電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

乃南アサ『六月の雪』を読む

2018年08月20日 06時03分53秒 | 読書
文藝春秋社の単行本で、乃南アサ著『六月の雪』を読みました。奥付を見ると2018年5月刊の第1刷とありますので、まだバリバリの新刊です。著者は女子中高等学校から早稲田の社会科学部に進み中退、広告代理店勤務を経て作家生活に入った方のようで、今度のオリンピックの年あたりに還暦を迎える世代のようです。

主人公・杉山未來は、声優の夢破れ、契約社員として三年間地味に働き、契約最終日を迎えます。同居の祖母とささやかな宴を開こうとした未來は、生まれ故郷の台湾の夢を見て当時の写真を探そうと階段を踏み外し頭を打って入院した祖母のために、昔の生家を探そうと台湾に出かけます。案内してくれるのは、父の教え子らしい台湾女性、李怡華です。愛想のない彼女と台南の旅をスタートしますが、翌日、李怡華は都合で帰らなければいけないとのこと。代わって紹介されたのが洪春華という女性で、言葉遣いが悪いけれど悪い人ではなさそうです。

洪春華は、台南の歴史的建造物に強い楊建智や、彼の高校時代の歴史の先生・林賢成とともに、未來の祖母の記憶にある旧台南第一高等女学校や、曽祖父が勤めていたという三井の製糖試験所とその社宅を探します。
ここからは、台湾の歴史を織り交ぜながら、未來の家庭の事情や台湾で出会う人々の一筋縄ではいかない人生を垣間見る展開となり、ミステリー風ロードムービーの趣があります。日本語のわかる彼らと一緒だったから、なんとか祖母の記憶にある家や「六月の雪」という欖李花の花も探し当てることができました。



日本の植民地だった時代、蒋介石がやってきた戒厳令の時代、蒋経国から李登輝(*1)に交代した時代。台湾の歴史は、感情を表に出さない国民性を作ったと李怡華は言います。同じ家族であっても、世代によって台湾語、日本語、中国北京語と異なる言語を話すという事情は、温又柔さんの本(*2)でも承知していましたが、また別の角度から再確認しました。

未來が中国語を学ぼうと台湾に語学留学を決意するあたりは、ごく自然に納得しましたし、林先生と親密になりそうなハッピーエンドの展開も予想できたのに、バイタリティあふれる洪春華のオートバイ事故という結末は、ちょいと衝撃的でした。久々に、良い物語を読んだと感じました。最初、「のなみ」という読み方すらわからなかった乃南アサという作家の作品は初めて読みましたが、なかなかおもしろかった。

(*1):李登輝『台湾の主張』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年9月
(*2):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年4月
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高橋弘希『送り火』を読む

2018年07月30日 06時02分05秒 | 読書
俊英による芥川賞受賞作ということで、高橋弘希著『送り火』(文藝春秋社)を読んでみました。導入部は、東京から青森県の山間の町に引っ越してきた中学三年生の男の子が、新しく住まいとなった一軒家になじみ、翌年には廃校となる予定の中学校のクラスに入っていく様子が描かれます。わずか六人しかいない男子生徒たちの中で、花札でナイフを盗む役割を決める場に居合わせたことから打ち解けていく、というのは実に大きな一歩だったのでしょう。

なんぴとも、悪を見て、あえてこれを選ぶわけではない。むしろ、それをより大きな悪と比べて善であるかのように思い、これに惑わされて、悪を追い求めるのである。  『エピクロス~教説と手紙』より

あとは、予想通り、いじめと暴力、その暗転としての見境無しの反撃までが、気持ちの悪い「伝統」を背景に描かれます。たしかに、言葉によって描写されるシーンは凄惨で、思わず息をのむすごさがあります。ただし、こんなこともふと思ってしまうのです。

