電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

結婚式で披露するお謡いの稽古につきあう

2007年03月09日 20時50分03秒 | Weblog
近所で結婚式があるとかで、壮年会の会員二名が、老父にお謡いを習いに来ました。実は、十数年ほど前にも老父が師匠役をつとめ、地区の壮年会が主催して、冬季限定のお謡いの稽古をしたのでした。さらに言えば、今は亡きわが祖父も、はるか昔にやはりお謡いの稽古の師匠役をつとめたのだとか。祖父→父→私と、少なくとも三代続いてお謡いの稽古をしていることになります。田舎の壮年のたしなみは、かくあるべきものなのでしょうか。

で、二人が結婚式で披露するのは、「高砂」を二つと「玉の井」だそうです。

「ところは高砂の。尾上の松も年ふりて。老いの波もよりくるや。木の下蔭の落葉かくなるまで命ながらえて。猶いつまでか生きの松。それも久しき。名所かな。」

「四海浪静かにて。国も治まる時つ風。枝をならさぬ御代なれや。あひに相生の。松こそめでたかりけれ げにや仰ぎても。ことも愚やかかる世に。住める民とて豊かなる。君の恵みぞ。ありがたき。」

「長き命を汲みて知る。心の底も曇りなき。月の桂の光添ふ枝を連ねてもろともに。朝夕なるる玉の井の。深き契りは。頼もしや。」

最初はぎこちなかったのですが、老父に続いて謡っているうちに、次第に思い出してきました。中年男三人と老人一人、あわせて四人の声がそろうと、なかなか迫力です。老母があとで批評したところでは、「はじめはどうなることかと思ったけれど、最後には見違えるように上手になった」だそうです。いや、よかったよかった(^_^)/

当日の、扇子の作法なども教わり、いざ、本番、と帰っていきました。

終わってから、私と老父とで、お花見用に、弱吟の「鞍馬天狗」を練習しました。

「花咲かば。告げんといひし山里の。使いは来たり馬に鞍。鞍馬の山のうづ桜。手折栞を志るべにて。奥も迷わじ咲きつづく。木陰に並み居ていざいざ。花を眺めん。」

ついでに練習したのでしたが、こちらのほうは、西洋音楽フリークにも、音楽的な満足感が感じられます。
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2 コメント

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お謡い (くるみぱん)
2007-03-09 21:39:11
渋いですね。
日本の文化なのですから、それを手がけられるというのは素晴らしいことですね。
羽織袴で謡われるのでしょうか。
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くるみぱん さん、 (narkejp)
2007-03-10 19:25:05
コメントありがとうございます。稽古に来た二人、羽織袴で謡うのかどうかは承知していませんが、壮年会の日常的な稽古はもちろん普段着です。山形県には黒川能などの伝統もあり、農村に定着している文化なのかもしれませんね。
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