電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

シューマンの交響曲第1番「春」をスウィトナーによる自筆原典版で聴く

2015年03月24日 06時03分58秒 | -オーケストラ
雪が融け、春風が心地よい季節になると、シューマンの交響曲第1番の、あの音楽が聴きたくなります。ふだんは、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管によるCDを取り上げることが多いのですが、今回はオトマール・スウィトナー指揮ベルリンシュターツカペレによる1841年の自筆譜による録音を、ずっと繰り返し聴いておりました。

この演奏は、一番わかりやすい違いは、冒頭のホルンとトランペットによるファンファーレが3度低いところでしょうか。現在ポピュラーな出版譜による演奏の場合は、第1楽章の冒頭の輝かしさがいかにも春の到来を告げるようで、たいへん印象的です。これに対して、1841年の自筆譜では、冒頭が3度低く、なんかヘンなというか屈折したというか、輝かしさというよりはもっと別なものを感じます。第2楽章の冒頭の第1主題は、出版譜では第1ヴァイオリンのオクターブの分奏であるのに対して、自筆譜では下のパートのみです。また第3楽章はスケルツォの第2トリオ部がなく、演奏時間も短くなっています。こんなふうに、シューマンが改訂を加える前の姿は、より明快な現行版とは少しずつ違っており、素直でありません。

スウィトナーは、なんでまたこの自筆原典版を元にして録音しようとしたのだろう? それは、もちろん他と異なる独自性を示したかったということがあるでしょうが、その前に、この自筆稿の魅力を感じたからだろうと思います。基本的には幸福な音楽ではあっても、輝かしい率直な明快さではない、屈折した幸福感の魅力です。

音楽の演奏効果としては、現行版のほうがわかりやすく効果的だろうと感じますが、一方で、病気の治療のために投与された水銀療法により運動機能障害が起こっている中で、クララとの結婚が実現したわけですので、単純な幸福感ではありえない。一抹の不安を抱えながら、屈折した幸福感を表すとしたら、自筆原典版の響きはありうることと思います。1989年に実質的に引退してしまうスウィトナー自身も、この一連の録音を行った1986年には、すでにパーキンソン病の兆候が出ていたと思われます。病の不安を背景にした幸福な音楽のあり方として、ベテラン指揮者が選んだのは自筆原典版だった、という考えはどうでしょうか。


コメント