知ると、これまで数えきれないほど見た
「砂の器」をまた見たくなり、我慢できなくなった。
そこで昨日の月曜日、ツタヤへ行って、
「砂の器」を借りてきて、夜に妻と一緒に見た。
もう、40年以上、この映画を見続けているので、
セリフの一つひとつも、ほとんど覚えてるわけですが…
それでも、今回もまた「あぁ、何度見てもいい映画だなぁ…」
というため息交じりの感想は、やはり変わることはなかったです。