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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

国立研究所が推計した2050年人口について

2023年12月29日 06時00分59秒 | Weblog
過日の報道によれば、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が発表した2050年までの地域別推計人口の表が興味深いものです。これによれば、2050年の全国の推計人口は約1億人。記憶では、昭和40年代の始めころに国内の人口が1億人を突破したはずですので、約80年余りでもとに戻ることになります。これはもちろん少子化と出生数の減少に加えて団塊世代の影響が峠をこすためでしょうが、むしろ地域別の傾向が見えてきます。縄文時代や古代の推計人口分布でもその傾向はありました(*1)が、やはり南関東の人口は減りにくい。これに対し、北東北や南紀・南四国などの減少は雪国だからとは言えない要因が大きいようですが、それはいったい何なのか。



背景が見えにくい場合は、視野を狭くして具体的なところで見ていくと、はっきりと見えてくる場合があります。具体的には、山形県内の市町村の推計人口です。これによれば、人口減少がおだやかな、減りにくい地域としては、東根市(87.6%)、山形市(80.4%)、三川町(76.9%)、寒河江市(72.2%)などが挙げられますが、これらの地域に共通なところは何だろう。

例えば東根市は、東洋経済新報社の「住みよさランキング」で山形県内1位、東北地区でも第1位になっています(*2)。さらに大東建託の「住み続けたい街」ランキングでも県内第1位、東北地区でも第2位となっています(*3)。その共通の背景となっているのは、若い世代が利用しやすい住宅供給の手頃さ、開発余地でしょうか。

確かに、東根市に流入する人口の第1位は隣の天童市からで、第2位は山形市からなのだとか。工業団地等、単純な加工組み立て型だけではない多彩な職場があり、住宅が求めやすければ住み始める人も多くなるだろうというのは当然です。折込チラシで見る土地付き戸建住宅が山形市で3,500万、天童市で3,000万、東根市で2,500万で求められるという宣伝を見ると、まだ経済的な蓄積が充分でない子育て世代、共働きをしながら住宅ローンを組む際の負担を少しでも軽くしようと知恵を絞る姿が目に見えるようで、「子育てするなら東根市」というキャッチフレーズのように子育て世代への支援や保育施設等の充実も後押しするのでしょう。

ここで一気に視野を全国に広げると、見えてくるのは雪だけではない、宅地化可能な平地の余地がどれくらいありそうか、という条件です。人口政策のバックグラウンドには、実はこうした視点が必要なのかもしれません。素人のピント外れの見方かもしれないとは思いつつ、都会の億ションに入る人たちを思う時、富の偏在という表現に思わずうなづいてしまいます。

(*1): 鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』を読む〜「電網郊外散歩道」2022年11月
(*2): 「住みよさランキング2023」東北・北海道トップ50〜東洋経済オンライン
(*3): 住み続けたい街2023 自治体ランキング 東北版〜大東建託・いい部屋ネット

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干し柿が甘くなったので

2023年12月24日 06時00分27秒 | Weblog
本来であれば11月初旬に下げ始める干し柿ですが、今年は一週間ほど作業が遅れて(*1)しまいましたので、食べてみたらすっかり甘くなっていました。そこで、干し縄から外して菓子箱等に並べ、冷暗所に保存します。今年は全部で500個ほど干しましたので、自家用としては十分すぎる量です。一部は娘や親戚のところへ送り、残りは春まで楽しみます。本来であれば緑茶なのでしょうが、まずは味見を兼ねてコーヒーのお供に。

中身はとろり状態。渋みは抜けて、たいへん甘く美味しいです。もともと「ひらたねなし柿」というのは糖度の高い品種だそうですが、納得です。昔、幼い頃には、「ごま柿」という名前の、樹上で渋が抜ける「木ざわし」系の柿が我が家では主流だったように記憶していますが、あまりおいしくなかったような気がします。その後、中学生頃でしょうか、「ひらたねなし」柿に切り替わっていきました。亡父が4本ほど植えた樹が今は1本だけ残っています。この1本の樹の恵みが、毎年毎年、実に大きいことに驚かされます。



当地は雪国ではありますが、山形県の内陸側の盆地のため、月山・朝日連峰が衝立となって、今のところ降雪量はさほどではありません。クリスマス寒波で大雪の年もあっただけに、まだもう少しこの程度の降り方で済んでほしいところです。日本海側の地域の皆様には豪雪お見舞い申し上げます。

