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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

田舎の旧盆の過ごし方

2005年08月13日 13時38分11秒 | Weblog
田舎暮らしをすると、お盆や正月の近隣のつきあいがある。普段の職場での人間関係や、ネットワークを介した様々な人々との交流とは異なり、地元のしきたりや習慣に基づき、一定の行事を主催したり参加したりすることになる。たとえばお盆の過ごし方はこんなふうだ。

朝、仏壇に燈明をあげ、手をあわせる。こまごまとした盆飾りのしかたは省略。実は私自身もよく知らない。老母が一切を取り仕切っているので、完成した姿を写真を取ってある。午前中の食事は簡単にすませる。昼は握り飯と漬物とお茶程度。午後から女性陣は赤飯と精進料理を作り、客用の食器を並べ、家族のほかに来客の分を加えた人数分の御馳走を用意する。
午後からは、家族で寺に墓参りをする。世帯主が寺と一族の家を回り、お参りをする。わが家では、ここ数年は私が回るようになった。一族の人たちから見れば、五十代でもまだまだ若手のほうだ。近隣で実権を握っているのは、実はまだ元気な70代なのだ。一族の家々を回ると、徐々に世代交代が進んでいるのがわかる。お相手をしてくれるのは、それぞれの家の「ばあちゃんたち」が多い。仕事の話よりも、家族の状況、半年間の村うちの出来事、孫の話などが中心になる。中には、若い人が出てきてお相手をしてくれることもある。お嫁さんの素顔を初めて拝見して、気さくな人柄に安心したりする。
家に戻るともう薄暗くなっている。提灯に火を入れ、行き交う人々の中に、懐かしい顔が見えたりすることもある。家に戻り、赤飯と精進料理を食べ、家人と話をして休む。

これだけのことだが、多様な人と多彩な話を余儀なくされるため、世間のつきあいが苦手な人には苦痛な一日になることだろう。私も若い頃はひどく苦痛に感じたものだが、最近は年のせいか、年寄りの話を聞くのが少し楽しみになってきている。
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『御宿かわせみ10・閻魔まいり』を読む

2005年08月13日 11時31分40秒 | -平岩弓技
平岩弓枝の『御宿かわせみ』シリーズ、とうとう二桁番号に突入。
第1話「蛍沢の怨霊」や第2話「金魚の怪」は、ちょうど季節も夏向きの話。第3話「白菊蕎麦」に出てくる蕎麦は、車で30分ほどのところに細くて腰の強いうまい蕎麦を出す店があるが、あんな感じか。在来種の辛い大根おろしで食べる、良く冷えた蕎麦は、こたえられない味だ。
ドラマとしてよくできているのが、第4話「源三郎祝言」だろう。東吾の親友の源三郎は、本多仙右衛門の娘と祝言の段取りになっていたが、当日になって当の娘は別の男とかけおちをしたという。映画「卒業」と逆パターンだ。東吾の兄・通之進がこの場を見事に解決する。手伝いに来ていた江原屋の娘お千絵を臨時の花嫁に仕立て、本多家から行列をして、という具合だ。実はお千絵と源三郎は・・・という話。これはテレビ向きだろう。いい話だ。
第5話「橋づくし」は、源三郎の新居の様子を描きながら、ちゃんと橋の裏にネタがある。第6話「星の降る夜」は、最近の特撮CGを駆使すれば、ちょっとした短篇恐怖映画向きか。第7話は表題作「閻魔まいり」。境遇の違う従姉妹の不幸な物語は、他人の不幸を蜜の味と感じない者にはあまり後味がよろしくない。第8話「蜘蛛の糸」は、勧善懲悪因果応報ではない、ペーソスを感じさせる作品だ。

最近の人気映画のようなCGを駆使した目を瞠るようなスピード感とは異なり、気を持たせるような、このゆったりした感覚が、息の長い人気の秘密なのかもしれない。
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ヴェルディ歌劇「ドン・カルロ」第3幕を堪能する

2005年08月12日 10時17分58秒 | -オペラ・声楽
朝食後、子どもを駅まで送り、LDでヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」第3幕を堪能する。

