かつて、私が中学三年の春休みの時、サイクリングで九州を一周しました。
半世紀近く前の事であり、現在の交通事情や都市事情とは全く違っているのですが、
当時としても、北九州の福岡と言った大都市の喧騒からすると、南九州は、まるで
時が止まったかのような穏やかな街が多く、人々の表情も語らいも、まるで
おとぎ話に出て来るのどかな風情でした。
当時、福岡に住んでいて、希望の高校にも合格し、のんびりと10日間の卒業旅行でした。
現代は、交通網が発達して、何処の街も都会と変わらない雰囲気の所が多いのですが、
大きな荷物を乗せたサイクリング車は、殆ど見かける事は無く、自転車で旅行をする者は
かなり珍しがられたものです。
行き交う車もさほど多く無く、山間部に入れば、何分も車とすれ違う事がない事は普通で
日本は、本当に山ばかりの国だと言うのを実感したものです。
泊まる旅館は、ユースホステルや出来るだけ安い旅館を使ったのですが、何処に行っても
一人旅は注目を集めるもので、旅館の人にも、同じ宿泊者たちとも、話が弾みました。
大分を過ぎて、いよいよ南九州に入って来ると、景色は一変します。
至る所で、南方系のヤシやシュロの並木が増え、春先とは言え、様々な花が咲き乱れます。
そんな時、のんびり農道を走っていると、遠くから声が掛かります。
離れた畑の中で、数人が座って食事をしています。
声のする方へ自転車を進めると、挨拶をする間もなく、座らされ、次々に美味しそうな
オニギリやオカズが並びます。
全く知らない人達なのですが、まるで親戚を訪ねた時の様な持て成しです。
思いがけない所で昼食と成ったのですが、その後、道を尋ねたり、少し休んでいると、
いつの間にかに、何やら食べ物が集まって来ます。
まるで、孫が帰って来たかのように、何人ものお年寄りが笑顔で集まって来たり、
突然、庭先に通されてお茶やお菓子を振る舞われます。
宮崎を過ぎ、鹿児島への道を進む間も、至る所で、沢山のおもてなしを受けました。
旅行をする間、至る所で、それまで味わった事の無い人の温もりと優しさを感じる旅でした。
旅人に対するおもてなしの精神は、昔から日本各地に根付いているものなのですが、
これ程にも、ただ、旅の通過点でしかない場所で他人の暖かさを感じた事は有りませんでした。
それから、数年が経ち、私が選んだ大学は、鹿児島の大学と成ったのは言うまでも有りません。
私の故郷は、近畿地方でも人に対してはあまり関わらない立ち入らない文化があり、いわば
現代社会の様に、個人的な利益を求める消費経済社会の典型でした。
そんな幼少期を過ごして来た事から、この南九州の人達の、裏表のない、まるで誰もが家族の様な
親し気な接触は、ある意味、カルチャーショックでもあったのです。
この事は、現在に於いてもあまり変わらず、帰郷と言えば、自分の生まれ故郷を考える以上に
大学生時代を過ごした南の地を思い浮かべてしまいます。
妻は、地元で知り合って結婚したのですが、子供達も、私の実家に帰るより遥かに鹿児島に
変える事を喜びます。
何と言っても、一度帰れば、親戚中全てが集まり、友人達も大歓迎と成ります。
私の実家は、たとえ近所に親戚が有っても、よほどのことがない限り集まる事は無く、
親戚同士、子供同士で有っても、独立して生活していれば、用事がない限り集まる事無く
互いの生活とプライバシーを守るような風習が有ります。
土地柄と言えばそれまでですが、家族親戚兄弟、更には、近所の人達全てがお互いの事を気遣い
何かあればあっと言う間に集まって協力し合います。
この事は、日本の田舎に行けば多く見られる日本社会の昔からの傾向と思われますが、
現代社会に於いては、ネット情報等の急速な広がりによって、日本のどこでもあらゆる知識が得られ
都会と田舎の人々の特性が殆ど無くなっています。
都会で売られている物の殆どが地方でも手に入り、メディアを通じて、流される知識と感覚が
日本人の共通の考えと成っています。
