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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

忙中閑あり・1万3千歩

2012年03月27日 | 雑記

 展覧会の準備に追われる中で、日差しに誘われて孫たちとディズニーランドへ出かけてきた。
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 ネット上のTDL混雑予想では、この日は黒色の表示になっていて「入場者者予測7万人以上、激しく混雑(入場制限に注意)なれない人はかなり辛い」となっている。

 早朝5時半、日の出と共に私たち老夫婦と息子の家族合計5人で海老名を出発。
 この時刻は天気は良いが、3月下旬というに、海老名ではー1℃という寒さで、これでは忙中ありである。

 途中横浜の娘の家により、そこで二人の孫を預かりTDLには開園30分前に無事到着、入場制限に遭うことはなかった。

 確かに禿げしい混雑だが(誰が禿げだ!)、訂正・激しい混雑だがそこそこにいろいろなアトラクション、乗り物を楽しみ、昼のパレードも夜のエレキテル・・・エレククタ・・・言いにくいな、エ・レ・ク・ト・リ・カ・ル、そう、そのパレードまで堪能して帰ってきた。

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 夕方になると、携帯の歩数計は1万3千歩を越え数年前に脊椎管狭窄症と診断をされた腰が痛み出した。

 伊能忠敬は偉かったなぁ。
 日本列島の輪郭を4千万歩も歩いて腰痛も出なかったのだから・・・。
 
 しかし睡眠を十分にとって一夜が明けた今朝になると、きのうの腰痛はウソのようにどこかへいってしまい、朝からトウモロコシの種まきの準備で野良仕事に、そしてこのブログをアップしたあとはまた展覧会の作品制作に戻れそうだ。


突然に福井へ・・・

2012年03月12日 | 雑記

「突然ですみませんが、3月25日の日程は空いていませんか?」

 福井市内でのイベントに来てほしいという依頼の電話があったのは2月の21日だった。

 その日の日程は空いているが、あと一ヶ月ほどしかなく4月には海老名市内での展覧会を控えていることから、大きなイベントで展示物が多いと準備に手間がかかって引き受けかねるが、当初はそれほどのこともなさそうな内容だったので、多少スケジュールはタイトになるがこの話は受けようと思っていた。

 しかし、話が進んでいくうちに構想が少しずつ膨らみ、3月25日だけではなく海老名の展覧会の日程とダブるようになり、さらに展示スペースもかなり大きくなってきてしまい、一時は私の頭の中と作業場は混乱状態でパニックに陥っていた。

 最終的には大きな展示をするにはどうしても時間が足りないこと、ダンボール製の大恐竜は今回の展覧会の看板娘だから同じ期間には福井へは出せないという当方の事情があり、先方も大恐竜が来れないのなら・・・また別の機会にとキャンセルの連絡があり私のパニック状態はやっと収まったが、福井には数人の知り合いがいてこの人たちに会えるかもしれないとも思っていたのでちょっと残念でもあった。

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私の背丈くらいのサイズのダンボール製のティラノザウルスの頭部。

 パニックから開放されて気持ちが落ち着いたところで考えてみると、案内状の印刷と発送、ポスターを印刷して各方面に掲示の依頼など、まだましなければならないことが山積だ。

 急がなくっちゃ・・・。
 私たちには時間がないのよ。

 相変わらず古いね!
 それはもう30数年も前に解散したキャンディーズのセリフだよ。

 普通の女の子に戻ります・・・。

 お爺さんがどうがんばれば女の子には戻れるんだヨ!
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 キャンディーズならぬ缶ディーズのお別れリサイタル。 


続・原口先生=原雅夫?

2012年03月06日 | 雑記

 原雅夫先生のダンディズムは私たち門人にも及び「ファッション画を描く以上は自分もおしゃれでいなくてはいけない」と私などは何度も叱られたものだった。
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晩年の熱海で描き溜めた油絵の展覧会を南青山のコシノジュンコさんのアトリエで開いたときの弟子たちに囲まれた写真だが、この原教室の門人の半数はすでに他界していて隔世の感がある。

 この中で一番パッとしないおっさんが(後列左から2番目)私で、未だにおしゃれが出来ないままでいる。

 私が東京に出てきた1963年(東京オリンピックの前年)頃には原雅夫先生は<装苑>などのファッション画を描く仕事が多忙で、新宿区上落合にあった自宅のアトリエで後進の指導をするくらいで、洋裁学校には弟子たちが教えに行っていた。
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上落合のアトリエでの新年会、60年代の全盛期の原雅夫先生の貴重な写真だが後ろ姿しか写っていない・・・残念。

