原雅夫先生のダンディズムは私たち門人にも及び「ファッション画を描く以上は自分もおしゃれでいなくてはいけない」と私などは何度も叱られたものだった。
*晩年の熱海で描き溜めた油絵の展覧会を南青山のコシノジュンコさんのアトリエで開いたときの弟子たちに囲まれた写真だが、この原教室の門人の半数はすでに他界していて隔世の感がある。
この中で一番パッとしないおっさんが(後列左から2番目)私で、未だにおしゃれが出来ないままでいる。
私が東京に出てきた1963年(東京オリンピックの前年)頃には原雅夫先生は<装苑>などのファッション画を描く仕事が多忙で、新宿区上落合にあった自宅のアトリエで後進の指導をするくらいで、洋裁学校には弟子たちが教えに行っていた。
●上落合のアトリエでの新年会、60年代の全盛期の原雅夫先生の貴重な写真だが後ろ姿しか写っていない・・・残念。
写真の右上の端っこにボーっと立っている青年が名古屋から出てきてまだ3ヶ月目の私で、恐れ多くてまだ原先生や先輩の門人たちには近寄れないときだった。
それからさらに遡ること10年、当時上落合のスタイル画教室で使っていたテキストに掲載されていた写真で中央に原先生の姿が見えるが、小さくてダンディーかどうかよくわからない・・・これまた残念。
スタイル画も当時のテキストからスキャンをしたものです。
しかし、この頃は私はまだ高校1年生で、原先生もスタイル画もまったく知らない時代で、このテキストは長命な兄弟子ならぬ姉弟子から拝借したものです。
余談ですが、今の私はご覧のとおりの工作爺さん(工作員ではない)ですが、私の出発点はこの原雅夫先生の門人からが出発でした。
スタイル画から一般的なイラストや挿絵などを描くようになり、現在の工作爺さんになるまでの原稿などを「折り返し展」としてアップをしています。
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2007年10月3日の「折り返し展・その1」が出てきます。
拝見にお邪魔していたんですが、何と書き込みをしたら良いやら、と躊躇していました。何しろ、活字、印刷物の向こう側の人の話ですから。とにかくかっこいいなあ、憧れるなあ、だけです。
で、長い時間かかってじわじわと思い出してきました。やはり、原雅夫氏のファッション画、見たことがあります。前回の横長の絵の顔立ち、記憶にあります。
それから、牛坂浩二氏の絵も!当時石坂浩二が絵を描くというのは聞いたことがあったんです。 で、牛坂浩二という名前を見て、何とまあ、ふざけた名前だ、と。でもそれが「い」の次で「う」だから二枚目でなく三枚目、という洒落だったとは、気がつかず。その洒落っ気が、今のブログに流れているんだと、妙に納得してしまいました。