もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

大峰山その3

2010年05月02日 | 旅行記
「ざ~んげ、ざんげ ろっこんしょうじょう」(懺悔 懺悔 六根清浄)まだ夜の明けやらぬ午前4時、朝食を済ませ、身繕いを整えた一行は行場特有の掛け念仏を唱えながら懐中電灯の灯を頼りに宿坊を出発した。
*懺悔は仏教用語としてはサンゲと読むようだが、ここではザンゲと発音されていた。Photo

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 出発してから2時間、前日とは反対側の<結界門>で小休止、それでもこの辺りはまだ全員余裕の表情。

 一日目の行程はほとんど上り坂でかなり険しい山だったが、2日目の奥駈けはそれにも増して鎖場、急斜面、道のない原生林という行程で、いくつもの山々を登ったり下ったりで、山入り前にトレーニングをしてきたつもりだったが、脚はもつれ、呼吸の乱れは激しい。

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 さらに1時間、<小普賢岳>の山頂で小休止。
 若者たちにも疲労の色が・・・・。


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 さらにさらに一枚岩の鎖場の崖を登り、原生林を抜けて、今朝からいくつめの山頂だろうか、<七曜山>の山頂に着いた頃、私は体重の付加が重荷となってヒザが痛み始めた。



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 七曜山山頂からのからの風景、弥山までの道程はまだ遠く、下り坂の度にヒザの痛みは増し、私一人が一行の姿が見えなくなる程遅れるようになって来た。




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 11時半<行者還り>に着いて昼食。
 宿坊を出発して7時間半、極限の疲労で青年たちも食後は身体を横たえて休息をとる。
 
 ここで先達4人が合議の上、歩行困難となってしまった私を下山させることに決まり、ついに無念のリタイアと言うことになってしまった。 
 
 一口に下山と言っても、ハイ皆さん私はお先に失礼をしますと一人で下山出来るわけではない。   

 ヒザを痛めた私を原生林の山から村に下ろすために一人の先達が付き添い、私の身体にロープを結び、ロープの先を杖に縛り付けて、万一私が転がってしまっても杖が樹木にひっかかって止まれるようにと万全の配慮で私のために多くの人たちに迷惑をかけてしまった。

 現役の頃、「四畳半裁判傍聴記」「銭湯の釜炊き体験」「銭湯急ぎ旅」「房総の職人探訪」「南房総温泉巡り」「飛行船搭乗記」などなど、いろいろなイラストルポをさせてもらったが、この大峰山の取材が一番思い出も深く、途中リタイアながらも仕上がりに満足できたルポだった。

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房総の職人さんを取材した「名人列伝」より。

 あれから21年の歳月が流れ、私はすでにイラストレーターおよびルポライターとしての現役を終え、今は子どもたちを相手にのんびりと工作爺さんをしているが、あのとき山で一緒だった青年たちは今ちょうど働き盛りの40才前後になっていて企業の最前線で頑張っている頃だ。
 皆元気でいるのだろうか。

 ところで、深夜の探し物はまだ見つからない。
 というより、この取材の資料を読みふけっているうちに、何を探していたのか忘れてしまった。
 そのうちまた別のものを探しているときに思い出すだろう。