(*1): 干し柿にするため渋柿の皮むきをする〜「電網郊外散歩道」2023年11月

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憧れの白い紙

2023年12月21日 06時00分02秒 | Weblog
子ども時代、と言ってもまだ幼い頃の記憶ですから、おそらくは昭和30年代の中頃までのことでしょうが、田舎の農家の身の回りには真っ白な紙というのは珍しい存在でした。もちろん、障子紙や習字の半紙などはありましたが、子どもが落書きできる白い洋紙というのは、新聞に折込で入ってくるチラシの裏がときどき白いものがあるくらいでした。筆記具は筆や墨などは子供の落書き向きではありませんので、当然ながらちびた鉛筆です。何を書いていたのかは記憶にありませんが、黄土色のザラ紙ではなく白い紙が憧れだったことは確かで、高校を卒業するときにB4判の上質紙を一シメ(1,000枚)買った時の嬉しさは記憶にあります。

その頃から数えるとすでに50年以上が過ぎています。インクジェット紙としてふんだんに使った上質紙や、レーザープリンタ用としてストックしているコピー用紙など、惜しげなく真っ白な紙を使い、内容に誤りを見つけて印刷し直したミスコピー紙を処分するときには、チラリと心が悼みます。子ども時代には憧れだった白い紙。その上で空想の翼が高々と飛翔することはもうないのかもしれませんが。安心して寝ている膝上の猫の表情を見て、ふいにそんなことを思い出しました。

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24時間心電図を調べてみた結果

2023年12月14日 06時00分46秒 | Weblog
24時間心電図を調べてみた結果について、心臓内科専門の医院で説明を受けてきました。測定結果を保存したSDカードは前日のうちに読み込ませてあったようで、分析ソフトが多方面から解析し、結果を波形データと共に表示してくれます。この解析ソフトは、専門的な測定技師のノウハウを自動化・無人化してしまうもののようで、すごいなあと驚くと共に、医療分野の専門性がゆらいでいる象徴のようなものかもしれません。ただし、結果を踏まえた上での診断となると、まだまだ機械に委ねるわけにはいかないのが現実のようです。

で、その結果を読み取った専門医としての診断は、おおむね次のようなものでした。

24時間の心臓拍動は 9万〜11万 くらいだが、私の場合は 10万9000 で、心臓はよく働いている。
心拍数は 55〜123 で平均値は 76、不整脈は若干見られるがポーズ時間は 2.1秒程度で、
連発もないし、良性と言える。上室性期外収縮もあるが、問題はごく少ない。
狭心症の兆候も見られない。
総じて結果は良好、治療の必要はない。健康診断の結果、また引っかかったらそのときに
再検査する形で、定期的な検査も今のところ必要はありません。

うん、ありがたい。服薬後の変化もないようだし、長期にわたる抗アレルギー薬の影響が見られないだけでもだいぶ安心できます。



少しだけ計算してみました。
心拍数というのは、1分間あたりの拍動回数を言うのでしょうから、

76回/分×60分/時=4,560回/時
4,560回/時×24時間/日=109,440回/日

となり、およそ10万9,000回となります。おそらく、パソコン上ではこんな計算をしているのでしょう。

(*1): 正常心電図の画像は、心電図検査について〜宮崎大学医学部附属病院検査部のサイトよりお借りしました。

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音楽が鳴っているのはOKだがTVがついているのはどうも

2023年12月11日 06時00分53秒 | Weblog
不思議なもので、映像を見る・見ないにかかわらず、テレビがついているとその部屋で備忘録ノートを広げても、どうもうまく書けません。特にバラエティ系はだめです。単調な作業だとできなくはないけれども、考えながら書く、文章をまとめるというような作業は難しいです。
これがラジオだと、FMであるかAMであるかに関わらず、音楽が鳴っていても何の抵抗も支障もありません。私の脳みそは、どうも音楽と備忘録は並列処理できるようです。たぶん、音楽は脳の奥の方で処理し、備忘録を書く作業は大脳皮質の外側のほうで行われているから(*1)、なのでしょう。言ってみれば、昔風な喩えですが、CPUのほかに数値演算コプロセッサを装着した状態に近いのかもしれません。

