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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

折り返し展・16

2008年03月03日 | 雑記
「講釈師 見てきたような ウソを言い」
 壇の浦の合戦でも関ヶ原の戦いでも講釈師はあたかも自分で見てきたような話し振りで語るということを表したものだが、イラストもときには「イラスト屋も見てきたようなウソを描き」ということもある。

 ウソとまでは言わないが、私だって三国志の時代など見てきたわけではないが、頼まれれば描かねばならない。
 例外的にイラストルポなどのように、見てきて描くこともあるが、ほとんどの場合は知らないものでも知っているかのごとく描くのが私の仕事だった。

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 私が36歳の頃だった。
 ある出版社で方丈記の現代訳を出すにあたって鴨長明の似顔絵を描いて欲しいという依頼があった。

 ところが絵を描く根拠となる長明の肖像画はない。
 いや、あるにはあるが、それは長明の死後数百年も経ってから描かれたもので、それは何の参考にもならない。
「見てきたようなウソを描く」ためには、何かそれらしい説得力をもつ根拠が欲しい。

 数日間考えた末に浮かんだアイデアは、易者が天眼鏡で客の人相を見つめて運勢を占う方法を逆用する手段を思いついた。
 つまり「あなたのこのホクロは一生食うに困らないホクロです」とか「目尻の上がった人は・・・・」などなどの易者のアンチョコを借りてきて、鴨長明の生涯をなぞって・・・
 高貴な生まれにもかかわらず、家族運に恵まれなかった。
 文才に長け、61歳の寿命は当時としては長命だった。
 などなど長明の肖像画はないが、生涯や暮らしは分かっているから家族運に恵まれない人の眼は・・・、長命の人のまつげは・・・、高貴の生まれの人の鼻は・・・などと鴨長明の生涯を易者をしていた知人の虎の巻を借りて来て逆算的に人相をモンタージュしたものだった。

 なかば冗談の様な(冗談そのものだ!)根拠を頼りに描き上げた似顔絵はちょっと面白い試みだった。
 こうして鴨長明の似顔を見て来たように描き上げたところで、それを依頼してきていた零細な版元に何かのアクシデントがあったようで、その本は出版されることもなく、せっかく新手法による似顔絵も日の目を見ないままに終わった。
 もう30年以上も前の話で、残念ながらそのときの原画は見当たらない。

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途中からこのブログをご覧の皆さんへ
 途中からご覧の皆様で、断続的に続いている「折り返し 」なるものはいったい何じゃ・・・とお思いの皆様もおいでかと思いますので、以前から見ていただいている読者の皆さんには話がダブりますが、一応いきさつを説明します。

 私は30年ほどカット、挿し絵、イラストルポなどを描くことを生業(なりわい)としていましたが、途中から工作おじさんとしての仕事とオーバーラップするようになり、現在はほとんど工作おじさんが主体となって来ました。

 70年近くも生きてくると、これからの人生を惰性で生きるのではなく、なお現役で生き続けるためには、ここらで不要になった過去のシッポを捨て、身軽になる必要があると気がつき、イラストレーションを描くことが主体だった私の過去、今はちょうど工作おじさんをライフワークとして生きるこれからの私の折り返し点であることに思い至りました。

 昨年の7月に工房の転居に伴って出て来た昔の挿し絵などの原画を廃棄する前に、この「ひとりごと」でさらしてしまおうと思い立ち「折返し点→折り返し展」と洒落た次第です。

 あと2回「折り返し展」におつき合いを下さい。




高校のクラス会

2008年02月20日 | 雑記
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熱海の夕景

 名古屋の高校時代のクラス会(といっても卒業後51年経った今では老人会のようなものだが)を熱海で4月に行うことになった。

 3年前のクラス会の席上「次回は東京の方で一泊のクラス会ってのはどうか?」という話になり、私と草加市(埼玉県)に住むクラスメートが幹事ということになった。

 東京に住んでいる人なら箱根でも鎌倉でも現地集合でいいが、名古屋から来る旧友たちには知らない土地であれこれの電車を乗り継いで宿まで来いというのでは出席率が悪くなる。
 ・・・となると、新幹線を降りたその駅に宿があるという設定しかないが、さりとて東京駅ではどの改札から出るのかだけでパニックになってしまうだろう。

 結局、通俗的ながらわかりやすさから<熱海>ということになり、インターネットで予算にあう宿を8軒ほどピックアップした後に現地に下見に行って来た。
 その結果、熱海の街は曲がりくねった複雑な坂道が多く、老友が迷わず成仏・・・じゃあなかった、迷わないで旅館に到着できるよう駅から2分という半分ボケていても来られる宿を会場に選んで来た。

 場所さえ決まれば後は案内状作りだが、今は写真も入ったカラー印刷の案内状が手許で作れる。
 こんなときは60才を過ぎてからの手習いだったが、パソコンを使っていて良かったと思う。
 
 案内を発送して早くも4日目に元女学生2人から出席の返事が届き、そのうちの一人はカラー印刷の案内状がきれいで楽しそうだったからと電話までくれた。
 これもパソコン効果だろう。

