このブログで初めて大坂の陣のことを書いたのが、
昨年12月に発行されたこの地元紙を見た時だった。
大坂夏の陣で最激戦地だったという我が町・藤井寺市の道明寺。
その戦いから400年となるのを機に、11月に記念碑が建った。
その除幕式に、合戦にかかわった
3人の武将の子孫がゲストに招かれた。
3人の武将とは…
豊臣方の後藤又兵衛、真田幸村、そして徳川方の
伊達政宗の家臣・片倉小十郎の子孫の方だという。
そのお3方が地元の協会長と共に固い握手を交わし、
「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」
と見出しがつけられた…という次第でした。
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去年の4月から1年間、楽しみに見ていたNHK大河の再放送
「独眼竜政宗」も先月で終わってしまい、寂しくなった。
来年1月から堺雅人が真田幸村を演ずる大河ドラマ「真田丸」。
それが、今からもう、楽しみで楽しみで仕方ない。
(他に楽しみがないものですから…)
先日も、津本陽の「幸村去影」という小説を読んだ。
真田幸村や大坂の陣への関心は強まる一方である。
そして、幸村と並んで奮戦した猛将が、後藤又兵衛であった。
その後藤又兵衛の碑が、玉手山というところにある。
今は「玉手山ふれあいパーク」という自然公園になっている。
そこで先週のお天気のいい日に、ウオーキングを兼ねて、
道明寺合戦の舞台となった場所をうろうろと歩き、
「玉手山ふれあいパーク」にも行ってみた。
玉手山は藤井寺市に隣接する柏原市にありますが、
場所については、ここをクリックしてください。
http://www.walkerplus.com/spot/ar0727s64227/map.html
その時に撮った写真を掲載します。
昨年11月、近鉄南大阪線の道明寺駅前に建った記念碑。
この幟があちらこちらに立てられている。
こういうのにも行ってみたい。
道明寺から石川を渡り、坂道を登って玉手山ふれあいパークへ。
ここはかつて「玉手山遊園地」といい、
西日本では一番古い遊園地だった。
僕らの子供の頃は「遊園地」といえば玉手山のことだった。
しかし時代とともに徐々にさびれ、平成10年に閉園となり、
それ以降は柏原市営の自然公園となっている。
この日は平日ということで、人影はまったくなかった。
桜は散り始めていたが、お花見の雰囲気は残っている。
ここへ家族を連れてお花見に来てもよかったんだな~。
入り口(現在地)は左上で、そこからずっと園内を歩き、
図の右端の上のほうに、後藤又兵衛の碑がある。
後藤又兵衛をはじめ、大坂の陣に関する人物の
撮影用「顔くりぬき人形」が。 右は淀君。
その隣に、左から太閤秀吉。千姫。豊臣秀頼。
うわぁ~。出ました~。モミィの千姫です。
これは去年9月に遊びに来たとき撮った写真です。
何しろ小さくても「山」ですから、坂道を登っていきます。
左側にある「おもちゃ館・歴史館」というところに入ってみた。
どこもかしこも、ひっそりとしています。
「歴史館」の中には大坂の陣に関する資料が展示されていた。
これは、道明寺合戦の、各武将の動きが図示されたもの。
400年前の5月6日のことである。
後藤又兵衛はこの戦いで討ち死にし、
翌7日には天王寺で真田幸村が亡くなり、
さらに8日に秀頼と淀殿が自決し、豊臣家は滅んだ。
「後藤又兵衛の碑」などの標識。
「ちびっ子ゲレンデ」には、モミィが1年生の時、遠足で来た。
ずんずん登っていく。それにしても、人がいない。
ちょっと気持ち悪い。「追い剥ぎ」が出てきそうだ(笑)
坂を上りきったところに、後藤又兵衛の碑があった。
その左側に見えるのが「後藤又兵衛しだれ桜」だった。
桜は半分散っていた。もう少し早く来ていたら…
後藤又兵衛の碑。
さぁ、下りよう。
別の出口から出た。
いいお天気で、玉手山からの眺めもよかった。
そして昨日、真田幸村が戦い、討ち死にした
天王寺から玉造の周辺などを歩いてきました。
次回はそのフォト日誌をつづります。