電網郊外散歩道

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宮城谷昌光『楽毅(三)』を読む

2013年10月19日 06時04分56秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で宮城谷昌光著『楽毅』第三巻を読みました。表見返しに折り込まれた地図が、前巻までは中山と趙が中心だったのに、この巻では二つ折りと大きくなり、古代中国全体が描かれています。楽毅の活躍が、いよいよ広がっていく巻です。

燕の昭王とその臣下である郭隗のエピソードは、「隗より始めよ」という故事成語となっているのですね。理系の石頭は、こういう常識を知らない。恥ずかしながら、具体的な由来を初めて知りました(^o^;)>poripori
そして、ひそかに訪ねて来た楽毅を昭王に引見させた郭隗は、やはり相当の人物と言って良いでしょう。残念ながら燕王は中山への援助をやわらかく断りますが、楽毅という将軍の人物は高く評価し、自国に迎えたいとさえ言います。

呼沱に戻った楽毅は塞の守りを固めます。郭隗は千里の馬の予約金だと言って二千金を楽毅に届けますが、これはもちろん燕王の意向であり、先物買いと言って良いでしょう。趙の武霊王は退位して恵文王に後を継がせ、自らは主父を称しますが、実質的には主父による院政と言えます。内政は恵文王にまかせ、武力による侵略を主とするという形です。これに対抗して中山国を守るために、楽毅は思い切った手を打ちます。それは、負傷し斉に逃れる途中で亡くなった父王に代わって中山王となった尚を、扶柳の城からひそかに呼沱の塞に移すことでした。楽毅を信じる若き王尚は、呼沱の塞にこもる中山兵の奮戦と犠牲を目にして、喜ぶとともに心を痛めます。洞察力のある英主と言って良いでしょう。趙軍もまた、楽毅の策により趙希将軍と多数の兵を失い、呼沱攻めの序盤戦は楽毅の勝ち、です。

しかし、敵将楽毅を高く評価する趙の将軍趙与の手堅く愚直な攻めは、大きな犠牲を払いながらも確実に地歩を進めていきます。激戦に次ぐ激戦で、中山兵の損失も大きく、遂に塞に籠もる中山兵の数は六百にまで縮小してしまいます。このあたり、途中で復命した趙紹の報告を聞き、主父が落涙するところが名場面でしょう。

 主父はかたわらの恵文王に涙の目をみせ、
「王よ、よくごらんなされよ。一刻の王朝が倒壊し、つぎつぎに王が斃れ、懿徳のさだかでない若い王に殉じて死んでいった中山兵が数多くいた。しかも、来春、全員が戦死すると知りながら、砦をはなれず、王を守ろうとする者が六百人もいる。わしも王も、ある日滅亡を迎えるとき、はたして六百人も殉じてくれるであろうか。はなはだ心もとない。王は、こころしてこの六百人を視ておくことだ」
と懇切にいった。

これは、主父(武霊王)の最後を知れば、まことに哀しい認識でありましょう。

そして、自らに殉じる覚悟を持つ六百人の命を預かる中山王尚は、主父の勧告を受け入れることを決断します。それは、中山の完全な抹殺ではなく、辺境の一城に引退する、という条件でした。中山王尚は山を降り、兵はそれぞれの道に分かれていきます。楽毅と少数の従者は、趙国内の妻孤祥の実家に身を寄せます。

ひそかに好敵手であった楽毅将軍の動静を調べさせていた趙与がこれを察知し、主父に推挙しようとしますが、敵将の推挙に難を示す上司の壁は厚く、楽毅もまた趙に仕えることを潔しとせず迷っているうちに、沙丘の乱により主父と平陽君は横死してしまいます。



なんといっても呼沱における山岳ゲリラ戦の描写が圧巻です。また、沙丘の乱における主父の悲惨な結末も、シェークスピアの悲劇を観るようです。そして、失意の楽毅がどのように再起するのか、初読時には実に興味深く、再読時にも次の大きな活躍が楽しみになります。

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