憂愁と嘆きを歌うチェロ独奏と弦楽合唱の対話のうちに幕が上がり、スペイン王フィリッポII世が妻エリザベッタのことで思い悩む。フランスから来て自分の白髪頭を見た時の悲しそうな顔を思いだし、嘆くニコライ・ギャウロフの堂々たるバス、人の心の中を読み取ることはできないという事実の前には、王冠も助けにならないと歌う「王衣をまとって初めて眠ることができよう」に盛大なブラヴォー。
そこへ、盲目の大審問官の登場で、一気に緊張が高まる。息子を死刑にして、私は許されましょうか、息子を殺せましょうか、と尋ねる王に、大審問官は信仰の名においてカルロの死を求め、王は署名する。大審問官はなおも重ねて、王の腹心で忠実な友、しかし王国を破滅に陥れる者として、ポーサ侯ロドリーゴの死を要求、拒む王に対し、「そなたには革新の思想が流れ込んでいる」と指摘し、王を宗教裁判所にかけると脅す。「たわけものめ」と。異端裁判を背景に、「王座は常に祭壇に屈しなければならないのか」と問うフィリッポII世の嘆きは、絶対王政前夜の宗教と王権の確執を描く名場面であろう。

そこへ、王妃エリザベッタが手箱を盗まれたと訴えて来る。王は、手箱はここにある、と手箱を開き、カルロの肖像を示して王妃の不貞をなじる。カルロを愛しつつ、フォンテンブローの森で示されたフランス国民の困窮を救うため、自身の幸福をぎせいにした王妃は、王の疑いを受け倒れる。そこへエボリ公女とロドリーゴが登場、四人の緊密な四重唱が展開される。この場面の音楽的な密度は本当に素晴しい。
王とロドリーゴが去った後、エボリは王妃に密告と手箱を盗んだことを謝罪、あわせてカルロへの愛ゆえの嫉妬と、王との不貞を告白する。王妃の抑えた怒りは「国を出るか尼寺か、どちらなりと」と冷たい。
エボリの「むごい贈り物」のアリアはなくてもいいだろうと感じられるが、実はこれが国王の机上に王子カルロの死刑宣告書の発見の伏線となっており、「まだ一日残っている」と歌って幕となる。

この第3幕は、地味ながら実に音楽的な密度の高い、素晴しいドラマになっている。この場面だけを、何度もくり返し見てしまう。
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カラヤンのシベリウス「交響曲第2番」を聞く

2005年08月12日 07時06分55秒 | -オーケストラ
朝、隣家の同級生がパチンパチンと生け垣をはさみで剪定している音で目がさめた。早朝から精が出ることだ。起き抜けにコーヒーを淹れ、音量をしぼって静かにシベリウスの交響曲第2番を聞く。

演奏は、カラヤン指揮ベルリンフィル。CC28-99005の番号を持つこのCDは、何年の録音なのか、全く記載がない。カラヤンの自伝を読むと、第二次大戦後、主要なオーケストラから締め出されていたころ、ウォルター・レッグと組んでLPレコードで売り出そうと計画したとき、カラヤンが提案したのがシベリウスの交響曲全集であったそうな。レッグは難色を示したが、のちに1950年代のフィルハーモニア管弦楽団とのレコーディングとなって実現する。カラヤンのシベリウスに対する特別な関心を示すエピソードであるが、1980年代にベルリンフィルとの再々録音を行っているので、この録音は1980年代のものと思われる。

ふだん、セル指揮クリーヴランド管弦楽団の東京ライブとともに、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏とを楽しんでいる。全体の構築や推進力の点で圧倒的なセルの演奏であるが、このカラヤンのCDでは、部分部分ではっとするような美しい瞬間があり、思わず聞き惚れてしまう。

実演では、1990年代の後半から、村川千秋指揮山形交響楽団が毎年一曲ずつ全曲を演奏した。厳寒の時期に、シベリウスを聞きに出かけるのが楽しみだった。たしか、第1番はWindows95の年ではなかったか。そうして第2番は1996年だったはずだ。東北最初のプロ・オーケストラである山形交響楽団の創立者・村川千秋氏は、唐突に演奏を終える、あのシベリウスの第7番の交響曲を演奏し、新しい世紀が始まる2001年に引退した。現在は、飯森範親氏が山響の常任となり、素晴しい演奏を聞かせてくれているが、村川氏の指揮でシベリウスの交響曲全曲を聞くことができたのは、実に幸せなことであった。

