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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

クラス会の奇跡

2008年04月13日 | 雑記
 30歳代の前半までの私の生活は半夜行性で、昼前に起き出し午前2時頃から始まる「深夜劇場」という古い洋画を放映するTV番組があり、それが始まるまで仕事をして観終わって眠りにつく生活をしていた。
子どもが眠い目をこすりながら学校へ行くのに、親父はまだ寝ていたのでは示しつかないから、息子の入学を機に昼型の生活にあらためた。

 その深夜劇場の中で邦題で「缶けり」という短編の洋画があり原題も「CAN KICK」となっていて、 私たちが子どもの頃に遊んだ缶けりとまったく同じ遊びで、缶けりは日本の昔の遊びかと思っていたが、缶詰めと同時に輸入された遊びだとそのときに知った。

 映画の内容は深夜の老人ホームの一室で、一人の老人がむっくりと起きだし、それに合わせるかのように次々と他の部屋からも老人たちがホームの中庭に抜け出して来て、月明かりを頼りに缶けりに興じはじめた。
 遊んでいるうちに老人たちは次第に子どもの姿に変わり、ひとしきり遊んだ子どもたちがベッドに戻り再度の眠りにつくと、子どもたちの顔はまた元の老人に戻っていった・・・・・。

 そんな古い映画を思い出したのは、先日のクラス会の夜だった。

 熱海駅に到着した16名のクラスメート(級友で旧友)たちは修学旅行の一行のように笑顔に満ちていた。
 夕食中も話の切れ目がなかったが、食事後の深夜の歓談も50年前の話で盛り上がっていて、そのとき私は「CAN KICK」を思い出し、今カメラのシャッターを押せばきっとあの頃の18歳の姿が写るはずだと思って何枚かの写真を撮った。

 しかし、デジカメの液晶画面には視覚的に大きな変化は見られなかったが、家に帰って写真を拡大してみると16人の瞳は確かに18歳のときの輝きをしていた。
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 帰りの小田原の 新幹線の改札はしばしの夢から実年齢に戻るゲートだった。
 孫たちへのお土産を手に名古屋に向かう旧友たち




少年王者のクスリ

2008年04月05日 | 雑記
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写真は復刻版の「少年王者」と孫が煮たツクシ


「少年王者のクスリだね」
 春休みで遊びに来ていた孫がツクシのハカマを取りながらそう言った。

 順序を追って説明をしないとわからない話だが、春休みで我が家に泊まりに来ていた孫たちに昨夜は寝る前に「少年王者」を読み聞かせてやっていた。

「少年王者」というのは今から60年程前に、私たちの世代が胸を踊らせた「おもしろブック」(集英社)という少年雑誌に連載されていた山川惣治氏の絵物語で、簡単に言えば和製ターザンである。
*この<和製>という言葉自体がほとんど死語に近いが・・・。

 その物語の導入部分は、伝道師としてアフリカの奥地でキリスト教の布教に努める傍ら、現地人の病気の治療にあたっていた後に少年王者となる慎吾の父親が難病の特効薬を発見して・・・・というもので、その特効薬というのが、緑色の石の粉末だった。

 そして次の日は女房がツクシを煮て食べさせたところ、4月から2年生になる孫が妙に気に入ってしまって、ママへのお土産にしたいから自分で作りたいと言い出し、またツクシ摘みから始まりハカマを取っているときに、もうほうけてしまったツクシの緑色の胞子がハカマの隙間に溜っているのを見つけて、少年王者のクスリを連想したという次第だった。

 私の読んでやった本は60年前の物ではなく、30年ほど前に復刻版として発行されたもので、当時はまだ幼かった息子や娘に読み聞かせたものだったが、それにしてもツクシの煮物といい、少年王者といい古いものの好きなジジとババである。

 しかし、それを無理矢理押し付けているわけではなく、孫たちが受け入れてくれるから嬉しくなってまた孫を楽しませる何かを考えようと思う。
 そして、最初は3日ばかり我が家で遊んで帰るつもりだった孫たちは、結局1週間もいて今日帰って行った。

 明日は名古屋の高校時代のクラス会が熱海である。
 孫の子守りで少し疲れた爺さんも、気分は18歳になってリラックスをしてこよう。


ハナカミ王子

2008年03月24日 | 雑記
 東京オリンピック(1964年)の前年からの花粉症だからもう45年になる。
 東京に出て来たばかりで未だ青年だった私は毎年この季節になると毎日未明からくしゃみで目がさめて午前中は垂れ落ちる水鼻をかんでいるだけで半日が過ぎて、午後になると不思議に症状は軽くなった。
 あの頃の春先の私はハナカミ王子だった。

 その頃には花粉症と言う用語はなく、アレルギー性鼻炎と称されていたがその名称すらあまり知られてはいなかった。

 その後鼻水の症状を押さえるだけの薬は出て来たが、根本的な療法はなく、以来45年経ったが私の花粉症はまだ続いている。
 一時症状がいくらか軽くなったときがあり、ある種の免疫のようなものが出来てこれで花粉症も卒業かと思った年もあったが、これもヌカ喜びで今年も早朝からクシャミで目が覚める。
 ハナカミ王子も今ではハナカミ老人となってしまった。