写真は、今年のサツマイモを使って妻が作ってくれたスイートポテト。爺さんには珍しいと言われるかもしれませんが、おいしいので実は大好物です(^o^)/

(*1): 人間の脳は大きく3つの部分からなっている〜日本学術会議おもしろ情報館「学習と記憶」

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意欲の減退や悲観的な気分への対処は老年期の課題かも

2023年12月02日 06時00分07秒 | Weblog
人によって違いはあるのでしょうが、私たち夫婦ともに、古希の前後に意欲の減退や悲観的な気分に陥ることがありましたし、今でもときどき顔を覗かせることがあります。いわゆる「やる気が出ない」「投げやりな気分になっちゃう」状態です。これはおそらく老年期に起こりがちな神経伝達物質の分泌減少やバランスの偏りなどが背景にあるのでしょうが、一緒に暮らしていると、時としてお互いに対応に困る場合もあります。長年連れ添っている間柄でもそうなのですから、息子・娘や若い夫婦が同居していたりしたら、若い世代にとってはなんとも鬱陶しくウザい面が強く感じられてしまうことでしょう。三世代同居率全国第一位の山形県でも、同居の若夫婦が家を出てアパートぐらしを始めたなどというケースを耳にすることがありますが、ありうることだろうなあと思います。



これらの、老年期の意欲の減退や悲観的な気分をうまくやり過ごし、平安な関係、状態に戻すには、おそらく理解と忍耐、あるいはお天気の良い日には太陽の光を浴びて一緒に畑で労働をするというようなことが大事になるのだろうと思います。

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山形県立農林大学校が東北農林専門職大学に

2023年11月03日 06時00分46秒 | Weblog
山形県が発行する「県民だより」によれば、これまで専門学校扱いだった県立農林大学校が、来年度から四年制の東北農林専門職大学として開学するのだそうな。これまでは自営農業者育成のための養成所のような性格でしたが、今度は農林業に関する専門職養成としての性格を保ちながら、大学として扱われることになるようです。鶴岡市にある山形大学農学部との違いは、山大農学部があくまでもアカデミックな教育研究機関であるのに対して、こちらは専門職育成の面が強いというのですが、実際はどんなふうなのだろう。興味深いところです。

ところで、その工事に当たっていた建設業の人たち、具体的には山形県建設業協会最上支部の若い人たちが、おもしろい動画を作っているようです。それがこれ。

#山形県建設業協会最上支部『DOBOKUのススメ 』- MCGATAどBANKING #建設業ソング


ミッチー・チェンさんとのコラボで作ったものらしい。一般的な山形弁と比較してみると、言葉を投げつけるようなかなり荒っぽい口調で、建設業界的山形弁でのラップではありますが、しかしおもしろいことを考えるなあ(^o^)/

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定年後の生活は実際のところどうですか?

2023年11月02日 06時00分32秒 | Weblog
退職前に非常勤で勤めていた職場の同僚から、「定年後の生活は実際のところどうですか?」と問われたことがあります。彼も、定年が間近に迫っていて、再雇用に応じようか、別の仕事に再就職しようか、全くフリーの生活もいいなあ、などと考えて、実際のところどうなのかを知りたい、ということのようでした。これに対して、私の経験からは、

年金が出る年齢までは働いて、その後は徐々にフェードアウトするのがいいのではないか

と答えるようにしていました。

実際問題として、年金が出る年齢まで無収入で貯金や退職金を取り崩す生活というのは、よほど恵まれた人は別として、一般的には経済的に厳しくなる人が多いのではないかと思います。親の介護などがあれば、なおのことお金はかかりますので、仕事を続けながら介護保険等の制度を活用するのが良いと思います。また一方で70歳過ぎまでフルタイムで働くというのは、仕事にもよりますが、体力的に厳しい面があります。体力に応じて、数日間、あるいは短時間働ける条件があればありがたい。では、定年と同時に完全フリーの生活になった場合を考えると、私の場合は半日くらいは趣味等で時間をつぶせても、まるまる一日ずっとヒマで何もすることがないというのはなかなか耐えられません。2日や3日ならばいいけれど、半年、1年、5年、10年以上ずっと続くことを考えると、正直に言って飽きます。たぶん、ボケます。

逆に、自力で親を介護しようと考えるなら、共倒れが心配です。制度を活用し、他人の力を借りるのは人倫に反する悪行ではありません。私たち夫婦は、本人の希望どおり在宅で母を介護しましたが、入浴介護や訪問介護、デイサービス等に助けられた面が非常に大きいです。非常勤で働きながら母を見送ることができたのは、恵まれていたし、ありがたかったと思います。