■シベリウス 交響曲第2番ニ長調Op.43 カラヤン指揮ベルリンフィル
I=9'47" II=14'30" III=5'42" IV=16'28" total=46'27"
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同級生の母堂の葬儀に出席

2005年08月11日 21時10分27秒 | Weblog
一昨日、連絡網で通知があり、小学校の同級生の母堂が逝去とのこと。今日の葬儀に出席可能かどうかの問い合わせだった。幸い、今日一日何も予定がなかったので、葬儀準備と葬儀関係の手伝いに参加した。
出棺が11時半とのことで、11時に喪主宅前に8名の同級生が集合した。お参りをすませ、出棺を手伝い、親族が火葬場に行っている間に生花と飾り物等を軽トラックで寺まで運ぶ。寺の本堂に運び込み、住職の指示で飾り付けを行う。ここまでで昼食時になったので、公民館に行くと、近所の人が炊出しをしてくれており、ご飯と漬物とお茶で軽く昼食をすませ、お給仕をしてくれた若奥さんたちと世間話をして休憩。
その後、再び寺に戻り、テントを立てて受け付けにする。完成後、受け付け係と下足係と駐車場係に分かれる。今回は、私の役回りは駐車場係で、お茶を謝礼に用意し、山門前の数軒の家に駐車依頼をして回る。どこも快く引き受けてくれて、順調。曲り角ごとに矢印の標識を貼り、駐車場を依頼した家の門口にも「○○家駐車場」の掲示をする。
ここまでで準備はおしまい。そうこうしているうちに参列者の車が来たので、駐車場まで誘導。みなさん、近所の人は徒歩か自転車で来るので、車で来る人はほとんど会社関係者であろうか。
告別式が始まると、受け付けも暇になる。小さな花束を準備しながら、せっかく集まった機会に、今秋の同級会の相談。11月に開催しようということにまとまる。告別式も終わり、会葬者がぞろぞろと出てくるところで花束を手渡す。親族が五七日の法要を終え、戻って行ったあとで飾り物を喪主宅まで運搬し、受付用テントを撤収。全ての仕事が終わってから、全員でお参り、喪主へ挨拶して、近所の世話役の同級生宅へ集合、烏龍茶又はビールで一服、互いの健康を祈りながら、ひとしきり世間話をしたあと、それぞれ帰路についた頃はすでに夕方だった。
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次の金曜時代劇は『秘太刀馬の骨』

2005年08月11日 08時18分06秒 | Weblog
平岩弓枝『御宿かわせみ』に続いて、金曜時代劇の新シリーズは、藤沢周平『秘太刀馬の骨』とのこと。WEB上のNHK番組案内にはまだ出ていないので、金曜時代劇というキーワードでブログ検索をしたら、『御宿かわせみ』の最終回で予告をしたということらしい。どうやら、再来週の金曜から始まる予定らしく、あと何日というカウントダウンをしているブログまであって、このシリーズの人気の高さがうかがわれる。
残念ながら、金曜の夜は何かと野暮な用件が生じることが多く、確実に毎週楽しむことは困難だが、録画しておけばなんとかなるだろう。
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次の金曜時代劇は何??

2005年08月10日 22時37分09秒 | Weblog
NHKの金曜時代劇シリーズ、「御宿かわせみ」のシリーズは東吾とるいがめでたく結ばれて一応終わったようだが、次のシリーズは再び藤沢周平だと聞いた。家人が情報元なので、情報の信頼性・確実性は怪しいが、事実なら嬉しい。いったい何が始まるのだろう。前回の「蝉しぐれ」はとても良かった。ずっと前の「三屋清左衛門残日録」や「腕に覚えあり」もぜひもう一度見たいものだ。
新たなシリーズとすれば、「用心棒日月抄」の連作シリーズの中から取り上げられるのだろうか、それとも「消えた女」「ささやく河」などのハードボイルドタッチのものだろうか。「風の果て」は土木工事のロケが必要になるだけに、スケールの大きい作品にはなろうが撮影は難しかろう。
普段はN響アワー程度しかテレビを見ないけれど、藤沢周平作品ならばぜひ見たいと思う。
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「いきなりPDF」テスト結果

