ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ミンスクにある長崎の鐘について(8)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は長崎の鐘の鐘楼の足元の部分です。
 この黒い石版を動かすと、下に土を入れたカプセルが納められるようになっているはずです。
(実際に持ち上げて見たわけではないですが。)(^^;) 
 
 2016年10月29日現在、長崎の鐘はこのような状態です。
 分かりづらいですが、そばに赤いものが散らばっています。
 これは慰霊のためのろうそくを入れる特別な容器があり、ベラルーシではよくお墓の前に置いてあります。教会内で購入することができます。赤いガラス製のろうそく入れが長崎の鐘に捧げられていたのに、ペンキ塗りの業者が落として割ってしない、しかもそのまま放置している状態です。

 このガラスの破片が鐘に続く階段にも散らばっていて、しかも私が画像を撮影しているときちょうど小学生の校外学習の団体がやってきました。案内役の先生と思われる女性も
「みなさん、これが長崎の鐘です。あれ? 今工事中のようですね。えーと福島で事故があったのはみなさん知っていますね? ・・・。」
と話していました。
 
 子どもが通るのにガラスの破片が散らばっていてとても危険なのですが、幸いその小学生たちがガラスを踏んづけることはありませんでした。
 しかし団体さんがいなくなってから、あまりにもひどい光景(カトリックの教会の敷地内の光景ですよ、これが。)なので、階段のところのガラスの破片は私がゴミ箱に捨てました。

 まあ、日の丸と星条旗が並んでいる光景を小学生たちに見られるよりはましかもしれませんが、慰霊のための鐘の足元がこんな状態。
 赤い教会側は何とも思わないのでしょうか?
 普通片付けようとすると思うのですが・・・
 ミンスクの工事の業者のほうもモラルが低いですね。
 骨壷が入っているわけじゃないですが、墓石の上で同じことをしているようなものですよ。
 
 早く教会の人が気づいてほしい。と言うより、さっさとペンキ塗りを終わらしてほしいです。

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 この記事の続き、長崎の鐘の国旗の問題についての結果報告はこちらです。
 
 


ミンスクにある長崎の鐘について(7)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 日の丸と星条旗が掲げられていた柱、金属プレートがあったところもご覧の通りです。
 取り外されて、しかも柱の表面が削られています。
 つまりペンキの塗り直しを始めたということですね。
 ということは国旗が全部なくなってるのは、赤い教会が政治色を払拭するためではなく、単にペンキを塗り直すため・・・
 
 なーんだ、すごいオチ。・・・とみなさん思ってはいけません。
 問題なのはペンキを塗り直した後です。
 長崎の鐘はどのような姿になるのでしょうか?

 再び日の丸と星条旗が並んで掲げられるようになるかもしれません。

 長崎の鐘のその後については後ほどこのブログでご報告します。

 ついでなので、もう1枚画像を公開します。
 ミンスクにある長崎の鐘について(8)をご覧ください。



ミンスクにある長崎の鐘について(6)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 もしかして私が長崎大司教区にメールを送り、その後長崎大司教区からミンスクの赤い教会に問い合わせが来て、慌てて星条旗を取り外した??? とも考えましたが真相は分かりません。

 長崎大司教区からは私に返事をしておりませんし、私には長崎とミンスクの両者の間にやりとりがあったのかどうかも分からないのです。

 しかしアメリカの国旗が外されて少し安堵しました。しかしニューメキシコの土と金属プレートはそのままです。
 こういったものは外すのが大変なので、とりあえずすぐに外せる旗だけ外したのだろうと、考えました。

 その後、10月17日にことです。赤い教会の近くに用事があったので、長崎の鐘を見に行くと、あれれ? 全ての国旗が取り外されていました。ロシアの国旗もベラルーシの国旗も日の丸もです・・・
 さらには旗の根元にある旗を固定する金具も全て取り外されていました。

 このほうが政治色を払拭していいと赤い教会が判断したのかもしれない・・・などと考えていました。
 長崎の鐘も鐘楼らしい姿になったと喜んでいたのです。
 
 ところが今日、10月29日、私は長崎の鐘を見る機会があったのですが、とんでもないことになっていました。

 添付画像をご覧ください。長崎の鐘が剥げている?

