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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

コーヒーと甘味〜塩バタかまん

2021年06月30日 06時01分58秒 | Weblog
さくらんぼの作業が一段落しましたので、少しゆっくりできるようになりました。朝から、コーヒーに「塩バタかまん」でほっとしています。「塩バタかまん」というのは、お嫁に行った娘夫婦のところから「父の日」のプレゼントとして届いたもののうちの一品。「さっくりした食感の塩バタークッキーに、まろやかなカマンベールチーズクリームをサンドしました」という謳い文句の、横浜・宝製菓の製品のようです。



だいぶ小ぶりのクッキーですが、あまり甘すぎないところは好感が持てます。今日で6月も最終日。1年の半分が終わりです。いつものカップにいつもの習慣、こうした普段どおりの生活が貴重なのだと感じる今日この頃です。

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1日を2日分に暮らしていた亡父の生活スタイルは賢明だった

2021年06月19日 06時01分28秒 | Weblog
晴耕雨読という言葉があります。引退後の理想の生活として、退職の挨拶状などには多用されるものです。実際、現職の頃は理想の生活スタイルに思えたものでした。ただし、フルタイムの仕事を離れ、実際に晴耕雨読の生活が可能な身分になると、現実との食い違いが見えてきます。つまり、晴耕雨読という言葉を唱えた昔の人は、概ね50代から60歳くらいでこうした生活に入ったのだろう、ということです。ということは、体力的にもまだまだ頑張りがきく年代ですから、晴れた日には終日畑を耕し、雨の日には終日書に親しむということが可能だったのかもしれません。ところが、70歳を目前にした今、終日畑を耕すと翌日には確実に体が言うことを聞かない、終日書を読むほどの気力・根気が続かない、目が疲れてごろりと横になりたくなる、というのが現実です。

思い出すのは、昭和20年8月に広島で救援に入り、爆心地から2.2kmほどの距離でテント生活を余儀なくされ、入市被曝による原爆症に悩まされた父の晩年の姿です。朝、涼しいうちに農作業に従事し、ゆっくり昼寝をして体を休め、午後、風が出てきて涼しくなってきた頃に読みかけの本の続きを読む、という生活です。昼寝によって1日を二分し、まるで2日分のように過ごすと、体力的にも気力の面でも持続可能な、賢明な生活スタイルだったと思い出します。もしかしたら、あの生活スタイルならば、私もまだ無理なく晴耕雨読に準じた生活を送ることが可能なのではなかろうか。例えば晴れた午前には畑を耕し、午睡の後には書に親しむ。雨の午前に音楽を聴き、午睡の後には料理をする。1日に1つの仕事とは限らない。1日を2日分に分けて暮せばよいのかも。

※写真は、もぎ残しのサクランボ。

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NHKラジオ「午後カフェ」等を聴きながら〜サクランボ収穫作業の楽しみ

2021年06月06日 06時01分42秒 | Weblog
6月に入り、ポケットラジオでNHK「午後カフェ」等を聴きながら早生種サクランボ「紅さやか」の収穫に従事しています。先日、たまたま「ジューンブライド」の話題になり、シュガーの歌(*1)が流れました。わーお、なんて懐かしい! 何年ぶりで聴いたろう!

六月はもともと結婚シーズンなのだそうで、新型コロナウィルス禍がなければ、結婚式や披露宴にどこまで誰を案内すべきか・せざるべきか、頭を悩ませるところでしたが、幸か不幸か今は大々的な式は自粛のケースが多いようで、「眠りの森の美女」(*2)のように式によばれなかったからと魔女の呪いを受けるようなことは起こらないでしょう。

いや、その前に、宗教的な背景が違うためか、日本の「魔女」のイメージはあまり怖い存在でなくて、ずいぶん可愛らしいものが多いようです。宅急便を始める魔女見習い(*3)はもちろん、元カレと別の女性との結婚式によばれて「一言言ってもいいかな、くたばっちまえ! アーメン」と歌詞とは対照的な可愛らしいハーモニーを聴かせる例の歌(ウェディングベル:*1)なども、「眠りの森の美女」に登場する魔女とは逆パターンで、ずいぶん毒は薄められているようです。





(*1):シュガー「ウェディングベル」〜YouTubeより
(*2):ディズニー映画「眠りの森の美女」予告 〜ここに登場する魔女はしっかり西洋風の悪役で可愛くない(^o^)/
(*3):アニメ「魔女の宅急便」予告

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今日は忙しい一日になりそう〜老母のワクチン接種、山響定期演奏会