 ただクラス会までまだ1ヶ月半もあり、ここ数年の私自身の行動に照らしてみても、クラスメートたちも出席の返事を出したことを4月まで憶えていてくれるかどうかが心配だ。

 出席の返事をくれた仲間にはときどき確認の電話を入れることにしよう。
 


折り返し展・15

2008年02月13日 | 雑記
 30年も同じような絵を描いていると浮気心が出て、違った手法のイラストを描いてみたくなった。

 今回の絵はその頃のもので、スクラッチの技法で描いたものである。
 スクラッチボードという専用の板とペンのような専用の引っ掻き道具もあるやに聞くが、私の場合は白いアクリル板の全面に黒い塗料をぬり、その上を鉄筆、割り箸などで引っ掻いて白い部分を削り出すという我流でやっている。
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 仕上がりのタッチから木版画ですかと聞かれることもあったが、夕方に小説の原稿が届いて、明くる日の午後には絵を渡さねばならない納期の短い挿し絵などは木版画を彫っている時間のゆとりはなく、また木版より細かい表現が出来、版画を彫るよりは短時間で仕上がるが、これまでの様にペンや筆で描くよりは時間はかかった。

 スクラッチ技法で絵を描くと、黒ベタの部分はただの黒いだけの状態になってしまうが、私流のスクラッチはポチポチと白い傷のような模様をつけてアジを出している。
 これは企業秘密(というほどのことでもないが)のスクリーンをかけて、わざわざ着けているキズである。
 しかし、あるとき製版屋さんが、これを汚れと勘違いして親切心からていねいに修正して元の黒ベタに戻されてしまったことがあった。

 以来、私はこのイラストの原画にはサイズの縮小指定のほかに、<白いポチポチを残す>という指定も赤で記すようにしていた。



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折り返し展・14

2008年01月29日 | 雑記
 今回は本の表紙などの原画とその印刷上がりと言う括りでまとめようと思ったが、挿し絵と違ってカラー原稿はサイズが大きかったり、イラストボードに描いたりしていて、かさ張るからあまり保存をしていなかった。

 また印刷上がりの表紙カバーなども積極的に保存をしていたものというわけではなく、何かの都合でまだ本棚に残っていたというだけです。
 そんなわけで、あまり数を揃えることが出来なかった。
スキャナーの不具合で多少色のにじみが出てしまいました。

 段ボールの中の原画と本棚の本と合致するものを選んだつもりだったが、 スキャナーで読み込んでいるときにもまったく気付かず、これをアップしようとこのテキストを書きはじめて初めて間違いに気がついた絵があった。

「旧制高校教育」の印刷上がりとその原画のつもりだったが、こうして並べてみてはじめて気がついたのだが、二つの絵は微妙に違う。
 戻って来た原画が永年段ボールの中で過ごしているうちに少しづつ変化をした・・・・なんてことはないから、これは何らかの事情で描き直したに違いなく、これは表紙の原画として使用しなかった方が残っていたのだろう。

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 そこで読者の皆さんへクイズです。
上の<旧制高校教育>の絵の中で「印刷上がりの表紙と原画が段ボールの中で眠っているうちに変化をしてしまった部分はどこでしょう」

答え
 二つの絵の中には、青年が手にしている花の色、右足の角度、背景の校舎の歪み 青年の顔が印刷上がりの方が多少老けている、左右も脚の間のマント・・・などなどの違いがありますが、これは私が描き直したものでオカルトではないから段ボールの中で変化をしたものではありません。
「段ボールの中で絵が変化をしたわけではない」と言うのが正解!





折り返し展・13

2008年01月20日 | 雑記
「最近記憶力が衰えたというボヤキが多いが、それにしては何十年も前の絵をいつ頃に描いたものだとよく憶えているね」と言われる。
 実は記憶力が衰えたフリをしていただけで、本当は・・・と言いたいところだが、記憶力は日に日に低下をしていて嘆かわしい。
 いや!ここ数年、記憶力だけでなく創造力、構成力、企画力、体力、視力、根気などあらゆる能力の退化が著しい。

 去年の秋ことだが、サヤエンドウ、スナックエンドウ、グリンピース、そら豆のタネを蒔こうとタネを入れたビニール袋を手に外に出て、車に乗ろうとしてキーを忘れていて取りに戻る。

 車のハンドルに手をかけたところで、携帯電話も忘れていることに気がついてまた家に戻る。
 最近はこうしたことが多くなって、一度で家を出られなくなっている。
 
 ようやく愛車のハンドルを握って(愛車というのは自転車ですが、何か?)畑に到着、タネを蒔く場所を整備して自転車の前カゴからタネの入った袋を取り出し、さてどのタネから蒔こうかとおもむろに袋を開けてみると、その袋に入っていたのは前日に医者からもらってきた腰痛の貼り薬だった。
 自分の間抜けさに呆れる、というより行く末が心配になってきた。


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 ところで冒頭の件に話を戻すと、いつ頃に描いた絵なのかと言う記述は記憶ではなくて、これには絵の中の暗号で判るようになっている。

 暗号と言う程大袈裟なことではないが、絵の端に<mo>というサインの後に数字が書いてあるが、この数字はその絵を描いた時の西暦の下2桁と月を表している。
 中には年だけしか書いていないときもあり、逆に日まで書いてあるものもあるが、例えば<mo8212>というサインの入った絵は1982年の12月に描いた絵ということである。

 これは後に振り返ったときのために書いたわけではなく、当時ただmoと書いただけでは間が抜けていてサインとしてのおさまりがわるいからバランスを採るために記入していただけだった。
 サインも絵のうち・・・というから。