物事に対する価値観も、中央と地方との差が殆ど無くなり、日本人の考え方も、より一層経済的で
社会的価値観を求める様に成って来ています。
特に、メディアを通じた情報は、日本中が同時に共有する事も有って、便利である反面、
情報発信者達の思惑通りに社会が運営されて行く危険性をはらんでいます。
とは言うものの、いまだに残る日本各地の日本人特有ともいえる豊かな感性と対人的優しさは、
経済社会として、超近代化を進めている日本社会に於いて、少なからず心の癒しとも言えます。
しかしながら、問題は、この日本人の心をいまだ忘れないで伝えているのが高齢者で有り、
近代化に苦慮しているのも高齢者なのです。
確かに、便利で経済的な社会は、日本人の生活をより豊かにするのかも知れません。
高齢者であっても、コンピューターを扱い、日常的にスマホを使いこなしている人も多いです。
しかし、その事で、高齢者達は、幸せに成ったかと言えば、そうとも言えないのです。
あらゆる物がネットで繋がり、便利になった反面、日本人の対人的な心の繋がりは
一向に希薄で有り、物で生活が豊かに成ったとしても、人の心で豊かに成る事が少なく
近代的で便利な機器で癒そうも、心の底からは満足できな日本人はとても多いのです。
人の気持ちを察して、他人の心をも幸せな気持ちにさせる事に喜びを感じる日本人が
著しく減っている事が気に成ります。
例え、お・も・て・な・し、と世界に日本の心を発信したとて、その陰には、
莫大なる利益を目論んでいる人達が居る事で、商人的なしたたかさは感じても
日本人の美しい心は全く感じる事が出来ません。
私が、かつて九州を自転車旅行して感じた、あの他人に対する無欲で一途なおもてなしは
日本人が求める本当の心で有り、誰の心も幸せにし、生きる喜びを与えるものです。
今や、子供達に、人の心を癒し他人に幸せを与える教育がどれ程有るでしょう。
経済社会で社会的な地位や財産を得る事を目的とした教育は、人と人の心を遠ざけ
お互いに争う事は有っても、心から信じ癒し合う事は有りません。
いつも他人の持ち物が気に成り、自分の価値を、社会的価値でしか量れない日本人に
世界の人々を、本当に、おもてなしできるとは思えません。
私たち日本人は、明治以降、多くの経済的利益は得たものの、日本人が育てて来た
日本人の豊かで人情味の有る心を失い、太古の昔から私達を育てて来た美しい日本の自然を
破壊してきました。日本中の自然が破壊されると共に、日本人の心も失われて行ったのです。
なぜ、人も羨む様な生活が出来ても、欲しいものを何でも手に入れても、心が満足できず
常に他人の持ち物が気になるのでしょう。
永遠に続く物欲が、自分の心を癒すどころか、いつも自分の心を苦しめているのが解らず、
経済的価値を追い求める事で、多くの人々の心を傷つけている事も有るのです。
しかし、他人を押しのけ傷つけても、上に立てばいいとする社会に生きている限り、
その負い目は無く、誰かに傷つけられて初めて、人の苦しみを知る人が多いです。
人間の英知が、あらゆる便利な物を生み出し、経済的に豊かな生活を生み出してきたのですが、
それらは全て、私達の心を癒し幸せにする為の道具であったはずです。
道具は、決して人の上には立たないのです。
社会的な道具を求め続け苦しみ続け、やがて、道具で他人を苦しめる事が、私達人類の
目的であったのでしょうか。
他人の上に立つ人達の不祥事不義が何故目立つのでしょう。彼らは、自分の心を棄てて
社会的価値のあるものを自分達の目的としてしまったと言えます。
残念ながら、人の心の素晴らしさ、豊かさ、暖かさを、本当に感じた事が無く
社会的な価値を求める事だけを目指す人生を送ってきたのでしょう。
人の心が解らないから、自分達の行った事でどれだけ多くの人の心が傷ついたか
全く理解できないのでしょう。
三つ子の魂百まで、と言う諺が有りますが、私が学生の頃出会った本当に心の豊かな
人達が居たからこそ、今の年まで、求めるものを見失わないでいられたと思われます。