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(7)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(5)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 一方で、そもそも長崎の鐘は長崎大司教区の方々が献金し合って集めたお金があったからこそ、ベラルーシに建立できたものです。
 同じカトリック信者同士が連携し合って、原爆や原発の被害者のを思ったその思いが形となったものです。
 そうでなければどうしてわざわざベラルーシのミンスクに建立する話になったのか分かりません。

 しかしここへ二国以外の国の土も入れるようになったから、話がおかしくなり、それていったのではないかといった指摘を日本人の方からいただきました。

 例えば、カザフスタンのセミパラチンスクでは被爆の被害が公式に認められています。
 しかしロシアのノヴァヤゼムリャはもともと人口が少ない地域で、しかも民族的にはロシア人が住んでいなかった(今も少ない)地域でソ連とロシアが核実験を行ってきた(今も行われている)場所です。
 もちろん人的な被害、つまり被爆は公式には認められていません。
 現地の住民も声を上げられないでいるような状態なのでしょう。

 トリニティ実験場でも被爆したと何十年も経過してから訴えている団体がいるそうですが、根拠はないとしてアメリカ政府は認めていません。
 広島や長崎、チェルノブイリなどと違って公式には被爆が認められていない地域の土も埋められているのです。
 被害が認められていなくても、核実験をした歴史的な場所なら、どこのものでもミンスクにある長崎の金の下に埋めてよい、ということであれば、北朝鮮からも土を持ってこないといけませんね。

 このようにロシアのノヴァヤゼムリャの土を埋めたあたりから、長崎の鐘の本来の意義が歪められていったのではないか、とも考えられます。

 公式には被害が認められていないロシアの核実験場の土を入れていいなら、同じく被害が公式に認められていないが、核実験場だった(しかも人類初の!)アメリカの土も入れていいだろう・・・とアメリカ側が言い出したのか、ベラルーシ側(赤い教会)が賛同したのか、はっきりした経緯は分かりませんが、推測はできます。

 しかしこのような長崎の鐘の変貌について、長崎側は承知しているのかどうか気になった私は、長崎大司教区のサイトからメールアドレスを見つけ、メールを送りました。これが10月4日のことです。

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 題名: ミンスクの教会にある長崎の鐘について現状をご存知ですか

メッセージ本文:
 私はベラルーシ共和国ミンスク市に住んでいる日本人です。2000年に長崎大司教区が贈った献金を元にミンスク市中心部にある聖エレナと聖シモンのカトリック教会(通称赤い教会)に浦上天主堂の鐘のコピーである長崎の鐘が設置されたことはご存知と思います。そこに長崎、広島そしてチェルノブイリから運ばれてきた土が埋められています。しかし最近同じ場所にアメリカのニューメキシコ州の土が埋められたことをご存知ですか? これはアメリカが初めての核実験を行った場所で、これが成功したことから広島と長崎への原爆投下へつながったものです。鐘には日本国旗が掲げられていますが、そのすぐ横にアメリカの星条旗も並んで掲げられています。
 地元のベラルーシ人に「日本に原爆を投下したのはアメリカなのに、原爆の慰霊のためのモニュメントにアメリカの核実験成功の地から運んできた土をいっしょに埋めることについて、日本人であるあなたはどう思うのか?」と質問され、何も答えことができず、とにかく事実確認のため写真撮影をしに行きました。(このメールフォームに画像を添付できないのが残念です。)
 その後現地の日本大使館にこのような事実があることを大使館は把握しているのかどうかだけでも教えてほしいと、他の在日本人が質問したのですが、全く返答はありません。
 さらにこの赤い教会の神父にも質問しましたが、よく知らないけどこれはアメリカと日本の和平交渉の結果なのではないのかと逆に質問されたそうです。
 私は広島や長崎の出身ではなく、身内に被爆者がいるわけではありませんが、日本人として今の長崎の鐘の姿には違和感を感じます。
 長崎の方はどのように思われるのでしょうか? 今日もこの教会には地元の信者や観光客が訪れて、日の丸と星条旗が並んでいるのを見ています。この鐘の建立のために尽力された長崎大司教区が、このような現実をご存知なのかどうかお伺いしたく、このメールを差し上げることにいたしました。私は長崎の鐘建立の意義がいつの間にか変質したように感じますが、長崎大司教区がこの件について把握しており、またこの現状をお認めになるでしたら、どのようなお考えでお認めになっているか教えてください。
 私はカトリック教徒ではありませんが、ミンスクに永住予定の日本人で、しかも勤務しているのが日本文化情報センターというところなので、今後もこの長崎の鐘についてベラルーシ人から質問を受ける可能性があります。そのときにどのように答えたらいいのか、分かりません。長崎のカトリック教会のお考えをどうかお教えください。何卒宜しくお願い申し上げます。
 