母を見送った今は、果樹園や野菜畑等の仕事があるので、大変ですがそれなりにおもしろいものです。職場や地域の諸先輩の例を見ていると、何もない生活というのは、よほど工夫しないと、どうも生活不活発病による不調に加えて、認知症に陥る例が少なくないように思います。

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一日の過ぎる早さ

2023年10月27日 06時00分51秒 | Weblog
秋、一日がなんと早く過ぎていくことか。昨日は良いお天気で、数日前から来てくれている植木屋さんも作業しやすそうでした。自宅裏の畑の隣が宅地化されるそうで、境界の立合をしたり、里芋を試し堀りしたり、柿の徒長枝を切ったり、終日こまごまとした作業をして過ごしましたが、今日も良いお天気は続きそうです。たぶん、同じように早く過ぎていくのだろうなあ。そう感じるのは、日が短くなっているのも原因の一つなのでしょう。朝、6時ではまだ暗いし、夕方、5時ではもう薄暗い。夏場は朝4時半過ぎには明るくなり、夜は6時半でもまだ明るかったのですから、年をとったこととは関係ないと思うのですが。

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カタリン・カリコ博士とワイスマン博士の2人がノーベル医学生理学賞

2023年10月03日 06時00分21秒 | Weblog
報道によれば、今年のノーベル医学生理学賞には、カタリン・カリコ博士とドリュー・ワイスマン博士の2名が決まったとのことです。詳しくは今日付けの新聞等に解説が掲載されることと思いますが、主眼は mRNA の医療への応用(*1)を開く発見をした功績によるものと思われます。その有効性を示した実例が、今回の新型コロナウィルス禍と世界的なワクチン接種による一定の沈静化だった、ということなのでしょう。これまでのワクチン開発とは異なり、病原ウィルスやその変異株の遺伝子の塩基配列が明らかであれば、これに対応した修飾mRNAを作ることにより、実際に細胞内に導入しても激しい拒否反応が起こることはない、という点が画期的なポイント。したがって、COVID19 のウィルスだけでなく他の感染症やガン等にも応用できる、という点が将来的には非常に重要でしょう。

iPS細胞の山中伸弥教授との対談(*2)も興味深く聞きましたし、やがてノーベル賞だろうなあとは感じていましたが、いざ実現すると、「あ、やっぱり」という感じです。一般向けの本(*3)も興味深く読みましたが、カタリン・カリコ博士一家のハンガリー出国のエピソードや米国での研究生活の蹉跌などを含んで、映画にもなっているらしいのでこれも興味深いものです。



ところで、予算権限を持つものが誤った「選択と集中」を行うことにより、大切な基礎研究が圧迫されるという弊害が如実に現れることも、両氏の研究の経緯から読み取れます。若い人が短期的な研究実績を求められ、それがないと研究費も研究ポストも得られないという日本の政策は、若い世代の研究活力を奪っているだけでなく、そもそも研究者になろうという志向を阻害しているように思います。まことに残念なことです。おそらくその象徴が、中学高校の放課後の活発なスポーツ活動と対照的に、閑散とした放課後の理科実験室の姿に現れているのではなかろうか。

(*1): 新型コロナウィルスのワクチン接種始まる〜女性科学者の努力に拍手!〜「電網郊外散歩道」2021年2月
(*2): NHKのTV番組でカタリン・カリコ&山中伸弥両博士の対談が興味深かった〜「電網郊外散歩道」2021年5月
(*3): 増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ』を読む〜「電網郊外散歩道」2021年11月

【追補】
プレジデント・オンラインに、興味深い記事を見つけました。ポプラ新書でカタリン・カリコ氏についての本をまとめた増田ユリヤ氏によるものです。「パンデミックが起こらず、自分が無名のままでいるほうが良かった」〜President Online より

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有線放送の時代は意外に良かったのかもしれない

2023年09月29日 06時00分07秒 | Weblog
昨年の今ごろ、家の固定電話に怪電話がかかってきて迷惑したため、今更ですがナンバーディスプレイ契約に変更しました。その後、怪電話はかかって来ないのでまずは良かったのですが、考えてみれば黒電話が一般に普及する前の昭和30年代、農村部に多く導入された有線放送と有線電話というのが、意外に良かったのかもしれないと感じます。