2005年08月09日 21時05分47秒 | コンピュータ
先日購入したソースネクスト社の「いきなりPDF」を WindowsXP パソコンにインストールした。Administrator 権限でインストールすることさえ注意すれば、作業そのものは実に簡単。「自動インストールまであと○秒」とカウントダウンする。自動インストールしたくない場合は、カスタムインストールを選ぶことができるが、インストール先を変更する程度だ。
インストールすると、「いきなりPDFの設定」と「いきなりPDFマニュアル」の二つのアイコンがデスクトップに表示される。普段使っているユーザーでログインしなおしても、このアイコンは表示される。マニュアルはA4判で20頁。あまり大した内容はないが、一応レーザープリンタで印刷した。
MS-WORD/EXCELでちゃんとPDFファイルが生成するのは、市販の商品である以上当然のこととして、興味の中心はTeX/LaTeXでタイプセットしたdviファイルを、dviout for Windows から正しく出力できるか、である。
試しに、グラフィックの入らない文字だけのファイルをPDF出力してみたが、こちらはComputerModernフォントがオリジナルどおりの美しさではないが、まずまず正常に出力された。
問題はグラフィックを含むものである。いくつかのeps形式の画像を含むファイルを300dpiで出力してみると、妙な結果になった。ある画像は表示されるが、ある画像は表示されないのである。
参考までに、Adobe Acrobat 4.0 をインストールした Windows2000 のパソコンで、Administrator 権限で同一のファイルを Adobe の PDFWriterで出力してみると、全ての画像がもれなく表示される。
eps形式の全ての画像が表示されないのならわかるが、一部の画像だけが表示されないと言う結果は理解に苦しむ。やはり、Windows 上で TeX/LaTeX から PDF を作成するには、Acrobat4.0 が動作する Windows2000(Administrator権限)で処理するか、Adobe にバージョンアップ税金を支払って、WindowsXP 対応にする、という結論になりそうだ。
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「いきなりPDF」を購入

2005年08月08日 22時37分33秒 | コンピュータ
昨日、思い立ってソースネクスト社の「いきなりPDF」を購入してきた。Linux では dvipdfmx コマンドで TeX/LaTeX の dvi ファイルから PDF ファイルが作成できるが、Windows 上ではしばらく懸案になっていたものだ。
Windows95/98 の頃は、購入した Acrobat3.0を4.0にバージョンアップし、一応 PDF ファイルを作成できる体制になっていたが、WindowsXPでは動作対象外であった。そのため、バージョンアップがわりに安価な「いきなりPDF」を購入してみたものだ。
まだインストールしていないが、MS-Word/Excel はもちろん、dviout for Windows から PDF 出力できるかなど、近日中に試してみることにしましょう。(1,980円)
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宮城谷昌光『楽毅』(二)~(四)を読む

2005年08月07日 19時07分39秒 | -宮城谷昌光
昨日、書店で宮城谷昌光『楽毅』の第二~四巻、札幌で探せなかった分を購入し、昨日と今日で一気に読了した。長い軍事の物語である。

首都を失い、中山王尚を助けて趙軍とゲリラ戦を戦った楽毅だったが、最後に六百名が残るだけとなる。王は断を下し、辺境に引退することに同意、ここで中山国は滅び、楽毅は失意のうにち中山を離れ、魏の孟嘗君のもとでようやく生気を取り戻す。やがて、魏王の正使として燕に赴くこととなるが、燕の昭王は楽毅を高く評価し、当面利の薄い魏との同盟に同意することで楽毅を得、斉への復讐の第一歩を踏み出す。楽毅は燕王の厚い信頼のもとで外交と軍事に才能を発揮し、ついに斉を平定するが、理解者であった燕王昭の急な逝去と楽毅を憎む愚かな太子の即位により趙に亡命、若い趙王の敬愛を受けながら晩年を送る。

