僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

最近また耳鳴りが…

2013年03月02日 | 心と体と健康と

あぁ、それにしても耳鳴りがうるさい。去年の12月あたりからこれまで以上に音が大きくなったように感じ始めたけれど、今年1月に風邪で体調を崩したときからさらにまた大きくなったような気がするのだ。

ような気がする、というのは、耳鳴りは他の症状のように具体的な数値が出ない主観的なものなので、そんな言い方しかできない。気のせいだか何だかわからないが、「苦痛度」が増しているのは事実である。何とかならないものか。

慢性的な耳鳴りはこれといった治療法がなく「慣れる」しかない…というのは、このブログでも何度も書き、自分自身にもずっと言い聞かせてきたことである。
しかし、発症して5年半になるけれど、耳鳴りの音は小さくならない。いつまで経っても慣れることはできず、気になるものは気になるのだ。

いつ頃からか、良くなることを期待すればするほど失望も大きくなるので、まあ、このままで仕方ないか、と思うようになった。数年間続けてきたTRT療法も休止した。「なるようにしかならんわ」という「ケセラセラ~」の心境だった。

でもそれは、あくまでも耳鳴りの音がそれ以上大きくならないということが前提だった。…あぁ、それなのに、それなのに。5年以上経ってから、音がまた大きくなるとは思いもしなかったことである。このままどんどん大きくなっていったらアタマがおかしくなるんじゃないか、と不気味な不安すら覚える昨今である。

TRT療法に使っていた器具も故障のまま放置しているし…。来週あたり、大〇前病院へTRT療法再開の予約電話を入れようかと思ったり、ええい、どないでもなれぇ! と開き直ったりと、心もいささか乱れ気味である。

そんなことで、不安になればなるほど耳鳴りを大きく感じる悪循環に、これ以上ハマらないよう、胸の中によどんでいたものを、今日ここでチョロリと吐き出した次第です。少しは楽になれるかも、ですね。

余談ですが、うるさい、というのは漢字で「五月蝿い」と書きますよね。五月の蝿がブンブンとうるさいから「五月蝿い」となったそうですが、五月の蝿どころか耳鳴りはもっともっとうるさいです。この際、「耳鳴い」という漢字も「うるさい」と読むように、加えてもらいたいものです。

ふぅ~ (と、ためいき) 


 先日読んだ田辺聖子さんのエッセイの中で「人生は、だましだまし保ってゆくもの」という一文がありました。そして「すてきなのは、いくつになっても人生を面白がっている男」という一節も。
僕も耳鳴りを気にし過ぎて落ち込んだりせず、「だましだまし」の精神で、残りの人生を面白おかしく過ごせるようにしたいなぁ、と念じています。


では皆さま、良い週末を!

 

 

 

 

 

コメント (2)
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