農協の地域事業だったのか、運営母体はわかりませんが、地域内の相互連絡には便利なものでした。また専属の交換手がいて、域外には交換手を通して接続してもらうと、電話をこちらからかけることもできました。電話代は高かったようですが、家族の安否などを急いで知らせる必要のある時には役立ちました。当然のことながら間違い電話というのはまれにありましたが、迷惑電話や怪電話という話は聞かなかったように思います。

過去は美化されるという一般則はありますが、今から思えば、いつでもどこへでも電話ができるという便利さはないけれど、逆にいつなんどきでも電話がかかってくる、しかも怪しい営業電話がかなりの比率で含まれるという鬱陶しさはなかったし、ナンバーディスプレイや録音、着信拒否などという機能は必要性を感じていませんでした。便利さは裏返せば別の不便を生むということでしょうか。固定電話を廃止しようという考えもないではないのですが、妻も私もそれぞれに地域での役割もあり、スマートフォンに一本化するというのも無理があり、留守番電話機能とナンバーディスプレイに頼っているところです。もっとも、地域の人たちは日中は畑に出ていて出られないことを承知していますので、意味のある電話が来るのは夕方〜夜が多いのですが。



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「はじめてのドローン講座」を受講して

2023年09月17日 06時00分06秒 | Weblog
天童市民プラザが主催する「はじめてのドローン講座」を受講してきました。まずはじめに座学で概論を簡単に習い、その後に操作体験です。生まれて初めての操作体験は楽しく、コントローラのスティックから指を離せばその位置でホバリングするというのは、たいへん便利なものです。屋内運動場で目視で操作できる範囲で、DJI の Mavic を用いて、離陸、上下移動、前進と後退、左右移動、位置回転、着陸と、入門的な基本操作を経験してきました。

ただ、結論からいうと、我が家の位置や果樹園の場所が、飛行禁止区域にすっぽり入っているということが判明。実際に制御を外れて吹っ飛んで行ってしまうことはままあることのようで、高速道路上に落下したり、離着陸態勢に入った航空機にバードストライクのような事故を生じさせたりしたら大変なことになります。ドローンは魅力的ではあるけれど、実際に運用することを考えると、残念ながらちょいと問題が大きすぎるようです。講師の方々には申し訳ないことながら、受講してスッパリ諦めがついたようです。

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「はじめてのドローン」講座を受講することに

2023年09月10日 06時00分56秒 | Weblog
天童市の市民プラザが主催する一日集中講座で「はじめてのドローン」というのを見つけ、申し込みました。果樹園のサクランボや桃を上空から見たらどんなふうに見えるのだろうとか、野鳥の群れに近づいて見たらどんなふうに見えるのだろうとか、あるいは防鳥ネットを張ったところを上空から見たら実際はどんな状況なのだろうとか、様々な点からドローンに興味を持ってはいましたがなかなか体験するには至らず、良い機会と考えた次第。9月16日の土曜日、午前中の90分の予定ですが、若い人が中心? どんな内容なのか興味深いところです。受講料は2,200円、教材費が200円。

(*1): 【一日集中講座】「はじめてのドローン」〜天童市民プラザ

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佐野利器と復興小学校、そして山形一小へ

2023年09月06日 06時00分37秒 | Weblog
この9月1日は防災記念日でした。これは、100年前の1923年に起こった関東大震災の災禍を後世に伝え防災意識を喚起する役目があったことから設けられたものでしょうが、新聞やテレビでも関東大震災やそれに関連する報道が行われました。例えば9月2日付けの山形新聞の土曜コラム「マルチアングル」では、「佐野利器(白鷹出身)と関東大震災」と題し、「復興小学校に込めた思い」という記事を掲載しています。これは、論説委員長の鈴木雅史氏のもので、関東大震災後に後藤新平のもとで街作りや復興建築を進めた東京帝国大学の佐野利器(としかた)教授が、若い時代に東京帝国大学で辰野金吾教授に学び、歐米の建築学では未開の分野であった耐震構造の研究を志したこと、廃墟と化した首都の復興に耐震耐火性の高い鉄筋コンクリート造の建築による街作りを推進したこと、白鷹町出身の山口少年が米沢中学に学んでいた時に、恩師が教え子を養子とし佐野姓として帝国大学に送り出したように、出自や財産ではなく才能と成績とを惜しんでくれた恩師たちのことなどを紹介するものです。



