
書棚の最上段に保管していた古いノートの処分を思い立ち、踏み台を使ってヨッコイショと一部をおろしてみたところ、今は半世紀以上前の学生時代のノートでした。



はたしてこれは処分すべきだろうか。うーむ、うーむ、うーむ。
そうだなあ、実際はもっとたくさんあったのだけれど、そのうちの一部を記念に残していたのだったはず。処分したとしても書棚にごくわずかな隙間ができるだけだろうし、他にもっと処分すべきものはあるのではなかろうか。うん、そうだ、研究者を目指していたけれど、原爆症に由来すると思われる父の病気の始まりで大きく方向転換することとなった若い時代の努力や失意のあとを、たまに懐かしく眺めてみるのもいいものだろう。これは、もう少し残そう。
(*1): 高校生の頃のノート〜「電網郊外散歩道」2016年4月

- 緑のフィラーノート 高校3年当時の「物理」 万年筆、ブルーブラックで書いている。このノートは前に一度記事にしたことがある(*1)。
- B5判のレポート用紙 大学生協ブランドのレポート用紙(コクヨ製品)
- 初代キャンパスノート 大学時代の卒業研究で使ったもの。0.5mmのシャープペンシルで書いている。
- 生協の大学ノート 実験法や背景となる理論を勉強したもの。万年筆、黒インクで書いている。


はたしてこれは処分すべきだろうか。うーむ、うーむ、うーむ。
そうだなあ、実際はもっとたくさんあったのだけれど、そのうちの一部を記念に残していたのだったはず。処分したとしても書棚にごくわずかな隙間ができるだけだろうし、他にもっと処分すべきものはあるのではなかろうか。うん、そうだ、研究者を目指していたけれど、原爆症に由来すると思われる父の病気の始まりで大きく方向転換することとなった若い時代の努力や失意のあとを、たまに懐かしく眺めてみるのもいいものだろう。これは、もう少し残そう。
(*1): 高校生の頃のノート〜「電網郊外散歩道」2016年4月
お父さんは55歳で亡くなられたのですね。さぞ無念だったことでしょう。その分、かわいがってくれたおじいちゃん子になったのは当然のような気がします。私の妻も、母親を56歳でなくしていますので、もっと生きていてほしかったと嘆きます。孫の顔を見せられたのは良かったじゃない、と慰めていますが、なかなか割り切れないようです。
そうですね、これはもったいない。
物を捨てるのは難しいですよねー。
お疲れ様です。
つまり祖父母の家の近所に高校があった。
歩いて5分です。
朝早起きして自転車で家に行き、食事をとったら祖父母の家の家に自転車で戻り、高校には徒歩でいってました
私はお爺ちゃん子で、厳しい父より無口で優しい祖父(母の父)が大好きでした。
親孝行よりじいちゃん孝行の孫でした。91歳まで生きてくれました。
父は55最で膵臓がんで亡くなりました。
kumaneko48 さんは祖父母さんの家から通学していたのですか。私は「ど」がつくほどの田舎でしたので、駅まで自転車で20分、列車で30〜40分、さらに学校まで徒歩で20〜30分ほどかかり、待ち合わせ時間を含めると片道1時間半以上かかっていました。冬場など、よく通ったものだと思いますね。(^o^)/
私、数学は方眼ノートを使っていました。数学は高校になってから好きになりました。授業で使うノート以外に、もう一冊復習用のノートを作り、習った授業を復習してました。
他の科目のノートは、右端4~5㎝縦線をひいて、予備書きしていたのを覚えています。
生物、英語、地理
予備書きが多かったかな
英語のノートは、資料をページの大きさに切って、張り付けてたのでとにかく分厚かった。
国語と英語、数学は先生が添削をしてくれていました。課題を解いていたのかな?
小中校と、就寝時間が決められていて思うように勉強でき無いのが辛くて、高校は家から15分の祖父母の家に居候、食事だけ食べに帰り、学校も祖父母の家から通学していました。
がんばり屋だったんでしょうね
あの頃の自分のノートを見てみたいです
遠い昔の自分にも会ってみたい