この物語は、ドーナツ化現象でやがて廃校となる予定の都会の学校へ、田舎から転校してきた中学生が、かつて巨大なスーパーだった建物が空きビルとして放置されている場所を舞台として遭遇する出来事としても成り立ちます。昔ながらの伝統として弱いものをいたぶるのは、地元の暴走族でも設定できるでしょう。作者はなぜ津軽地方を、広く言えば田舎を舞台に選んだのか。それはたぶん、作者自身が田舎の出身であり、土俗的な背景を描きやすかったのと、田舎=遅れた封建的因習にまみれた地域としてとらえるステレオタイプな通念、都会を、繁栄と虚飾の影に大きな社会悪を宿しているとはとらえていない、そういう通念に合わせただけなのではないかと思ってしまいます。



正直に言って、先に読み終えた北條裕子『美しい顔』にしろ本作にしろ、おそらく二度と読み返すことはないでしょう。野暮天理系人間には、芥川賞作品はますます合わなくなってきている(*1)のかもしれません。並行して読んでいる柏原宏紀著『明治の技術官僚~近代日本をつくった長州五傑』(中公新書)がおもしろいだけに、よけいに辛口になってしまいました。

(*1):アクタガワ賞とナオキ賞~「電網郊外散歩道」2012年3月

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伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を読む

2018年06月21日 06時03分00秒 | 読書
新潮文庫で、伊坂幸太郎著『ゴールデンスランバー』を読みました。元宅配マンで、数年前にアイドルが暴漢に襲われているところを助けたことで一躍有名になった主人公・青柳雅春は、現在はバツイチで失業中。学生時代の友人である森田森吾と会い、初の公選首相である金田貞義の暗殺で濡れ衣を着せられると告げられ、青柳は逃げることができましたが、森田自身は爆殺されてしまいます。

そこから始まる逃亡のドラマは、仙台市内に張り巡らされたセキュリティ・ポッドのために、携帯電話を使うたびに居所を突き止められ、間一髪で逃れるという繰り返しで、主人公の学習能力が低いのではないかとはらはらします。はたしてこの結末はどうなってしまうのかと思わず夢中になってしまう作品。2008年の本屋大賞受賞作で、映画化もされているようです。



「逃亡」のドラマとしては、吉村昭『逃亡』というのもありました(*1)が、なんといっても子供の頃に面白く観ていたテレビドラマ「逃亡者」の記憶が鮮やかです。

リチャード・キンブル。職業:医師。正しかるべき正義も、、時として盲(めし)いることがある。彼は、身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に遭って辛くも脱走した。…(中略)…彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を、今夜を、そして明日を生きるために。

この時代の逃亡のドラマは、まだ途中で医者として人助けをする余裕がありました。しかしながら、現代においては「逃亡」はもっとずっと難しくなっているようです。携帯電話や監視カメラが広汎に普及し、「似ている」「おかしい」という理由ですぐに通報されてしまいます。本作のように、仲間に助けてもらう話ならばともかく、とても昔のような人助けを重ねるヒューマン・ドラマにはなりえないようです。

(*1):吉村昭『逃亡』を読む~「電網郊外散歩道」2011年11月

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三浦しをん『まほろ駅前番外地』を読む

2018年05月17日 06時05分16秒 | 読書
文春文庫で、三浦しをん著『まほろ駅前番外地』を読みました。『まほろ駅前多田便利軒』の続編というか、サイドストーリーのような位置づけのようです。

第1話:「光る石」
第2話:「岸良一の優雅な日常」
第3話:「思い出の銀幕」
第4話:「岡夫人は観察する」
第5話:「由良公は運が悪い」
第6話:「逃げる男」
第7話:「なごりの雪」

現行作品の場合、あらすじを忠実に追うとネタバレになってしまいますので、読んだ人ならわかるかも、というような形でコメントしたいと思います。

第1話:こういう女性の競争心、対抗心って、コワイですね〜(^o^;)>poripori
第2話:どんなに日常が優雅であろうと、千枚通しをほほに突き刺すようなこういう残虐性はキライです。作者の感性は、どうも人畜無害なワタクシとは合わない面があるようです(^o^;)>poripori
第3話:曽根田のバアちゃんの若い頃の話。
第4話:高校の同窓会の件で多田と行天が仲違いをし、岡家の依頼仕事で岡夫人に仲裁され叱られる話。ふーむ、岡夫人は作者の理想像なのかも。
第5話:これも都会の裏面の話。当地のようなど田舎では無縁の世界。
第6話:依頼内容が遺品の整理でも、ここまで徹底していると、異常性が際立ちます。まだ若い未亡人は、敏腕女社長。刑事コロンボなら事件性を嗅ぎつけるところでしょうが、このお話ではそうではなかったようです。
第7話:どうもこの1編の中に、次の『まほろ駅前狂騒曲』の発端があるようです。



