電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

理研で主任研究員となった女性・加藤セチの業績のことなど

2022年07月17日 06時00分25秒 | 歴史技術科学
地元紙「山形新聞」では、山形県ゆかりの人物を取り上げる連載をずっと続けていますが、最近では先月の「加藤セチ」の記事をたいへん興味深く読みました。



山形県の庄内地方、三川町の資産家に生まれた加藤セチ(*1)は、県令三島通庸の勧めでアメリカ式の大農場酪農経営に挑んだ生家の没落に伴い、山形師範学校に進み小学校教師となりますが、教育のあり方に悩み、やがて東京の高等女子師範学校に進みます。卒業後、札幌のキリスト教系の北星女学校で教師として働くかたわら向学心を燃やし、女子への門戸を開いた北海道帝国大学に選科性として入学(*2)します。そこで努力し才能を開花させますが、本当に力を発揮したのは理研に移ってからでした。このあたりの表面的な伝記的事項についてある程度は承知していましたが、今回の記事がきっかけであれこれ調べ始め、知ることができたのは、彼女の研究業績の概要(*3)です。



大正から昭和に移行した頃、すなわち1920年代に量子力学に関心を持ち、セチは分光器による光のスペクトル分析を化学物質に応用したらどうかというアイデアがひらめきます。今ふうに言えば分光分析の始まりです。白熱電球を光源に理研にあるさまざまな物質の吸収スペクトルを測定し、その構造との関連を調査します。その中で、各種ネオジム塩水溶液の吸収スペクトルからd殻における価電子のスピンの方向転換にあると結論し、注目を浴びます。日本で3人目の女性理学博士となった実際の学位論文は「アセチレンの重合」ですが、これはすでに無機化合物から有機化合物に研究の対象が移っていたことを意味するものでしょう。

そういえば、エチレンに臭素が付加する反応はゆっくりとした熱的付加反応ですが、アセチレンに臭素が付加する反応は意外なほどにさらに遅い。しかし、直射日光下では瞬時に反応が進み、光によるラジカル付加反応であることを示唆することを昭和の高校の化学実験で知ったものでした。そんな私の学生時代に、加藤セチは存命で都内の高校で物理化学生物を教える教師たちとともに無償の「理科ゼミ」を開催していた(*3)のだとのこと。不明を恥じるとともに、こうした先人の営為が、日本の科学研究を支えてきたのだなと感じずにはいられません。

(*1): 加藤セチ〜Wikipediaの解説
(*2): 美人すぎて科学者には向かない〜女性科学者・加藤セチものがたり〜加藤裕輔
(*3): 加藤セチ博士の研究と生涯〜スペクトルの物理化学的解明を目指して〜前田侯子〜御茶ノ水大学


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