2021年05月30日 06時00分07秒 | Weblog
今日は、忙しい一日になりそうです。まず、午前中に老母の新型コロナワクチン接種があり、付き添いをする予定。持参するものは、接種券、予診票、本人確認書類(健康保険証だろうなあ)、など。
また、午後からは山響こと山形交響楽団の第293回定期演奏会。本日のプログラムは、「壮大な音絵巻・・・管弦楽の魔術師コルサコフ作品で冴える山響メンバーの技!名手 中川が奏でるトマジの音響世界」と題して、

  1. ボロディン:歌劇「イーゴリ公」第二幕より "だったん人の娘たちの踊り" "だったん人の踊り"
  2. トマジ:トロンボーン協奏曲
  3. ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(トロンボーンと弦楽のための)
  4. リムスキー=コルサコフ :交響組曲「シェエラザード」作品35
      飯森範親 指揮 山形交響楽団、中川英二郎(Tb)

というものです。チケットは土日ともに完売とのことで、注目度の高さが伺えます。

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発見や気づきがある日々は楽しい

2021年04月06日 06時00分20秒 | Weblog
日常生活の中に、何かしら発見や気づきのある日々は楽しいものです。例えば、ふと眺めた向かいの建物で、窓ガラス清掃の職人さんが仕事をしているときの様子。ガラス拭きなんて誰でもできると思っていると大間違いで、乾いた後に拭き跡や拭き残しのないようにするやり方に、なるほどと新鮮な発見があったりします。そうか、ああいうふうにやると、拭き跡や拭き残しなくきれいにできるんだな。いつか、真似してみよう、という具合です。

4月になって、退職して自宅にいることが多くなりました。裏の畑や果樹園、地域の自然の中にも、発見や気づきを得られるようにしていきたいものです。

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年度末・年度始のあわただしさを離れて

2021年04月01日 06時00分41秒 | Weblog
例年、年度末や年度始めというのは、慌ただしいものでしたが、ことしはフルタイムの助っ人勤務が終わりましたので、年度の始めも出勤の必要がなく、少しはのんびりできそうです。以前、ボスから引き続き助っ人をとの依頼がありましたが、私自身が関東某県から山形にUターンする際に苦労した経験もあり、若い人にチャンスを与えてほしいとお願いし、お断りした経緯があります。それでは非常勤のほうでとのことで、それならば専業農家と両立もできそうとお引き受けすることとなりました。したがって、今年は職業は農業で、ときどき非常勤の勤め人という生活になります。



季節は春、たまった農作業に徐々に移行しつつ、現役の皆さんからはブーイングが出そうですが、「勤め人の窮屈さ」から少しずつ抜け出すことといたしましょう。
当面の課題は:

  1. 遅れに遅れて待ったなしとなった果樹園の休眠期防除
  2. 残りの雪囲い撤去
  3. 健康保険の国保移行など退職関連手続き

などでしょうか。

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今回の退職は淡々と

2021年03月21日 06時00分55秒 | Weblog
この三月末で、今の職場を退職します。今回は、あくまで助っ人を頼まれての期限付きフルタイム勤務でしたので、さほどの感傷はありませんが、一年間、しかも新型コロナウィルス禍の中で緊張感を持って過ごした職場の皆さんとサヨナラするのは、やっぱり心に残るものがあります。それでも、後に続く若い人にうまくバトンタッチできれば、長い目で見ればそのほうが良いでしょう。通算して四度目にもなる(*1)退職ですし、感傷的にならずに淡々と後任者に引き継ぎたいものです。



それはそうと、果樹園の仕事は待ったなしです。早く再開しなければと思うのですが、なかなか思うに任せず、とにかく時間が足りません。こういうときは、分割してリストに書き出し、まずできるところから始める、だな。

(*1):一度目は大学卒業後に就職した関東某県から山形にUターンするとき、二度目は三十数年勤めて定年退職する時、三度目は定年退職後に勤めた職場を依願退職するときでした。

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mRNAワクチンの研究をした女性科学者の出国エピソードが映画みたい

2021年03月19日 06時01分50秒 | Weblog
新型コロナウィルス禍に対抗する切り札と期待されるファイザー社やモデルナ社の mRNAワクチンの原理(*1)を40年以上前から研究していたカタリン・カリコ博士はハンガリー生まれの女性科学者ということです。彼女は夫と娘と共に母国を出て、なんとか米国にたどり着きます。就職先の当てがあって出国したわけではありませんので、当座の生活費としてまとまった額のお金が必要になるわけですが、当時のハンガリーは、現金持ち出しに制限があり、百ドルしか持ち出せないということでした。それでは家族が暮らせない! 仕方なく、車を売って現金に変え、娘のテディベアのぬいぐるみの腹に縫い込んで持ち出し、助かったのだそうです。そんなふうにして始まった米国での研究生活も、決して順調ではなかった(*2)わけで、せっかくの発見が評価されず、大学のポストも非常勤にさせられたり、ずいぶんな対応をされたこともあったようです。例えば「カタリン・カリコ テディベア」で検索してみるとこのあたりの事情がおおよそわかりますが、これから映画になるという話もありうることと納得しました。

