3月9日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第174回目の配布を実施しましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを3部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2308個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2087部となりました。
今回で通算189目の配布となりました。
延べ人数ですが、2308人の子どもにビタペクトを、2087家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。
(家族A)
グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)から来た家族。
この家族には今回ビタペクト3は渡しませんでした。
この一家は2008年と2014年にも保養に来たことがあります。
そのときの様子はこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」(家族B)
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第159回」(家族A)
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2008年と2014年に測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル → 12ベクレル
長女(23歳) 4ベクレル(今回初測定)
次男(17歳) 17ベクレル(2014年) → 3ベクレル
三男(13歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○ → 19ベクレル
次女 (8歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○ → 17ベクレル
男子(12歳) 11ベクレル(今回初測定)
男子(11歳) 22ベクレル ○ → 6ベクレル
SOS子ども村からは今回3家族が保養に来ているということだったのですでが、実際には1人のお母さんはこの一家の長女で、さらに自分の生後9ヶ月になる長女(家族Aのお母さんからすると孫)を連れてきていたのですが、WBCのいすにじっと座ることができず、測定していません。
チロ基金としてはこの長女とその娘は別の家族とせず(家族A)といっしょに表記しています。
このように今回は全員20ベクレル以下というよい結果でしたので、ビタペクト3を渡していません。
ただ今回もこのお母さんと話をすることができませんでした。病気の子どもを抱えており、保養に来たら、毎日のように専門病院へ行って検査を受けたり、治療を受けさせたりしているそうです。地元の病院ではよい治療や精密な検査を受けられないようです。
写真撮影の後、病院へ行っていた3人の子どもがちょうど帰ってきて会えました。本人たちの話によると、治療のおかげで、病状はよくなっているそうです。
よかったです!
その後、帰る道の途中で、お母さんと会えました。
3週間の保養滞在を生かして、高度な検査をミンスクの専門病院で受けることができ、大変喜んでいました。
(本音としては首都と地方で医療レベルの格差が開きすぎるのは問題だと私は思うのですが。)
内部被爆量も減っていて、お母さんは本当に感謝していました。
「これもビタペクトをくれた日本人のおかげです!」
ととても喜んでいたのですが、その笑顔を直接協力者の方に見せられないのが残念なくらいです。
子どもたちも前向きな姿勢で、つくづくよかったなあと思いました。
この調子で完治してほしいところです。
(家族B)
ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。この家族に6個のビタペクト3を渡しました。
初滞在ということでしたが、2人の息子さんは2013年に引率者といっしょに滞在したことがあります。
そのときの様子はこちらをごらんください。
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第155回」(家族B)
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2013年に測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時7歳) 13ベクレル
長男(14歳)38ベクレル ○ → 29ベクレル ○
次男 (7歳)42ベクレル ○ → 31ベクレル ○
長女 (4歳)31ベクレル ○
姪 (12歳)26ベクレル ○
姪 (5歳)28ベクレル ○
姪 (12歳)25ベクレル ○
この一家には生後7ヶ月の次女もいますが、測定はしていません。
26ベクレルだった12歳の姪と5歳の姪は姉妹です。
25ベクレルだった姪は、ゴメリではなく、ゴメリ市郊外のロマノビッチ村に住んでいます。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー3部は今回初保養であるこのお母さんに渡し、姪御さんのお母さんにも読んでもらうように頼みました。
お母さんの話によると、子どもたちはよく風邪をひくそうですが、比較的健康なほうだそうです。
年少の子どもは無理ですが年長の男の子2人は1年に1回はベラルーシ国内の保養所に滞在させているそうです。
姪が住んでいる村では乳牛が飼われていますが、牛乳の測定をしたことはないそうです。
そして親戚から村の牛乳をもらって家族で飲んでいるそうです。
放射能の測定をしていなくても平気なのかと思ってお母さんに質問しましたが、村の人たちは事故から時間が経っていることもあり、日常的に放射能があるということに慣れてしまったということでした。
しかし被爆していてもかまわないということではない、というお母さんの言葉が心に残りました。
画像は記念撮影したものですが、家族Bしか写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。
今回はビタペクト3がチェコから届くのに時間がかかり、間に合うのかひやひやしていましたが、10日までの保養滞在に間に合い、ほっとしています。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