 写真の右上の端っこにボーっと立っている青年が名古屋から出てきてまだ3ヶ月目の私で、恐れ多くてまだ原先生や先輩の門人たちには近寄れないときだった。

Photo_3 Photo_4 Photo_5  それからさらに遡ること10年、当時上落合のスタイル画教室で使っていたテキストに掲載されていた写真で中央に原先生の姿が見えるが、小さくてダンディーかどうかよくわからない・・・これまた残念。

 スタイル画も当時のテキストからスキャンをしたものです。

 しかし、この頃は私はまだ高校1年生で、原先生もスタイル画もまったく知らない時代で、このテキストは長命な兄弟子ならぬ姉弟子から拝借したものです。

 余談ですが、今の私はご覧のとおりの工作爺さん(工作員ではない)ですが、私の出発点はこの原雅夫先生の門人からが出発でした。

 スタイル画から一般的なイラストや挿絵などを描くようになり、現在の工作爺さんになるまでの原稿などを「折り返し展」としてアップをしています。

 このブログのカテゴリー欄から雑記を選択して、現れた画面のかなり下の方までスクロールしてください。
 2007年10月3日の「折り返し展・その1」が出てきます。


誰だっけ?

2012年02月08日 | 雑記

Photo  ある会合の席で「牛坂さーん 久しぶり~」と美女が駆け寄って来てくれた。
 私のことを牛坂と呼ぶ人は、私がイラストレーターをしていたころの付き合いで、かなり古い付き合いの人だ。

「・・・?」

 その人の顔に見覚えはあるが、誰だったのかがわからない。
 会場の端の方の席から目が合うとにこやかな笑顔で会釈をしてくれる人もいるがこの人も誰だかわからない。
 

 数年前まではこうした場合では、相手に失礼にならないようにと適当に話を合わせながらも、頭の中ではかなりあせっていろいろな名前と顔を思い浮かべてその中から合致する人を探し出す努力をしていた。

 しかし頭が禿げた現在では「やー、やー、久しぶりだね・・・ところで誰だっけ?」
「やだー、〇〇ですヨ、△◇社の」
 などと言う失礼が許してもらえるようになってしまった。
 ハゲの効能である。

 先日も街中で前方からニコニコしながらこちらに近づいて来るご婦人があって、誰だったかなぁと思い頭の中ではいろいろな名前を検索したが出てこない。
 よく見かける顔なんだが・・・。
 とうとう声をかけ合う距離にまで近づいてしまった。

「お久しぶりですが、お元気そうで」
「何が久しぶりなのよ、あんたは自分の女房の顔も忘れてしまったのかい!」

 ・・・・なんてぇのは冗談で、まだ症状はそこまで進んではいませんからご安心ください。


新春ドジ話・電話編

2012年01月14日 | 雑記

「この電話の電話番号が変わりました」
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 新年の6日になって接着剤メーカーの企画部に電話をしたらそんなメッセージが流れてきた。
 そんなわけはない、暮れに電話をしたときには会社が移転をするとも電話番号が変わると言う話もしていなかった。
 電話番号を間違えたと思って再度かけなおしてみても同じだった。

 大きな上場会社が簡単に電話番号を変えるわけはない。

 そこで担当者の携帯に電話をしてみた。

「おたくの会社移転をした?」
「しませんよ」
「じゃあ、電話番号が変わった?」
「いいえ、変わりません」
 おかしいなぁ・・・そこまで会話をしているうちに、ふと思い
出したことがあった。
 
 実は不況対策として昨年まで2本使っていた電話を今年から1本に減らすことにして暮れのうちに手続きをしておいた。
「年明けの6日の午前中に切り替えを行いますが、お客様の方はルーターの切り替えをご自分でしてください」と言われていたことをすっかり忘れていた。

この電話の番号が変わりました>というNTTのメッセージの<この電話>と言うのは、私がかけた相手側の電話ではなく、私が今かけている電話ことだったらしい・・・そして今日は6日だ!

「あ、ごめん 電話番号が変わったのはうちの電話だった、もう一度固定電話からかけ直します・・・」と電話を切ったが、相手の方では何のことか判らなかったろう。

 あらためてもう一本の電話からかけなおしてみたら、当然のことながら電話は普通につながった。

 どうも最近頭髪は一段と薄くなったような気がしていたが、髪の毛が1本抜けるたびに脳細胞もひとつずつ消滅していくようだ。