本作における作者の基本は「逆説」なのかもしれません。本当はこうだった、みたいな逆説を物語として具体化する実験なのでしょうか。面白いのだけれど無理があると感じる面もあります。逆説のほうが本当らしいと思えるのは、若いうちだけなのかも。

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三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』を読む

2018年05月12日 06時02分11秒 | 読書
文春文庫で、三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』を読みました。だいぶ前に、図書館で単行本を借りて読み終えています(*1)ので、今回は再読になります。なんとなく記憶にありましたが、まったく忘れているところもありました。構成は、

第1話:「多田便利軒繁盛中」
第2話:「行天には、謎がある」
第3話:「働く事は、満身創痍」
第4話:「走れ、便利屋」
第5話:「事実は、ひとつ」
第6話:「あのバス停で、また会おう」

というものです。

主人公:多田啓介は、子供を亡くし離婚歴のある、中年とまではいかないがもう若いとは言い難い年齢の便利屋稼業。曽根田のバアちゃんを見舞うという「仕事」を請け負い、帰りに高校時代の同級生・行天を拾います。この行天君、なんとも仰天な性格と言動ですが、やっぱり離婚歴があり、子供が一人いるみたい。

で、東京の南西部、神奈川県に接する架空の街まほろ市で、多田と行天の同級生コンビが様々な依頼を請け負い、なんとか解決していくという流れになっています。登場するのが娼婦やチンピラ、ヤクザ、可愛げのない小学生、偏屈老人に行天の元妻の医師、というもので、いずれも一筋縄ではいかない顔ぶれです。

これがパブリックドメインになっている作品ならば、盛大にネタバレでも良いのでしょうが、現行作品ならばそういうわけにもいかないでしょう。なかなかおもしろかった、とだけ記しておきましょう。



個人的には、タバコを意味ありげに描くシーンはあまり好きではない。若い頃、長く続く咳に苦しんでいる時に、もうもうと紫煙うずまく部屋での会議を強制され、会議中禁煙を提案してもあっさり否決された(*2)のを根に持っているわけではない……いや、あるな(^o^)/
このシリーズの表紙にタバコの絵が登場するのは、某タバコ会社から宣伝費用でも出ているのでしょうか(^o^)/

(*1):自分で購入する本と図書館から借りる本〜「電網郊外散歩道」2014年5月
(*2):岩波新書で小林博著『新版・がんの予防』を読む〜「電網郊外散歩道」2009年3月
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石井遊佳『百年泥』を読む

2018年05月02日 06時04分58秒 | 読書
雑誌『新潮』の2017年11月号で、新潮新人賞発表として掲載されていた、石井遊佳著『百年泥』を読みました。どうやらこの作品は、第158回芥川賞の受賞作らしい。



最も印象的なエピソードは、ある少女の母親が肝臓を病んで亡くなり、これを火葬し川に流すために旅をしますが、山岳道路の土砂崩れのために遠回りを余儀なくされ、火葬費用が足りなくなってしまいます。旅行者に目星をつけて、窃盗で賄おうとするのですが、日本人旅行者(観光客)のエピソードが切なくていい話です。1970年の大阪万博のコイン! そんな時代があったなあと思わず遠い目になってしまいます。ふだん読んでいる小説とはだいぶ趣を異にしていますが、面白く読みました。

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山本一力『牛天神』を読む

2018年04月15日 06時01分54秒 | 読書
文芸春秋社の単行本で、山本一力著『牛天神』を読みました。『損料屋喜八郎始末控え』シリーズ中の一冊のようですが、第何作目になるのかは不明です。2018年1月刊の第1刷と奥付にありますので、最新刊であることは間違いありません。