(*1):mRNAワクチンの原理とリポソームの実験の記憶〜「電網郊外散歩道」2021年1月、アストラゼネカ社のワクチンは原理が違います。
(*2):新型コロナウィルスのワクチン接種が始まる〜女性科学者の努力に拍手!〜「電網郊外散歩道」2021年2月

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あれから10年。

2021年03月11日 06時01分09秒 | Weblog
東日本大震災と福島の原発事故から数えて、10年になります。早いものです。あれから、自分の10年間もいろいろなことがありました。転勤し、定年退職し、全く違う世界に再就職、6年勤めて依願退職して専業農家となり、ゆるやかな生活を送っていたときに、降って湧いたような助っ人の依頼で再び勤め人生活へ。そうしたら、思いもよらぬ新型コロナウィルス禍に遭遇することとなりました。



考えてみれば、震災と原発事故以降、集中豪雨や豪雪被害、家族の病気や二匹の老猫の死去、きわめつけは新型感染症の流行と、一言で言えば変転と災禍の十年と言っても良さそうです。うわー、なんだかなあと思いつつ、それでも自分が健康で働いてこれたのはありがたいことでした。

自分でも料理を試み、自分で育てた美味しい果物や野菜をたっぷり食べて、億劫がらずに体を動かし、ストレスはためずに発散、コンピュータを味方につけて良い音楽を楽しみ、好奇心と読書の時間を大切にする生活は、確かに実年齢以上に「老け込む」ことから免れているようです。あれから10年、これからの1年1年。時の過ぎゆくのは速いけれど、被災地の方々の幸を祈りながら、自分自身も前向きに快活に過ごしたいものと願っています。

(写真は 3.11 のその夜、停電の中で撮影したものと、2020年11月、晩年の母猫21歳。)

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こだわりは煩悩の一種なのかも

2021年03月03日 06時00分27秒 | Weblog
物事には、しばしば両面があります。慎重さと優柔不断はメダルの表裏の関係にありますし、決断力と軽率さも区別が難しいように感じます。結果がうまく行けば決断力を称えられ、うまく行かないと軽率な判断を指摘されるというのが実情でしょう。

今の時代、こだわることは良いこととされていますが、そういう見方をした場合、はたしてどうなのか。例えば道具へのこだわり、嗜好品へのこだわり、ブランドへのこだわりなどです。お気に入りのものに囲まれていれば、確かに気分がいいのですが、やがて飽きたり別の欠点が見えてきたりして、また別のものを探し始めたりします。要するに、こだわりは進歩の原動力にもなる反面、別の面から見れば煩悩の一種なのかもしれません。重要でないことにはあまりこだわらず、今そこにあるもので済ませることも、実は融通無碍に対処できて良いことなのかも。(自戒を込めて。)

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伝える言葉、伝わる言葉

2021年02月25日 06時00分48秒 | Weblog
先日、孤独死した高齢老人(*1)の葬儀に参列してきました。型通りの弔詞は奉呈のみと簡略化していましたが、都会に住む孫代表の、大好きなおばあちゃんへの別れの言葉が心を打ちました。おばあちゃんが、会った時や手紙の中で、心に残る言葉をたくさん伝えてくれたことに感謝し、勇気づけられたと話します。例えば、

人生は喜びに満ちている。見つけ出すのは、優しい心である。

というものです。

うーむ、老人が折々に孫たちに伝えようとしたことが、なんとなくわかるような気がします。おそらく、バーナード・マラマッドの言葉

人生は喜びに満ちた悲劇である。
Life is a tragedy full of joy.