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 ちなみに今日は10月29日ですが今のところ長崎大司教区から何の返事もありません。

 ところが、このメールを送ってから2日後の10月6日のことです。

 ベラルーシ人の知人が夕方長崎の鐘のそばを通ったら、星条旗だけ取り外されているのを発見。
 証拠写真を撮って、私に送ってくれました。
 それがこの記事の添付画像です。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(6)」をご覧ください。) 

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 11月3日の追記です。長崎の鐘の一件について日本大使館が対応してくれていたことが分かりました。

 まずベラルーシ在留日本人の方がベラルーシにある日本大使館に長崎の鐘に取り付けた星条旗について質問したのは、8月下旬のことです。

 私が長崎大司教区に上記の問い合わせメールを送ったのは10月4日のことです。
 その後10月の中旬、日本大使館側が赤い教会側と面会して、長崎の鐘に取り付けられた星条旗について申し入れを口頭でおこなったそうです。
 赤い教会側の見解は二ューメキシコでの核実験が長崎と関わっていたという事実を知らなかった・・・そうです。
 
 こんな大事な歴史的事実をよく知らないまま、長崎の鐘に星条旗を掲げていたということですね。
 あきれますね。考えがなさすぎます。
 あるいはこのような発言は適当に言ったもので、実際にはアメリカ側から圧力や多額の献金などをもらったので、断れずニューメキシコの土入れたのではないか、という見方をつい私はしてしまいます。

 ともかく日本大使館側の申し入れの後、赤い教会側は星条旗もプレートも撤去すると約束したそうです。
 ただ、星条旗は10月6日には撤去されていたことが分かっていますし、プレートもペンキ塗りのために10月29日には外されていることを私が確認しています。

 日本大使館が申し入れをしたものの、口頭のみというレベル(公式な書面で申し入れや質問状をだしたのではない。)ですので、赤い教会側も口約束のレベルです。ペンキ塗りが終わった後、赤い教会側がどうするのかが問題です。

 ペンキ塗りの後も元通り星条旗、プレート、土の三点が戻ってくるかもしれません。
 しかしそのときには明らかに赤い教会が約束破ったということになり、日本側から批判を受けても仕方がないですね。
 ともかく大使館からの質問に、自分たちが土を入れたけど詳しいことをよく知らなかったなどと、ぬけぬけと答えるカトリック教会側の担当者(えらい人)が非常に情けない・・・というのが私の感想です。

  


ミンスクにある長崎の鐘について(4)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は私が9月初めに撮影した長崎の鐘です。
 このように金属板プレートが鐘楼の右側の柱に取り付けられたその上のほうに、日本とアメリカの国旗が掲げられています。
 画像の左のほうに見えるのは、鐘楼全体で言うと中央部情報にあるベラルーシ国旗です。

 日本人として私は違和感を覚えるのですが、広島、長崎の方はどのように感じられますか?

 長崎の鐘を見た他の日本人の意見ですが、同じように違和感を感じる方もいれば、憤慨される方、また
核兵器の歴史という括りで見れば、おかしくない。公式には認められていないがニューメキシコの核実験のせいで被爆したアメリカ人もいるのだから、と言う方もいました。
 さらに反核、反原水爆という趣旨であれば同じ場所に土が埋められていてもかまわないが、アメリカの国旗を掲げるのは話が変わってくる。アメリカは核保有国の一つであり、たとえば広島の平和公園にロシアやアメリカの国旗が掲げられるなど被爆者にとって現状では考えられないことだから・・・というご意見もお聞きしました。

 長崎の鐘は慰霊のためのもの、つまり第一に魂のためのものであると私は思います。そこに国家のシンボルである国旗がたくさんつけられているのを見ると、宗教的な場所が政治的な場所に変貌しているように感じます。