大事に育てられ、性根も悪くないのですが、質屋の小島屋の跡取り息子はどうも今一つ物足りず、遊郭遊びが過ぎるのです。小島屋は、背中合わせで損料屋を営む喜八郎のところに相談、別々に調理することで素材の味を引き出すという潮汁の味がヒントになり、小島屋の与一朗を二年間だけ喜八郎が預かり、その後、小島屋に返すということで話はまとまり、与一郎は損料屋の一員として働き始めます。このあたり、どうも子供を大事に育てることの良い面と物足りない面を表しているようですが、ご当人のボンボン与一朗の目は必ずしも節穴ではなかったようで、佃町の二千坪の広大な火除け地を買った問屋・堂島屋の二番番頭・伊五郎の横柄な注文を断ります。その後の成り行きを見ると、どうも与一朗の判断こそが正解だったみたい。

堂島屋を動かした黒幕は実は別にいて、その男・鬼右衛門こそ、深川に恨みを残す福太郎の別名でした。鬼右衛門の執念は、いったんは深川っ子たちの結束の前に敗れ去りますが、鬼右衛門らは筋書きを描いた者として喜八郎、喜八郎に思いを寄せる秀弥、北町奉行所の秋山順生とのつながり等をつかみ、復讐のために動き出します。はたして防ぐことはできるのか、というミステリー風仕立ての物語となっています。なかなかおもしろく楽しみました。

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遊学館ブックス『小説にみる山形』を読む

2018年04月11日 06時02分15秒 | 読書
遊学館ブックスで、『小説にみる山形』を読みました。平成29年12月15日発行と奥付にありますので、ほんとに出たばかりの最新刊です。遊学館というのは、山形県立図書館などが入っている建物のことで、ここで「山形学」だとか「小説になろう」講座などがずっと開催されてきました。今回の『小説にみる山形』は、平成28年度の「山形学」講座やフォーラム等のテーマに基づき編まれた冊子で、次のような構成になっています。

フォーラム「文学にみる山形」 鼎談:佐伯一麦、小池昌代、池上冬樹
講座「小説にみる山形」
1. 語られた人物  髙橋義夫、鈴木由紀子
2. 藤沢作品に描かれた舞台を歩く  松田静子、中里健
3. 「怪異と伝承」の謎  黒木あるじ、佐藤晃
4. 作家はふるさとの山形をどう描いたか  石川忠司、森岡卓司
5. 井上作品・浜田作品の原点を訪ねる  阿部孝夫、樋口隆



今回、とくに興味深かったのが、「ないた赤おに」の作者・浜田廣介が、晩年になって色紙によく書いていたという言葉、

強くやさしく男の子、やさしく強く女の子

あるいは、

ほしいもの 冬の炉ばたのあたたかさ もうひとつ 人の心の温かさ

など、この年齢になってしみじみといい言葉だなあと感じられます。あるいはまた、晩年の詩

 道ばたの石

道ばたの石はいい
いつも青空の下にかがみ
夜は星の花をながめ
雨にぬれても風でかわく
それにだいいち
だれでも腰をかけてゆく

などという境地に、思わずほっとしたりします。

童話的などと軽々しく言うことはできません。藤沢周平と同様に、浜田廣介もまた不幸な厳しい前半生を過ごした人でしたから、人のあたたかみに感じるところが大きかったのでしょう。

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箒木蓬生『悲素』(下巻)を読む

2018年03月23日 06時03分19秒 | 読書
和歌山毒カレー事件の背後にある複数の事件は、いずれも容疑者の周辺で起こり、多額の生命保険がかけられるなど不審な点が多いことが判明していきます。無味無臭というヒ素の毒の特徴から、食中毒やその他の病気と診断され、毒殺・変死とはみなされなかった。それが、犯人を増長させることになってしまった、ということでしょう。