名将・楽毅の物語の主題はやはり軍事であり、為政者としてよりも将軍としての事績が主となっている。将軍の活躍の前提条件は命じる王の理解と支持であり、この点て名宰相の政治的物語とはやや異なる色合いを見せている。
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セル指揮フルニエ(Vc)のR.シュトラウス「ドン・キホーテ」

2005年08月07日 14時29分17秒 | -オーケストラ
午後、空一面が真っ黒な雲におおわれたので、さぞ激しい夕立が来るかと思ったら、気休め程度に降ったきりだった。
油蝉の合唱に負けずに、今日はR.シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」を聞く。ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏、チェロ独奏はピエール・フルニエで、ヴィオラをクリーヴランド管弦楽団の首席ヴィオラ奏者、エイブラハム・スカーニックが受け持っている。「騎士的性格の主題による幻想的変奏曲」という題名からわかるように、主題の変奏曲の形を取っており、LP(CBS-SONY,13AC-217)では、A面に主題と第1変奏~第3変奏、B面に第4~第10変奏とフィナーレが収録されている。
このレコードは、1960年の10月28日と29日に録音されたもので、もともとドイツ・グラモフォンと専属契約を結んでいたフルニエをCBSが借りるかわりに、セルがベルリン・フィルを指揮して、ドヴォルザークのチェロ協奏曲をグラモフォンに録音するという約束だったらしい。おかげで、私たちはピエール・フルニエの素晴らしい演奏に接することができるわけで、実にありがたいことである。
指揮者セルは、CBSとの契約上、楽曲の選択に制約条件があったらしく、なんでも録音する「全集魔」ではない。にもかかわらず、R.シュトラウスでは「ドン・キホーテ」のほかにも「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「ホルン協奏曲」「家庭交響曲」「ドンファン」などかなり多くの作品を録音している。
セルの指揮するシュトラウスの音楽は、精緻で軽妙なもので、どちらかといえば「ばらの騎士」のような音楽に向いているように思うが、この「ドン・キホーテ」では、ウィンドマシンをまじめに使いながら、ダイナミックで緊密な演奏を展開している。そして、フルニエのチェロが、オーケストラと一体となって演奏を行い、スカーニックもまた、サンチョ・パンサの役割を演じている。何度聞いても、いい演奏だなぁ、と思わせられる。
写真は、LPレコードと、他に「ホルン協奏曲」や「ティル」等を一緒に収録した楽しんだカセットテープ。
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平岩弓枝『御宿かわせみ(9)一両二分の女』を読む

2005年08月06日 23時08分06秒 | -平岩弓技
暑い土曜日、午後から昼寝をしたため、珍しく夜更しをしている。
今日は、文春文庫で平岩弓枝著『御宿かわせみ(9)一両二分の女』を読んだ。彷徨老人を扱った「むかし昔の」、孫娘のために菊作りの老人が鍬を振り上げた「黄菊白菊」、「猫屋敷の怪」では、大店の娘の失踪と死因を探る。家付娘に婿養子に入った恐妻家の主人が、妻の死去で昔捨てたわが子を探しはじめる「藍染川」では、兄嫁の妹七重が重要なヒントを与える。裏表の甚だしい「美人の女中」がかわせみに波紋をもたらす話も、金貸しをやめようとする健気な「白藤検校の娘」でも、東吾をめぐる色模様と、るいのやきもちの種が続く。「川越から来た女」では、将軍家御典医の天野宗伯の子息・宗太郎に、医者の心について相談に行ったことが役だった。最後の「一両二分の女」は、物語の始まりはずいぶん色っぽいが、安囲いをエサに殺しを続ける母娘の姿は陰惨なものだ。
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絶好調時に危機はひそみ、真夏の中に秋は芽生える

2005年08月06日 14時25分05秒 | Weblog
絶好調の時、実はスランプの芽が芽生えていることが多い。調子がいいために、結果となってあらわれていないだけだ。周囲の賞讃に、当人は危機の存在を忘れる。ラティフンディアがローマを蝕むように、当座の利益が将来も続くと思ってしまう。だが、コスモスは短日植物だ。八月の風に揺れるコスモスの花は、確実に日が短くなっていることを示している。真夏の陽射しの中に、秋はすでに胚胎している。東北の真夏は、せいぜいお盆までだろう。
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記憶に残る講演会