(画像は近日中に更新します。しばらくお待ちください。)
今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを3部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2308個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2087部となりました。
今回で通算189目の配布となりました。
延べ人数ですが、2308人の子どもにビタペクトを、2087家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。
(家族A)
グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)から来た家族。
この家族には今回ビタペクト3は渡しませんでした。
この一家は2008年と2014年にも保養に来たことがあります。
そのときの様子はこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」(家族B)
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第159回」(家族A)
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2008年と2014年に測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル → 12ベクレル
長女(23歳) 4ベクレル(今回初測定)
次男(17歳) 17ベクレル(2014年) → 3ベクレル
三男(13歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○ → 19ベクレル
次女 (8歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○ → 17ベクレル
男子(12歳) 11ベクレル(今回初測定)
男子(11歳) 22ベクレル ○ → 6ベクレル
SOS子ども村からは今回3家族が保養に来ているということだったのですでが、実際には1人のお母さんはこの一家の長女で、さらに自分の生後9ヶ月になる長女(家族Aのお母さんからすると孫)を連れてきていたのですが、WBCのいすにじっと座ることができず、測定していません。
チロ基金としてはこの長女とその娘は別の家族とせず(家族A)といっしょに表記しています。
このように今回は全員20ベクレル以下というよい結果でしたので、ビタペクト3を渡していません。
ただ今回もこのお母さんと話をすることができませんでした。病気の子どもを抱えており、保養に来たら、毎日のように専門病院へ行って検査を受けたり、治療を受けさせたりしているそうです。地元の病院ではよい治療や精密な検査を受けられないようです。
写真撮影の後、病院へ行っていた3人の子どもがちょうど帰ってきて会えました。本人たちの話によると、治療のおかげで、病状はよくなっているそうです。
よかったです!
その後、帰る道の途中で、お母さんと会えました。
3週間の保養滞在を生かして、高度な検査をミンスクの専門病院で受けることができ、大変喜んでいました。
(本音としては首都と地方で医療レベルの格差が開きすぎるのは問題だと私は思うのですが。)
内部被爆量も減っていて、お母さんは本当に感謝していました。
「これもビタペクトをくれた日本人のおかげです!」
ととても喜んでいたのですが、その笑顔を直接協力者の方に見せられないのが残念なくらいです。
子どもたちも前向きな姿勢で、つくづくよかったなあと思いました。
この調子で完治してほしいところです。
(家族B)
ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。この家族に6個のビタペクト3を渡しました。
初滞在ということでしたが、2人の息子さんは2013年に引率者といっしょに滞在したことがあります。
そのときの様子はこちらをごらんください。
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第155回」(家族B)
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2013年に測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時7歳) 13ベクレル
長男(14歳)38ベクレル ○ → 29ベクレル ○
次男 (7歳)42ベクレル ○ → 31ベクレル ○
長女 (4歳)31ベクレル ○
姪 (12歳)26ベクレル ○
姪 (5歳)28ベクレル ○
姪 (12歳)25ベクレル ○
この一家には生後7ヶ月の次女もいますが、測定はしていません。
26ベクレルだった12歳の姪と5歳の姪は姉妹です。
25ベクレルだった姪は、ゴメリではなく、ゴメリ市郊外のロマノビッチ村に住んでいます。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー3部は今回初保養であるこのお母さんに渡し、姪御さんのお母さんにも読んでもらうように頼みました。
お母さんの話によると、子どもたちはよく風邪をひくそうですが、比較的健康なほうだそうです。
年少の子どもは無理ですが年長の男の子2人は1年に1回はベラルーシ国内の保養所に滞在させているそうです。
姪が住んでいる村では乳牛が飼われていますが、牛乳の測定をしたことはないそうです。
そして親戚から村の牛乳をもらって家族で飲んでいるそうです。
放射能の測定をしていなくても平気なのかと思ってお母さんに質問しましたが、村の人たちは事故から時間が経っていることもあり、日常的に放射能があるということに慣れてしまったということでした。
しかし被爆していてもかまわないということではない、というお母さんの言葉が心に残りました。
画像は記念撮影したものですが、家族Bしか写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。
今回はビタペクト3がチェコから届くのに時間がかかり、間に合うのかひやひやしていましたが、10日までの保養滞在に間に合い、ほっとしています。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
(画像は近日中に更新します。しばらくお待ちください。)