しかし、毒カレー事件により県警の捜査が入り、容疑者周辺の過去の疑惑にも調査の手が伸びて、九大医学部の沢井教授の診断で、いずれも典型的なヒ素中毒であることが明らかになります。容疑者に毒を盛られた元従業員の生存者が、様々な証言をしてくれたことで、多額の生命保険を詐取する事件の構造が浮かび上がります。

下巻の後半は、裁判の経過が中心となりますが、素人にはどうにもじれったい応答が続きます。仮にも人が人を裁くわけですから、丁寧な審理が必要だということはわかりますが、常識では理解しがたい面も少なくなく、読み続けるにはだいぶ辛抱が必要でした。それでも、一審判決の三ヶ月後に沢井教授が定年で九大を退官した際の、捜査を担当した刑事からの手紙には心を打たれます。



犯人の心理を、どう理解すればよいのか。おそらくは、毒殺魔の心理状態として「仮想的な万能感」を想定することは当たっている面が大きいのでしょう。人の生死を握っている、あるいは自分のさじ加減で人の生死を決めることができ、誰も自分の犯行を明らかにすることができないという感覚。取材する記者たちに対する傲慢な態度も、そのあたりの反映だったのかもしれません。

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箒木蓬生『悲素』(上巻)を読む

2018年03月22日 06時01分19秒 | 読書
新潮文庫で、箒木蓬生著『悲素』(上巻)を読みました。1998年に起こった和歌山毒カレー事件を題材とした小説で、名前こそ変えてありますが、事件の流れや背景はそのままですので、ごく自然に理解できます。

主人公は、九州大学医学部の衛生学教室の教授。1998年夏の和歌山毒カレー事件で、カレーから青酸を検出したという報道に、「違う」と違和感を持つところから始まります。青酸すなわちシアン化合物ならば、もっと急性で激烈な毒作用を示すはず。そうこうするうちに、和歌山県警から協力の依頼が入ります。使われた毒がヒ素であるとも。捜査への協力は、被害者である患者の診察からでした。そして、事件の背後には、カレー事件以前に別の犠牲者が存在するらしいことが判明します。真相が明らかになることはないと確信する恐るべき毒殺魔に対して、医学が真実を明らかにすることができるのか。



これは小説であると思いながら、当時抱いていた疑問が解き明かされることに納得しつつ、その結果さらに暗澹たる思いに至るような、なんとも不思議な読後感です。実に下巻が待ちきれない、一気読みです。

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購入した本の顔ぶれは

2018年03月17日 06時04分20秒 | 読書
先週末に、行きつけの書店で、注文してあった本を受け取りに行ったついでに、何冊かの新刊書を購入してきました。

  • 共同通信社原発事故取材班・髙橋秀樹編『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』(新潮文庫)
  • 帚木蓬生著『悲素』(上下、新潮文庫)
  • 香月美夜著『本好きの下克上』第4部「貴族院の自称図書委員」第2巻(TOブックス)
  • 橋本健二著『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)

このうち、『全電源喪失の記憶』は、地元紙「山形新聞」に配信されていた共同通信のルポをまとめたもので、かねてよりまとまった形で読みたいと希望していた(*1)ものです。単行本で出ていたのかもしれませんが、あいにく目に触れず、このたび文庫本で出たのを知って、ぜひにと入手した次第。
また、帚木蓬生『悲素』は、和歌山毒カレー事件を題材とした小説仕立てのもので、これもぜひ読みたいと思い、入手しました。ただいま、「うーむ、うーむ」と唸りながら読み進めております。
香月美夜『本好きの下克上』は、このところハマっているライトノベルの最新刊です。この第4部がいちばんおもしろいと感じます。
橋本健二『新・日本の階級社会』は、調査結果をもとに「格差社会」の実情を検討したもののようで、理系人間には最も弱い分野です(^o^;)>poripori

(*1):東京電力福島第一原発の全電源喪失のルポは単行本でも読みたい〜「電網郊外散歩道」2014年7月

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池井戸潤『ルーズヴェルト・ゲーム』を読む

2018年03月14日 06時04分19秒 | 読書
講談社文庫で、池井戸潤著『ルーズヴェルト・ゲーム』を読みました。購入してから読み始めるまで、なかなかとりかかれずにいましたが、読み出したら一気でした。



