昨日のブログでご紹介した男性の方は、青森県八戸市にお住まいのTさんである。僕の自転車旅行記を、ずっと読んでくださっていた。
Tさんは、今年の3月27日のこのブログに「jk0178」というお名前で、コメントをくださった。それ以来、何度かメールをいただき、昭和44年の僕の自転車旅行にちなむ土地を巡られたときは、そのご報告などをいただいていた。
中でも驚き、感動したのは、僕が旅行中、八戸でお世話になったご家族を、ブログを読まれたTさんが訪ねて行かれたときの話であった。読んでいて、涙が流れた(次回に紹介させていただきます)。
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その40年前の自転車旅行。
北海道のオホーツク海岸のデコボコだらけの道を、北西から南東(網走方面)へ向けて走っていると、向こうから女性のサイクリストが走ってきた。真っ黒に日焼けしていたので、最初は男だと思っていたら、
「あら~、こんにちは~」
と可愛い女性の声だったので、びっくりした。
彼女も僕と同じ20歳で、しかも大阪に住んでいる子だった。
道端で立ち話をしている間に意気投合して、彼女は、今夜は僕のテントに泊めてくれ、と言った。僕はテントで野宿をすることが多かったが、彼女は、さすがに女性だけに、すべて旅館に泊まっていた。
「でも、一度野宿がしたかったの」というわけだ。
僕たちはすぐそばの海岸で、乳牛が草を食んでいるのを横目で見ながらテントを張り、近くのよろず屋で食糧を買い込んで、夜にはビールを飲み、キャンプファイアーをした。
翌朝、彼女は「もう1泊したい」と言ったので、また買出しに行き、その日は一日中、オホーツク海を眺めながら、とりとめのない話をした。
彼女は日本一周をしていた。
20歳の女性が、日本一周ひとり旅である。すご~い。
何ヶ月か後、無事に日本一周を終えた彼女は、その世界ではちょっと有名になり、ある自転車雑誌に彼女の特集記事が載った。
それを読んでいると、インタビューの中で、
「最も印象に残ることは…?」
という、記者の問いかけに、彼女は、
「北海道で出会った大阪の男の子と、一緒にテントで泊まったこと!」
と言っていたので、思わず笑ってしまった。
その「大阪の男の子」も、今は60歳である(…ためいき)。
…当時の自転車旅行には、こんな珍妙な思い出がヤマほどある。
さて、次の朝、彼女と分かれて、再び一人で網走方面を目指して走って行った僕である。
夕方近く、湧別というサロマ湖の手前にある小さな町に入った。
たまには旅館に泊まって、お風呂に入りたいと思ったが、こんなところに旅館があるのかどうか…?
そこに1軒の小さな駐在所が目についた。
僕は中に入って、おまわりさんに、「どこか旅館はありませんか?」
と訪ねた。すると、そのおまわりさんは、
「ここへ泊まりなさい」と、親切に言ってくれたのである。
おまわりさんは、そこそこ年配の人であったが、家族と離れてここで一人で暮らしているという。
その夜、僕はこの駐在所で、一宿一飯の恩義にあずかった。
翌朝、おまわりさんは僕に昼食用のおにぎりを作ってくれた。
「ありがとうございました」
僕は心からお礼を言って、その駐在所を後にした。
この、ほぼ、夢の中に埋もれかけていた記憶を、呼び起こしてくれたのが、今月16日にいただいたTさんからのメールであった。
Tさんは北海道旅行に行かれ、この湧別の駐在所を訪ねられたのだ。
Tさんからのメールには、
北海道に出かけて帰ってまいりました。
摩周湖と湧別の駐在所の写真を送ります。
当時、○○様(僕のこと)が泊まられたという駐在所も、
小奇麗な感じに建て直されて
今は若い駐在さんが家族と住んでいるという雰囲気でした。
残念ながらだれもいませんでしたが…
そう書かれていた。
そして、摩周湖の写真と共に、湧別の駐在所の写真が添付されていたのである。
湧別の駐在所 ……!
なんとまあ、懐かしすぎるではないか。
僕は、しばらく唖然として写真を眺め続けた。
Tさんが送ってくださった写真。
「遠軽警察署、湧別駐在所」とある。
モダンな建物になっていたが、なんとなく面影がある。
昭和44年当時の同駐在所。
「遠軽警察署、湧別警察官派出所」とある。
なんとなく面影は…う~ん、ありませんかね~?
40年経ってから、こういう写真を送ってくださる方がいらっしゃろうとは…
旅行は、1回1回が、それぞれ単発ドラマである。
しかし、こうした出会いがあると、40年の歳月を経て、あの自転車旅行が、今も続いていることを思わないわけにはいかない。
単発ドラマを、大河ドラマに変えていただいたことに、心から感謝したいと思っている。