 ちなみにベラルーシにある日本大使館に公式な質問状ではありませんが、この長崎の鐘の現状を日本大使館は把握しているのかどうか尋ねた人がいましたが、二ヶ月経った今でも全く返事はありません。

 日本大使館が「これはどういうことですか?」と赤い教会側に質問してくれたらよかったのですが、そういうことは政治が絡んでいるからか、もしかすると外務省からの指令待ちなのか、日本大使館から抗議文や質問状が出されてことはないようです。

 仕方がないので、今度は直接赤い教会に日本人が質問したのですが、もちろん正式な質問状を出せる立場の人ではないので、とりあえず教会に行って、そこにいた神父に口頭で尋ねたにすぎません。
 それによると・・・
 「赤い教会の中にいた神父さんの一人に、長崎の鐘の横の旗について聞いてみました。結論から言えば、その方は、星条旗が掲揚された経緯を知らないと言い、ただ最近現れたことだけは承知しているとのことでした。
そして『何か日本とアメリカの和平交渉の結果なんじゃないか』という ことをボソボソ言ったりしました。さらに、経緯を知りたければ、もっと上の人(おそらくこの教会の一番偉い人のことだと思いますが)に聞いてみるように言われ、ただその人はいつもいるわけではないので見つけるのは大変だと言いました。
誠意があれば、その上の人に会わせてくれるか、その人がいる日を教えてくれてもいいのにと思いましたが、何となく空々しい対応でした。これ以上は赤い教会に聞いても無駄のようです。」
 ・・・ということでした。

 つまり現地の日本大使館は動こうとしない、長崎の鐘を同じカトリック信者から贈られたミンスクのカトリックの神父もその教会でお勤めしているのに、ちゃんと説明してくれない(あるいは分かっていないか、分かっていても分かっていないふりをしている)ということです。

 このような状況にこうなったら、ベラルーシのマスコミに話してみようか、などと私は考えていました。
 私のような外国人が質問しても無駄でしょうが、ジャーナリストがその教会の上の人に取材すれば、もう少し内容のある返事がもらえるかもしれない、と思ったからです。
 これが10月初めのことです。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について」(5)をご覧ください。)




ミンスクにある長崎の鐘について(3)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 こうしてこのような姿になった長崎の鐘を私は2015年夏にも見たのですが、特におかしいと思うようなことはありませんでした。

 ところが、今年、2016年8月末、ベラルーシ人の知人が、最近長崎の鐘を見たけれど、おかしなことになっている、知っていますか?と撮影した画像を見せてくれました。

 それは、長崎の鐘に新しく、アメリカの土が埋められ、しかもそのことを示す金属板が、日本のプレートの隣に取り付けられ、しかも日の丸と星条旗が並んでかかげられているということでした。

 しかもアメリカの土と言うのは人類史上初めて原爆の実験が行われ、そして成功したニューメキシコ、アラモゴードの近くの土、という説明が金属プレートにベラルーシ語と英語で刻まれています。

 これはトリニティ実験の土ということですね。詳細はこちらをお読みください。
 ここにも以下のような記述があります。

 トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。

 つまり核実験の歴史としては輝かしいスタートである実験です。

 その実験場の土を、核の犠牲者の慰霊のために建立された鐘の足元にいっしょに埋めるというのはどういうことなのでしょうか?

 長崎や広島で被爆された方々がこれを見たらどう感じるのでしょうか?

 ベラルーシ人の知人からは
「日本に原爆を投下したのはアメリカでしょう? その二つの国の国旗が並んでいるのを見て、日本人のあなたはどう思うのか?」
ときかれました。

 これが例えば同じアメリカの土でもスリーマイル島原子力発電所事故で、放射能が漏れ出た被害のあった地域の土なら、理解できます。

 しかし原核被害者の慰霊のための鐘の下に核実験の成功地の土をいっしょに埋めるのは、私はおかしいと思います。
 そしてベラルーシを訪れる日本人がこれを見たら、どう思うだろうと考えると恥ずかしくなりました。

 画像はプレートの部分を撮影したものです。
 2013年に12月に土を埋めたとありますが、おかしいです。
 ネットで検索しても2013年に長崎の鐘にアメリカの土を追加したので記念式典を開催したといったニュース記事はヒットしません。

