めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

コンピューターに、いつの間にか操られる社会

2016-01-09 15:00:22 | ネット社会

様々な情報が手に入るようになると、自分が持っている情報が
常に、新しい情報に変わる可能性が有ります。
世の中の流れと同じく、絶対的な物と思われたことが、
いとも簡単に覆され、思っても見ない新しい展開を迎える事は
決して珍しい事では有りません。
その為、人々の心も、常に流動的で、自分の持っている情報が
常に正しいとは限らず、新しい情報に変わっていく可能性を
常に抱きながら生きています。

この事は、多かれ少なかれ、昔から人々の生活の中で、自然に

淘汰され、新しい物へと変わって行った事でも解ります。
しかしながら、近年の変化は、あまりにも著しく、しかも、グローバルな
膨大な情報として人々に雨の様に降り注ぐ事から、多くの人々は
その変化を、ただ受け入れる事に終始している状態です。

特に、ネットの発達は、この変化を日常的なものとし、昨日の事実は

今日になれば、否定されることは珍しい事ではなく、人々の心は
いつも流動的で、心の居所を定める事が難しい世の中となっています。

この事は、対人関係に於いても著しい変化が見られ、特に情報に

影響を受けやすい若い人たちにとって、自分の存在を固定する事は
生きる術としては好まれず、誰もが、その時その時の情報に合わせ
自分の生き方を変えられる、極めて個人的な感覚で生きています。

人の社会は、御互いに争うことなく、気持ちを察する事により、

自分の立場や相手の立場を考え、御互いの利益を確立してきたのが
従来の姿でしたが、今や、ネット等の膨大な情報に生きる人達は、
自分が感じて察する対象が情報の世界と成り、その中に生きる事で
実際の対人関係は、希薄になりつつあるのです。

アナログの世界に生き、対人的なやり取りで生きて来た世代にとって、

情報を相手にして、現実の世界を二の次に考える今の若い世代に
全く心が読めず、単に年齢的な物ではなく、全く生きる世界が違った
人種と同居している事を知らなければなりません。

期待感を込めて、対人関係に心を委ねない人たちが、いずれその事で

様々なトラブルを起こし、本来の人としての生き方を学ぶものだと、
前世代の方々は思うのですが、実際は、すでに、私達と彼等とは
生きる星が違う異星人であることを認めない限り、この溝を理解し
共存する事が出来ないのを知る方が大切なのです。

ネット社会と言うのは、私達の生活を改善し、より素晴らしい未来に

導いてくれると思ったのは、開発した人達と過去の人々の幻想であり、
蓋を開ければ、実は、全く、新しい、すでに、人がコントロールできない
下手をすれば、逆にネットにコントロールされる社会が生まれています。

世界を動かすあらゆる流れがネットの力で動かされ、更には、

争いに於いても、人の争いと言うより、ネット間の争いに発展し、
私達人類は、自分たちの開発したコンピューターによって支配される
映画の世界が、実は、現実のものとして始まっているのかも知れません。

すでに、若い人達や、ネットを利用して生活や仕事をしている人たちは、

自分たちの生き方全てがネットの支持のもとに動き、いつの間にかに
手と成り足と成り、意のままに操られているのかも知れません。

世界経済の流れは、人の考えと言うより、コンピューターの力で

常に動かされていて、戦争でさえ、直接的に、人が戦うと言うより
ネットを使った争いになっている事は明らかです。

私達は、その何でも知ることが出来、手に入れられる、便利な宝箱の様な

ネットのシステムを使って、日常生活を思うが儘に動かしていると
錯覚をしているのであって、実は、いつの間にかに、ネットの情報と言う
魔力に自由に操られ、ネットが作り上げる社会に、次第に組み込まれ、
人としての感覚を失いつつあるのかも知れないのです。