であれば、私などは思わずそうだなあと頷いてしまう面がありますが、おそらく孫たちにまで伝わることは難しいでしょう。

前者は、子どもの真っ直ぐな心を励まし勇気づけ、前向きに進もうとすることを助けますが、後者は必ずしもそうではない。孫たちに前者のような言葉を贈った老人が、まるで若木が育つ傍らで朽ちていく老木のように、周囲に栄養分を供給する役割を果たしていたのだとしたら、実際は「喜びに満ちた悲劇」の面があったとしても、それはそれで良かったのではなかろうか。

(*1):高齢老人の孤独死に対する受け止め方は年代によっても違うようだ〜「電網郊外散歩道」2021年2月

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高齢老人の孤独死に対する受け止め方は年代によっても違うようだ

2021年02月23日 06時00分20秒 | Weblog
地区内の高齢老人が、前々日に孤独死していたことが判明し、今日は自宅にお悔やみに出向く予定です。都会で仕事をしている息子さんが帰形して喪主をつとめるとのことですが、最近はこうしたケースが増えてきています。若い年代の人たちは、「なんとお気の毒に」「さぞや寂しかったろう」などと気の毒がりますが、今年で満93歳になる老母の受け止め方は、少々違っていました。

息子の家とはいえ、見知らぬ土地で最後を迎えるよりも、慣れ親しんだ自分の家で死ねたら御の字。孤独死というが、チューブに繋がれて希望のない時を長引かせるよりも、むしろ良かったのでは。冬だもの、2日くらいで見つかったら、上等。

だそうです。

なるほど、そういう受け止め方もあるわけだな。たしかに、「老木は植え替えるべからず」ともいいますし、根付いた土地で最後を迎えるのが自然なのかも。カレンダーには、数年前に亡くなったご主人の命日が「じいちゃん命日」と書いてあったそうな。もしかすると、夫君を思いながら彼岸に旅立ったのかもしれず、静かで幸せな最後だったのかもしれません。

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河北町まん平菓子店「D.joie」のシュークリームでコーヒー

2021年02月19日 06時00分42秒 | Weblog
コーヒーと甘味シリーズ、今回は先日妻と出かけた河北町の老舗菓子店「まん平」、改装して「D.joie」となったお店のシュークリームです。




この巨大なシュークリーム、中身はぎっしりと ごま?クリームが入っていました。たい焼きなら頭から尻まであんこが入っているものでしょうが、シュークリームでこんなにみっちりとクリームが入っているのは初めてかも。



甘さは控えめですが、砂糖の入らないコーヒーがとても美味しく感じました。



今回の雪もようやく峠を越えたようです。今朝は降雪なし。ありがたい。

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昨夜の地震はだいぶ揺れたが被害はなし

2021年02月14日 08時29分27秒 | Weblog
昨夜11時過ぎころ、かなり強い地震がありました。9時過ぎにはもう寝ていましたので、ぐらぐら揺れて目がさめました。かなり強い揺れ(震度5弱)が長く続きましたので、10年前の東日本大震災を思い出しました。幸いに当地は地盤が安定しているためか、家具が倒れるとかモノが落ちてくるとかいったこともなく、ラジオを聴いて震源地が福島沖であることや震源の深さが60kmと深めで津波のおそれはないことなどを確認、また寝ました。

朝、のっそりと雪が載っている母屋や蔵、作業小屋などを確認しましたが、とくに被害はないようで、ご近所も大丈夫そうです。テレビで福島・宮城両県の被害状況を知りました。新型コロナウィルス禍の中での避難所生活は不安と不便が多いでしょうが、無事に過ごされますよう、被害地域の皆様にはお見舞いを申し上げます。

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山響第290回定期演奏会のチケットを申し込む

2021年02月08日 06時02分12秒 | Weblog
新型コロナウィルス禍により2020/21シーズンの予約はいったんキャンセルになりましたので、第290回の定期演奏会のチケットはあらためて申し込まなくてはいけないのをすっかり失念していました。たまたま2月のスケジュールを確認していて、手帳にチケットが入っていないことに気づき、申込みがまだ済んでいないことに慌てました。幸いに、席は空いていましたので、2階席の前の方をゲット(^o^)Y これで送金手続きとともにチケットが送られてくるでしょう。

曲目は、

  1. ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV 56 - 序曲
  2. モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201
  3. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」K.551
      鈴木秀美指揮、山形交響楽団

です。新型コロナウィルス禍に突入する以前の当初の予定では、合唱団アマデウスコアとともにヘンデルのオラトリオ「メサイア」を予定していましたが、残念ながら曲目が変更になりました。このあたりも、合唱の受難の象徴なのでしょうか。



うーむ、やっぱり定期会員のシステムというのはありがたいものだなあ。毎回のチケット予約や送金などの手続きを省略して、演奏会場にまっすぐ行けるのですから、本当に助かります。新シーズンは、定期会員にチケットが送られて来ることでしょう。自宅の玄関から演奏会場へ、車で乗り付けられる山形の環境もありがたいし、本質的には山形にプロのオーケストラがあって活発に活動しているという状況が貴重なのだろうと思いますが。

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