僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

母のこと

2014年06月21日 | 日常のいろいろなこと

昨日、朝にサッカー日本対ギリシャ戦を見た後、10時からコスパ・ヨガ教室に出かけた。先週の月曜(9日)、トレーニング中に左足のすねの血管が破れて腫れるというアクシデントがあってから、しばらく運動は控えていたが、そろそろ痛みも緩んできたので、2週間ぶりにヨガ教室へ行ったわけ。患部をかばいながらまずまず無事にやり終えることができた(明日22日は「日本ウダウダ会」の歩く会があり、京都・宇治の平等院周辺を歩くことになっているが、これにも参加できそうである)。


ヨガを終えていったん帰宅し、昼食後、母が入所している特別養護老人ホームへ行った。これには、ちょっとした経緯があった。


先週のこと。特養から電話があり、定期健診での胸部X線検査で母に異状らしきものがみられたので、再検査をするので来てください、という要請があったのだ。


で、13日(金)に特養へ行き、医務室に案内された。そこに詰めている医師がパソコン画面に母の肺の部分の画像を映し、
「レントゲン検査でちょっと気になるところがありましたので、再検査しました。これ、CTの断層撮影の画像ですが…」
と言った。


「は…、そうですか。で、その結果は…」と僕は聞いた。
医師は肺の部分をマウスを操作していろんな角度で僕に見せて、
「このあたりがねぇ…」と言いながらも、
「何もないのかなぁ?」とつぶやいたあと、
「まぁ、また来年の定期健診で検査をしたらいいかな?」と僕を見て、
「そういうことです」と言い、またパソコンに視線を移した。


僕はホッと安心して「わかりました。ありがとうございました」
と、医師と周囲にいた3~4人の看護師さんに一礼して、医務室を出た。
あぁ、何もなくてよかった~


母はいま85歳。ひとり暮らしをしていた8年前に、近所の人とカラオケを歌っている最中に、脳出血で倒れ、救急車で運ばれた。それ以後、半身不随で車椅子生活となり、要介護度は最も重い「5」である。早い時期に母が特養に入所できたおかげで、僕としてはずいぶん助かっているところだ。


それが先週の話である。


ところがまた今週に入って特養の看護師さんから電話があり、
「やはり先生は気になるということですので、もう一度来ていただけませんか」
と言われた。
そんな経過があって、昨日の午後、再び特養に出向いたのである。


「すみませんねぇ、何度も」と医師は僕を横に座らせて、またパソコンを覗き込んだ。「ここがねぇ」と言われても、肺の部分の画像を見ただけで僕にはどこが「異状」なのかピンとこない。


「やっぱり気になりますので、〇〇病院で精密検査を受けるのがいいと思います。紹介状とCT(のディスク)を持って、〇〇病院へ行ってください」
と医師が言った(病院までの送り迎えは特養がしてくれる。僕は付き添いである)。


僕は「考えられる症状というのは、具体的にはどういうものでしょうか」
と質問した。医師は、
「う~ん、ガンか、炎症か、血管の何かか…? まぁ、あるとしたらですが」
と答えた。


〇〇病院は僕もよく知っている。モミィが2ヵ月に一度、妻に連れられて診察に通っているし、僕も一緒に行くことが多い。患者数がとても多い病院で、いきなり行くと丸1日近く待たされることも珍しくない。僕は周囲にいた看護師さんたちに、「予約をしてもらえますか」と頼んだ。本来、初診の場合は予約できないというのがその病院のシステムだったので、不安だった。だから「予約を」と頼んだのだ。そのうちの1人の看護師さんが〇〇病院に電話をし、医師の紹介状があれば初診でも予約できるということを確認してくれた。


そういうことで、来週火曜日の午前に特養へ行き、そこの車で母を〇〇病院へ連れて行くことになった。妻は直接病院のほうに行ってくれるという。


W杯に熱中ばかりしていられない状況になってきた。


でもまぁ、それとこれとは、また別問題かも知れないですけど…。


 

 

 

コメント (6)
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