そして9月4日付けの「ふるさとの文化財」シリーズでは国登録有形文化財として「山形市立第一小学校旧校舎、門柱および柵」が取り上げられ、「県内の防災建築の先駆け」として東北初の鉄筋コンクリート造の小学校となった改築工事の設計を担当した秦・伊藤建築設計事務所(やはり東北初)の秦鷲雄と佐野利器が親戚であり、佐野は山形一小の改築にあたって耐震耐火構造を重視して鉄筋コンクリート造を助言したらしいことを伝えています。(堀川貴志記者)



長州ファイブの一人・山尾庸三が設立した工部大学校の卒業生・辰野金吾から教え子の佐野利器へというこの流れもまた、幕末のサムライの息子たちが歐米の科学技術を学び、明治期のお雇い外国人教師の後を受けて後進を育てる中で、大正期には日本独自の視点による世界レベルの業績が出始めた化学等の分野の大きな流れ(*1)と軌を一にするものです。そしてその流れは、大都市部から財政力のある地方都市部へと移行しつつあるのでした。残念ながら、貧しい農山村漁村部まで普及するには、戦後、高度成長期を過ぎて子供の数が急激に減っていったバブル期前後まで待たなければいけなかったようですが。

いずれにしろ、同じ新聞社の中で短い数日間の間に関連する記事が複数登場するのは興味深いことです。これが意図したものであれば編集部の慧眼を表すものでしょうし、偶然であっても地元の歴史を大切にする報道姿勢があってこそのものでしょう。興味深いことです。

(*1): 「電網郊外散歩道」〜歴史技術科学カテゴリーの一連の記事、特に前半部あたり

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暗算が人より少し速いということの人生上の意味

2023年08月25日 06時00分12秒 | Weblog
子供の頃、暗算が速くできるということは称賛されることでした。例えば「19×19は?」と訊かれた時、そろばんを習っていて2級に挑戦している子などは頭の中でパチパチと珠をはじき、すぐさま 361 と答えていましたし、頭の良い子は

19×19
=(20-1)×19
=380-19
=361
あるいは
19×19
=(20-1)×(20-1)
=400-2×20+1
=361

などとして正解を出していました。小学生の頃は、このように人よりも速く計算して答えを出すということが称賛される面があり、いつも一歩出遅れるタイプの生徒には、くやしい場面でした。残念ながら私もまたこの暗算が苦手で、珠算も3級止まりで読み上げ暗算という種目が登場する2級を挑戦して何度か落ち、祖母に「これからは電子計算機の時代でそろばんは役に立たなくなるからやめる!」と宣言してそろばん教室に通うのをやめました(*1)。

で、暗算が速いと何かメリットがあったのか。確かに理系科目の試験などでは、ぱっぱっと数値計算できる速さは制限時間内に多くの問題に答えられるという意味で有利でした。しかし、大学受験や就職試験の時期を通り過ぎて振り返ってみると、上司から何か質問された時にパッと暗算で計算して答えると上司の覚えが良かったかもしれないとは思いますが、実際のところソロバンと手作業の時代からパーソナル・コンピュータによる情報化の時代へ転換する時期に直面していた私のケースでは、そうした即時応答力よりも、むしろパソコンが得意で地道に数値データの入力点検ができ、その分析をまとめられる力のほうが重要だったように思います。

だから私の経験では、暗算が人より速いということの人生上の意味は、前半(若い頃)には多少役立つことがあるけれど、後半(中高年)にはあまり意味がない、さらに退職して仕事を離れてしまうとほぼ全く意味がない(*2)と言えます。

(*1): これは、学生時代にカシオのROOT-8という電卓を購入し、全盲の祖母に触らせて説明した時に、私の子供の頃を回想して話してくれたエピソードです。小学校6年生だったと思います。1964年の東京オリンピックの頃、おそらくIBMとか大型コンピュータ等の語が時折ニュースに出てくるような時代だったせいでしょうか。
(*2): 果樹園で使用する農薬を希釈する時に、2000倍というのは何グラムを何リットルに溶かせばよいのか、といった時には役立ちますが、他人と競争するような速さよりもむしろきちんとノートに記録するほうがはるかに重要です。

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