電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『楽毅(一)』を読む

2013年10月13日 06時03分38秒 | -宮城谷昌光
風邪で寝込んだ床の中で、宮城谷昌光著『楽毅(一)』を再読しました。

戦国時代の中期、中国が統一される前に、河北に中山という国があり、宰相の子・楽毅は斉の都である臨淄に学びます。下級役人である田氏を友とし、孫子の兵法や季梩の法などを修めつつ、本当に身になったのは、大都市における孤独を味わい、自らの生き方を考えたことでした。

故国の中山は、武のみを尊ぶ独善的な王により、拙劣な外交しか行えず、孤立して諸国の支援さえ受けられぬままに、趙の武霊王の侵略を受けています。楽毅は、留学先の斉を離れる前に、孟嘗君と会見し、中山を救うべく中山と斉の同盟を訴えます。両国の国民感情から、この同盟の実現は難しいものの、孟嘗君の知遇を得たことは大きかった。帰国してから、中山の太子が聡明であることを知りますが、王は太子を殺し別の公子を後嗣としたいと考え、太子と楽毅を魏に派遣します。魏との交渉はうまくいかず、太子と楽毅は帰途に中山王の内意を受けた暗殺者の襲撃を受けますが、楽毅の武勇と知略、砦を守る騎兵の龍元の登場などで危機を脱し、二人は互いに信頼を深めます。

一方、趙の武霊王は国を挙げて胡服騎射を決断、中山を含む北方の征服に決意を示します。中山王は太子に騎馬軍を預けますが、実はこれは、城を出て戦う騎馬軍の将は戦死の可能性が高いという、陰険な思惑が背後にありました。太子は楽毅を副将に任じ、彼の戦略を信頼します。楽毅は、小邑の住民を避難させ、その中に騎兵を充満させて門を閉じます。趙軍は小邑を無視し、後方から中山の正規軍が攻撃することに備えていました。ところが、夜、ひそかに邑門を出た太子の騎馬軍五千は趙の後軍三万を襲います。趙の太子章は逃げ、武霊王は将軍趙紹を呼び、右軍を中山の騎馬軍に向けます。逃げる中山の騎馬軍を追った趙軍は、楽毅の策にはまり、みじめな敗戦を喫します。

敵の見事な策に武霊王は瞠目し、中山の太子の存在を再認識するとともに、背後に孟嘗君の存在を意識しますが、まだ楽毅のことは注目しておりません。それは、楽毅自身が、その名を伏せた方が良いという判断があったからでした。一年間、ひそかに中山の内情を探り、用心すべきは太子と宰相の楽氏の動向という判断をもって、武霊王は再び趙軍を中山攻略に向けます。しかも、今回は三方からの侵入です。楽毅は父と太子と離れ、井徑の塞で趙与の軍を迎え撃ちます。この攻防はまことに読み応えがありますが、いかにも孤立無援の戦いで、中山は趙に四つの邑を献ずることで停戦を図ろうとします。



華やかな恋愛模様など皆無に近い、浮ついたところがないという点で、まことに男性的でストイックなお話です。でも、読んでいて気分はたいへんよろしい。爽快感があります。

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