 私が生まれる2年も前の1937年に製作されたディズニ-の白雪姫の7人の小人の中に日本名でクシャミと呼ばれる小人がいるが、この小人は実は花粉症だったと言う説もあり、ディズニーアニメの中で小学生の頃に最初に出会ったお姫さまが白雪姫で、その憧れのお姫さまを慕う小人と同じ花粉症だということを慰めとしてこの季節を乗り切ることにしよう。
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花粉症とは関係がないが、菜園に向かう途中のモクレンがきれいだ。 




折り返し展・18

2008年03月16日 | 雑記
 最終回
  昨年の10月3日から始まった「折り返し展」もやっと今回で最終回となった。
 いろいろな都合でこの折り返し展には掲載出来なかった挿し絵の原画もあったが、これで心置きなくこれらの原画を燃やして段ボール2個分だけ工房を広くすることができる。


 今回掲載のお祭りのポスターは世田谷に住んでいた頃に息子をが所属をしていたボーイスカウトの本部があった下北沢の北沢八幡宮のものである。
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 これを描いたとき、私はすでに世田谷から海老名市に転居をした後だったが、我が子だけでなく地域の子どもたちが神社の大広間や境内を利用させてもらっていることから、そのお礼の気持ちとして描いたものであった。 
 
 それから5年、毎年同じ絵では飽きもくるから来年は別の絵を描きましょう言ったが、その頃は神経を病んでいたころで<描かなければ・・・>と言う気持ちがプレッシャーになって気分が滅入り余計に描けなくなるという悪循環をくり返していた。

 仕事で描く絵も2~3日ゆとりがあってもなかなか手がつけられず、締め切りの前日になって「どうして昨日からやらなかったのだろう」と悔やみつつも毎回徹夜の作業になっていた。

 9月の祭礼のポスターだから7月の末には刷り上がっていなくてはならないが、どうしても手が進まない。

 7月に入って宮司さんに今年は間に合いそうにないから、もう1年前の絵を使っておいて下さいと頼みに行き、新しい絵は来年でも構いませんよと了承をもらってきた。

 <来年でもいいですよ> この言葉を聞いて帰ってくると<描かねば・・・>というプレッシャーから一挙に解放され、明くる日には<描こう>という気分がみなぎって来て、何ヶ月も描けなくて悩んでいた絵が一気に描き上がってしまった。


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 扇面はそれから数年経って、同じく北沢八幡の四百五十年祭の記念品として作った扇子用に依頼されて描いた絵だが、この絵も祭礼のポスターにも流用して現在は3つの絵が順繰りに使われて、毎年下北沢の町のあちこちに掲示されて祭りを盛り上げるのに役立たせてもらっている。

 これらの原画をなぜ燃すのかと言うと、燃した灰は家庭菜園の酸性土壌の改良剤となる他にカリ肥料にもなる。
 この肥料が夏野菜に受け継がれ、さらにこれを食べる私のエネルギーとなって新しい工作のアイデアを生み出す・・・。
 エネルギー不滅の法則だ。

 



折り返し展・17

2008年03月09日 | 雑記
イラストルポ(見て来て描いたホント)
 現在の仕事は工作おじさんとして、あちこちと地方を歩かせてもらっているし、60坪の家庭菜園を耕してきわめて健康的な生活をしているが、30歳からレッスンプロとして教えに行っていたデザイン学校や洋裁学校も辞して、50才代の半ばまでは通勤することすらなくなり、日当たりの悪い仕事場で絵を描いているだけで運動不足の不健康な生活をしていた。

 あるとき、女房が世田谷区の広報紙を見ながら「初心者水泳教室にでもいってみる?」と声をかけてくれて、週1で、2ヶ月くらい近所のプールに通うことになった。

 水泳教室の初日、プールサイドで先ずは準備運動から始まったが、何と準備運動で息が上がってしまった私は<いきなり準備運動をするのは健康に良くない>ことを悟り、次回からは家を出る前に軽いストレッチで準備運動に備えてからプールに向かった。

 ま、それくらい運動不足の日々だったという話だが、それ以来私は編集者たちに「私の仕事は出張も単身赴任もない仕事だから、たまには外に出る企画はないかな・・・」と触れ回っておいた。
  
今回はその結果与えられたイラストルポである。
 上の3枚は20年前に読売新聞社から発行されたムック「THE奈良・大和路」に7ページに渉って掲載した修験道の行場である大峰山をルポしたときの一部で、大袈裟にいえば決死的な取材で、万一のことが起こったことの場合を考え、保険に加入しただけではなく、取材の前には多くの友人たちにそれとなく顔を出してから奈良に向かったものだった。

 モノクロの絵は原画で、色の付いたものは色指定をした印刷上がりです。

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 下のイラストは、南房総の職人さんたちをルポしたもので、房州鋸、うちわ、船大工、竹細工、小鳥籠、万祝染め、磯がね 鋏み、農具作りの名人たちとの出会いから、運動不足を補うだけでなく長年ひとつの仕事に打ち込む職人さんたちの真摯な姿に触れることも出来た。
 

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