先週亡くなられた作詞家の吉岡治さんは、実に数多くのヒット曲を生んでこられた。僕はその中でも、特に「さざんかの宿」の歌詞が好きだ。
♪愛しても愛しても あぁ人の妻
赤く咲いても 冬の花
咲いて 寂しい さざんかの宿
♪燃えたって燃えたって あぁ人の妻
ふたり咲いても 冬の花
春はいつ来る さざんかの宿
ふ~む。なんとも言えぬ儚(はかな)さが漂う歌詞ではないか。
ところで、吉岡治さんといえば、かつて美空ひばりの「真っ赤な太陽」の作詞もされた人である。「真っ赤な太陽」には、忘れられない思い出がある。
1967年(昭和42年)のことである。
大学1年生(18歳)の秋に、NHKのど自慢に出場して「真っ赤な太陽」を歌った。そして、鐘が乱打され、会場は拍手喝采に包まれた。テレビを見ていた親類や知人から、わが家に100以上の祝福の電話がかかって来た。「19の春」ならぬ「18の秋」の、人生で最高の思い出だ…
…というのは実は「真っ赤なウソ」です。 すみません。
以下は本当の話です。
学生時代、趣味で「邦楽部」に入り、尺八を吹いていたことがある。
大学1年生の秋に、厚生年金ホールを借り切って、部の演奏会を開いた。
そこで「六段の調べ」や「春の海」だけでは面白くないだろう…という話が出て、当時流行していたノリのいい「真っ赤な太陽」を、エレキギターをバックにして尺八を独奏する演目を入れることにし、1年生の僕がその独奏をやれ、ということになった。そして舞台に立ち、それを演奏したのである。あれから40年以上経つというのに、そのせいか「真っ赤な太陽」のタンタンタッタラララ~ラ~というイントロから「真っ赤に燃えた~太陽だからぁ 真夏の海は 恋の季節なの~」という歌詞と曲が、今でも何かの拍子に頭の中を駆け巡るのである。
…という思い出である。
それも真っ赤なウソだろ…と言われないため、たしか当時の演奏会の写真があったと思い、それをここへ掲載しようと探してみたが、見つからなかった。
でも、これは本当の話です。
ウソをついてまで書くほどの大した話でないのが、その証拠ですね。
「吹いたのは尺八ではなく、ホラだろ」
な~んて言われるかもしれませんが…。