2005年08月05日 21時52分46秒 | Weblog
これまで聞いた中で、記憶に残る講演会というものがある。
例えば、西澤潤一氏の講演会。日本の技術が欧米の物真似であって、欧米が基礎研究をしたものを巧みに取入れ、金儲けをする日本はフェアでない、というサッチャー首相に対し、第二次大戦末にドイツ軍の攻撃を察知したレーダーの原理は、日本の八木秀次博士の独創的な発明だが、日本を物真似だと言うなら、英国を守った技術に対し英国は何をもって報いたか。何もしていないではないか。すると若い頃化学の教師だった経歴を持つサッチャーさん、苦い顔をして立って来て一言、"Thank you." 毒舌と熱血の講演だった。
SONYの菊地誠氏の講演会。ショックレーとのエピソードや半導体研究の裏話など、興味深い内容の他に、昔の教育テレビの番組「楽しい実験室」の企画構成にまつわる話が、かつて同番組を毎週楽しみにしていただけに、面白かった。
アグネス・チャン講演会。中国での若い時代の生活と、アイドルとして日本に来た頃の生活への不満、ボランティア活動への興味とアメリカへの逃避、米国での大学生活の楽しさなど、アイドルの裏面を語って尽きない。同時にアイドルを卒業してからのボランティア活動や子育てについて。最後に珍しく中国の歌を歌ってくれたのは、当日の聴衆の中に老人が多かったせいだろうか。
最近は、山形大学工学部、有機ELの城戸淳二教授の講演会。演題は「未来の光~有機EL開発の物語」で、MacのiBookを用いたセンス豊かなプレゼンテーションだった。特に、回転するページ切替の新鮮さ(*)や、二つの液体を混ぜると発光するデモはたいへんに効果的で、聴衆の注意を引き付けていた。大阪出身の城戸教授の経歴も興味深く、1浪して関西大学工学部機械工学科に進むが中退、早稲田大学工学部応用化学科に入学。学部の四年生で所属した研究室で機能性高分子の面白さに目覚め、卒業後アメリカの大学院に留学、猛烈に勉強して博士号の学位を取得する。ここで多くのノーベル賞学者と接し、一流の化学者を目指すようになる。プレゼンのセンス、実演の効果、話の面白さ、いずれをとっても抜群にうまい熱血講演だった。
(*)Looking Glassなどは、こういう効果を目指しているのだろうか。

こうして見ると、印象的な講演は、基本的にその人や事象の魅力がベースになっているように思う。ごく当り前のことではあるけれど、内容の充実をまず図るべきだ、という結論だろうか。
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良いプレゼンテーションとは

2005年08月04日 19時13分42秒 | コンピュータ
先月末のプレゼンは、同僚にも好評だったようで、一安心した。明日、再びプレゼンがあるが、今度は長丁場なので、緊張する。
ところで、良いプレゼンテーションとはどんなものだろうか。明確に答えることはできないけれど、道具によって決まるのではないことは確かだ。
なぜなら、ガリ版刷りの印刷物が唯一の資料だった時代にも、感銘を受けるプレゼンがあったし、ブルー地に白文字のスライドを用いた学会発表も、内容によって眠くもなり興味深く聞くことにもなった。OHPが全盛時代にも、手書きのOHPシートか、それともインレタを駆使したきれいなものかは、現在まで印象に残るプレゼンの条件ではない。ましてや、PowerPoint か Freelance か、それとも OpenOffice.org の Impress か MagicPoint を用いるかは、良いプレゼンとはなんら関係がないだろう。
要するに、良いプレゼンテーションの条件は、
(1)聞くものにインパクトと問題意識を持たせ、
(2)基本的な考え方や解決のための示唆を与え、
(3)なんらかの次の行動を呼び起こすもの
であるといえるのではないか。
そういう意味では、ノートパソコンやプロジェクタに頼り切ったプレゼンよりも、実物を示したり実演をしたりするなど、演者が内容に自信を持ち、多面的に発表するほうが効果的な場合が多い。
Japan Linux.com に掲載された次の記事(*)は、示唆に富むものだと思う。
(*): OpenOffice.org Impress でプレゼンテーションに味付けを
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