 ちなみに2016年4月26日はチェルノブイリ原爆事故が起きてちょうど30年。そのころ日本から視察団やマスコミが大勢来ていましたが、8月末に私が4月にミンスクを訪れていた日本人に尋ねると
「長崎の鐘なら見ましたよ。確かに星条旗がついていた。」
という証言を得られました。

 つまりチェルノブイリ30年という、国内外から注目が集まる時期には、すでに星条旗が掲げられ、土も埋められていた、ということです。

 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(4)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(2)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 長崎の鐘が核の犠牲者の慰霊のために建立された、という趣旨もあり、その後この鐘楼の土台部分に現在のカザフスタンのセミパラチンスク核実験場の土や、ロシアのノヴァヤゼムリャの土も収められるようになりました。
 どこから運ばれた土が収められているのかは、金属板プレートにベラルーシ語とその国の言葉で文章が刻まれ、プレートは鐘楼の柱の部分に取り付けられています。

 この画像は私が撮影したものです。分かりづらいですが、ベラルーシ語と日本語で「ここに広島、長崎、福島の土を入れたカプセルが埋められている」と刻まれています。
 
 赤い教会を背にして長崎の鐘を見ると右側の柱部分に取り付けられています。

 そしてチェルノブイリの被害が大きかったのがベラルーシとウクライナだったことから、鐘楼の中心部の一番高いところにベラルーシの国旗が、裏側にウクライナの国旗が、左側の柱にロシアとカザフスタンの国旗が掲げられるようになりました。
 さらには金属プレートの情報に日の丸も掲げられました。

 国旗を慰霊碑の柱にあちこち取り付ける、というアイデアは誰が考えたのかは分かりませんが、何となく、犠牲者を悼む、という雰囲気よりは世界平和を感じさせる姿になったように感じられます。
(画像を見たい方はこちらのサイトをどうぞ。)
 
 どちらがいいのか? については人それぞれの意見があると思います。
 
 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘(3)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(1)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 ベラルーシでは数少ない日本ゆかりの場所。
 そんな中で、ミンスクを訪れた日本人がよく訪れる「長崎の鐘」について、みなさん、ご存知ですか?
 全く知らないという人もいれば、「ミンスクへ行ったときに見た。」という方もいるでしょう。

 長崎の鐘はミンスク市中心部にある独立広場に面したカトリックの教会、聖シモン・聖エレーナ教会の敷地内にあります。
 この教会は赤レンガで造られていますので、別名赤い教会と呼ばれています。

 2000年にのことになりますが、長崎大司教区が集めた献金が赤い教会に納められ、それを元に長崎にある浦上天主堂(原爆のため破壊されたが、再建された)にある鐘の複製が造られました。
 
 これがミンスクで長崎の鐘と呼ばれているものです。
 その鐘を吊るす鐘楼も赤い教会の敷地内に建立され、2000年9月には除幕式が行われました。
 それに合わせて、長崎の原爆写真展もこの教会の中で開かれ、さらに長崎から運んできたという被爆マリアの像も公開されました。私は鐘の除幕式には招待されていなかったので、見たのは写真展と被爆マリア像だけですが、式には長崎から浦上天主堂の司祭が出席し、こちらの新聞にその言葉として長崎の鐘が「ベラルーシとの連帯、並びに経済的・文化的だけでなく精神的結びつきの象徴となるように。」希望すると述べています。

 さらに鐘楼の下の土台部分には、広島、長崎、チェルノブイリから運ばれた土がカプセルに入れられた状態で埋められています。
 ロシア語版のウイキペディアですが、こちらに画像もあるので、ご覧ください。
 
 つまり核の犠牲者になった人々の慰霊のために、この鐘が日本とベラルーシのカトリック信者の協力の下建立された、ということです。

 2011年以降にはここに福島の土も埋められました。

 そのようなわけで、ベラルーシを訪れる日本人がよく立ち寄る場所であり、またベラルーシの子どもたちなども校外学習の一つとして、よく団体で訪れ、平和教育を受けている場所です。

 ・・・とこのようなわけで、ミンスクに住んでいる日本人からすると、長崎の鐘は日本とベラルーシの友好の記念碑であり、改めて原爆や放射能被爆について考え、過去の犠牲者の魂を悼む場である、という位置づけです。

 ところが、最近この長崎の鐘がおかしなことになってきました。

 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘(2)」をご覧ください。)