友人のドイロン君に誘われて、堺市と高野山を結ぶ西高野街道を歩いた。
西高野街道とは、ウィキペディアには「平安時代後期から鎌倉時代初期には高野参詣道として使用されていたと考えられている。室町時代から江戸時代には、商港堺と高野山との物資輸送でにぎわった」とある。
「にしこうやかいどう」と入力したら、「西荒野街道」と出た。もう一度変換すると、次は「西校や街道」と出た。西高野街道ですので、お間違いなく(誰も間違わへんわ)。
こういうコースです。↓
http://kaidouarukitabi.com/map/rekisi/kouyakaidou/nishikouyamap.html
この日はもう1人の仲間、飯〇君を入れて3人での街道歩きである。ドイロン、飯〇両君は、五十代半ばで、僕にとっては年下の友人だけれど、2人ともマラソンやトライアスロンの経験が豊富で、国の内外を問わず、あちらこちらのレースに出ているいわば「鉄人」であり、僕など足元にも及ばないアスリートである。その2人と一緒に、堺市のJR三国ヶ丘の駅から河内長野までの街道歩きを楽しんだ。(終点の高野山まで歩いたわけではありません。遠過ぎますもんね)
ドイロン君作成のコース一覧(2ページにわたり40ヵ所書かれていました)
この街道歩きの“主催者”は、博識なドイロン君だ。事前にコースの地図と「みどころ」を一覧にした資料をもらい、この日も、僕はその資料を見ながら、ドイロン君について行った。そして、街道筋にある道標やお地蔵さん、お寺、燈籠など、何十ヵ所もあるいろいろな「みどころ」を説明してもらいながら歩いた。学校の社会見学で、先生について歩く生徒みたいなものである。
道が分れているところで、「野ざらし薬師如来」という像を彫った道標があった。そこに「東ふじい寺 なら」と刻まれているのを見たときは、「あぁ、この道を行けば藤井寺へ通じるのか」と、ちょっと嬉しい気がした。こういう道標は、わかりやすくていい。
僕らが住む地域には、高野山や伊勢などにつながる街道が数多くある。僕も普段から「街道」を歩いているはずなのに、昔の面影を残す多くのものがあることにはほとんど気づいていなかった。しかし、こういう視点で歩いてみると、見る世界も変わってくる。そんなことを実感した1日だった。
ただ、残念なことに、デジタルカメラを持参したのに充電するのを忘れていて、数枚撮影したところで「電池切れ」のメッセージ。あぁ、失敗や~と、そのあとは、写真を撮りまくっていたドイロン君に「またいい写真があったら送ってね」と言いつつデジカメをリュックにしまった。…で、帰りの電車の中で僕がスマホを取り出したら、飯〇君がそれをのぞき込み「スマホを持ってはったんやったら、それで写真も撮れたでしょう?」と言った。「あ、ほんまや。忘れてたわ」とがっくり。相変わらずマヌケな僕である。
街道歩きの詳細は、僕の乏しい知識ではとうてい描写できないので、今日はそういうウオーキングをしたということの報告のみにしておきます。歩いた距離は、ドイロン君がスマホで計測したところによると約18キロだそうです。最近、あまり長い距離を歩いていないので、ちょっと疲れました。ビールばかり飲んでいないで、ウオーキングのほうも頑張らなくてはねぇ。
アタマと足の両方を鍛えるのにも、街道歩きはいいようです。
この日、ドイロン君は、こんな栞(しおり)もくれました。
ドイロン君自身が作ったものです。さすが~。多才ですね。
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