プロローグは、社会人野球の公式戦で、青島製作所の野球部がライバル会社のミツワ電器に惨敗するところから。監督は社長とケンカして主力看板選手二名を引きぬきライバル会社に転出、代わって招聘された新監督はパソコンを駆使してスコアブックを分析、新オーダーを組み立て発表しますが、やはり決め手に欠けています。要するに、エースの不在です。

業績が低迷し、リストラに着手せざるを得ない会社で、お荷物となっている野球部はまさに存亡の危機、チームの選手にとっては雇用の危機でしょう。そんなとき、社内の親睦野球大会が開かれますが、野球部ではない製造部チームの派遣社員のピッチャー沖原がすごい球を投げることがわかります。

実は沖原は、かつて高校野球の名門校で嫌なことがあり、中途で野球を諦めて退部したという経歴があるらしいのです。内緒でスポーツ誌の記者に事情を調べてもらったら、ライバル会社ミツワ電器の野球部のエース如月との因縁が判明します。三年生の如月が二年生のライバル沖原を蹴落とそうとイジメを繰り返し、母子家庭の沖原に母親を侮辱する言葉を浴びせた結果の暴力事件だったとのこと。青島製作所野球部マネージャー古賀は、沖原に試合の観戦チケットを渡し、如月が先発することを告げて、

「過去に目を背けているだけじゃ解決しない」「前に進もうと思ったら、その過去に立ち向かうしかないだろう」

と言葉をかけます。



このあたりまで来ると、社会人野球の因縁めいた裏話なのかと思ってしまいますが、実はそうではなくて、青島製作所が最後の頼りにしている新型イメージセンサーの開発の事情が、競合するミツワ電器との提携合併ハナシとの対比のなかで描かれていきます。このへんになると、作者お得意の企業小説で、大どんでん返しもちゃんと用意されており、基本的には勧善懲悪の物語となっています。いわば、社会人野球は両者の上澄みというか、象徴のようなものでしょう。

スポーツにはあまり縁がない当方も、野球の面白さはわかりますので、劇的な決勝戦も堪能できましたし、面白さは流石だと思います。

むしろ、味があるのは、開発スケジュールを前倒しにしてほしいという要請に対する技術開発部長の神山の対応です。頑なに開発スケジュールを守ることが品質を守ることにつながるという信念を貫きながら、予定よりもだいぶ早く新型イメージセンサーを開発するとともに、その小型化にも成功するという大逆転。このあたりのドラマは、理系人間には野球以上に興味深いところですが、残念ながらそこは描かれません。残念といえば残念です。

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大邸宅と執事

2018年02月12日 06時04分17秒 | 読書
カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞することになった時、前年のボブ・ディランに比べれば驚きは少なく、日本生まれ英国育ちの、ほぼ同世代の受賞を祝ったものでした。

ところで、大邸宅には執事がつきものです。代表作『日の名残り』は執事のスティーブンスが主人公の位置づけですが、他にも印象的な執事がいます。一例を挙げてみると:

  • ヒルトン『心の旅路』 スタートンの邸宅に古くから勤めている執事シェルダン。
  • ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』 悪友スティアフォースの家にいた執事は、エミリーの不幸の責任の半分を担っていると言うべきでしょう。
  • P.G.ウッドハウス『ジーヴズ』シリーズ。 有能な執事ジーヴズが毎度くだらない危機からぐうたらな主人を救ってさしあげる話。
  • 東川篤哉『謎解きはディナーの後で』 お嬢様と執事の話ですが、あまりお嬢様らしくないと感じます。本屋大賞受賞作。

などでしょうか。シェルダンとスティーヴンスが双璧と言うべきでしょう。

自宅の庭木や畑などの維持管理に目が届かず、いつも忙しくしている中高年にとって、執事さんの存在は羨ましい限りですが、執事を雇わなければならないほどの豪邸を持つ資産家というのも、周囲とのお付き合いが大変そうです。やっぱり、執事さんとは本の中で接するくらいが良さそうです(^o^)/

