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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

祖父や両親は最晩年に何歳まで文字を手書きしていたか

2025年03月19日 06時00分47秒 | 手帳文具書斎
わが父母は、ふだんから日記を書いていました。父親は縦書きの「農家日記」で母親は横書きの高橋書店「中型横線当用新日記」を使っておりました。父はヒロシマで救援に入ったことで入市被曝し、原爆症により何度もガンを発症しましたが、84歳で亡くなるまで万年筆で日記を書いており、最後まで意識ははっきりしていました。母は視力がしだいに衰えてきており、日記を断念したのは数え年で95歳、満で言えば94歳の2022年の2月で(*1)、亡くなったのはその年の11月でしたので、ほとんど日記が書けなくなって力尽きたような形です。使っていたのはノック式のボールペンで、太字のハッキリした濃い色のペンが好みだったようです。

祖父の場合は、もっと若く77歳で亡くなっていますが、もっぱら万年筆で書いていた(*2)ものの、晩年は中風の後遺症で手がふるえるために文字もガクガクしたものとなり、ボールペンで日記帳にメモ程度に書き留めていたようです。古いアルバムの写真一枚一枚に説明を付けていましたが、自分で書けなくなると孫(私)を読んで代筆させていました。おかげで、わが家の古い歴史をまとめた際に(*3)役立ちました。残念ながら祖母は緑内障により30代で失明していましたので、日記等を書き綴ることはありませんでしたが、私の子供の頃の記憶では、定規を使ってまっすぐになるように補助しながら、親や子供たちにむけて便箋に鉛筆で手紙を書いていたりしたようです。

こうしてみると、老人世代の晩年に手書きができることの意味は大きいようです。とりわけ、ボールペンの意義は大きい。手や指が多少とも不自由になる頃、万年筆のインク補充はもうできないかもしれませんが、すぐに書き出せるノック式のボールペンならば、かなり後まで文字を書き綴ることを続けられそうです。ユニバーサル・デザインの観点から言えば、筆記するにも軽いほうがいいでしょうから、重厚なデザインの高価なペンよりも軽くて扱いやすい最廉価なペンのほうが実際はありがたいのかもしれません。


写真は最近プラチナ社の#3776ブルゴーニュ万年筆に同社の古典BBインクを補充したところです。記録によれば、ほぼ40日ぶりになります。



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