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滝口悠生『高架線』を読む

2018年02月03日 06時02分38秒 | 読書
2017年9月に講談社から刊行された単行本で、滝口悠生(ゆうしょう)著『高架線』を読みました。著者は1982年に東京都八丈町、要するに八丈島に生まれ、埼玉県入間市に育った35歳。高校卒業後にフリーターとして生活し、早稲田の2文で学んだ後に中退、輸入食品会社で社員として働く傍ら小説を書き、2016年に『死んでいない者』で芥川賞を受賞した主夫志向の作家(Wikipedia)とあります。

本作品は、西武池袋線の東長崎駅周辺を主な舞台として展開されます。「かたばみ荘」という古いアパートに住む新井田千一という青年の経歴やら事情やらが当人の言葉で語られた後に、片山三郎の縁で七見歩という青年による語りに変わり、その妻・七見奈緒子にバトンタッチして…という具合に、次々に語り手が変わっていきます。

新井田千一です。…

このあたりは、まるで E-mail の書き方みたいで、作品全体が、まるで誰かのメールソフトのデータをメールボックスごと開いて読んでいるような感覚があります。実は、メールボックスの役割を果たしているのが「かたばみ荘」で、転居に際しては次の住人を紹介するという大屋さんの流儀が人のつながりを生んでいます。

高架線から地上を見下ろした時に、下方に見える多くの人々の暮らし。その人々の縁が、いささか風変わりだけれど飄々と親愛感を持って描かれているようです。個人的には、片山三郎があやうく無銭飲食というところで説教してくれたうどん屋の親父さんのエピソードが、昭和の人情話風で良かった(^o^)/

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山本一力『ジョン・マン(6)順風編』を読む

2017年11月08日 06時04分40秒 | 読書
講談社刊の単行本で、山本一力著『ジョン・マン』第6巻「順風編」を読みました。前巻では、樽を作る職人のところに住み込みで働きながら学校に通うところで終わっていましたが、この巻ではいきなり新造の捕鯨船フランクリン号にジョン・マンが二等航海士として乗り組むところから始まります。船長は、かつてジョン・ハウランド号で一緒に乗り組んでいたアイラ・デイヴィスです。バートレット・アカデミーを最優秀で卒業したジョン・マンは、船長がボストンで契約した珍品収集の課題を懸念しながらも、ボストンの街に同級生ジムの屋敷を訪ねます。カトリックの父は儀礼的に遇するだけでしたが、ジムは馴染みの店でもジョン・マンのことを尊敬する友人として話していました。それだけではなく、ジムは大切な情報を伝えます。それは、今度の航海の海域には「べた凪」の難所があること、ハーバード大の図書館にあった航海記録も見せてもらいます。ジョン・マンは、シュロ、杉や松の葉、洗滌済みの砂と小石、木炭、ウェスの調達と浄水樽の準備を船長に提案します。

大西洋を越えて、フランクリン号はケープタウンを廻り、ニューアムステルダム島周辺を通過、大ウミガメを仕留めた後にオーストラリア方面に向かい、チモール島クーバンに到着します。とりあえず鯨油を売却し、安い経費で一ヶ月の停泊をしますが、ここでオランダ船の船長バンハウテンの表敬訪問を受け、さらに船長・副長とともにジョン・マンも海鮮レストランに招待されます。そこで聞いた長崎の話と土佐の捕鯨の玩具に思わず涙をこぼすのでしたが、同時に頭痛の持病を持つというデイヴィス船長の精神の変調が見えてきます。そしてオーストラリア北東、ニューアイルランド島に到着、船長の異常が明らかになり、さらにクアム島アガニア港に入った頃には船長の拘束を考えるまでになっていました。



乱獲がたたって捕鯨船なのに鯨が捕れず、代わりの珍品収集も覚束ない。船長は変調を来し、副長と二等航海士ジョン・マンの責任は重要さを増しつつあるというところでしょうか。続きはまた一年後?なんだかじれったい(^o^;)>poripori

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