晴れ。
風が冷たく、強い。
昨日、道に散り敷いていた落ち葉はどこへ行ってしまったのでしょうね。今朝、もっと落ち葉が積もっているであろうと思っていたのに、意に反して、随分少なくなっていました。
風に吹き飛ばされたにしても、落ち葉の吹きだまりが近所にあるはずなのに、そういうものも見当たらない。ということは、ご近所さんが、早朝、早起きして掃いたということかしらん。それにしても、葉を落とした木々がすっきりとして見えること。急に、風通しがよくなったようで、見ているうちにブルブルッとしてきました。
まだ体が「冬」に慣れていないのです。関東地方でも山の方ではとっくに雪が降っているというのに、この辺り、海の近くでは、ずっとそれほど寒くはなかったのです。
ですから、一昨日、雨が降って、寒くなって…となると、遅れたり、休んだり…の人が続出。新しい学生の中には、「起きられませんでした」という人もいて。それはそれで、しょうがないとしても、二年生の中にもいたので、本当に「こらっ」でした。
だって、7日には「日本語能力試験」があるのですよ。それなのに…もう、まったく。今年の学生は、「できるだけ点を取る」と意気込むのとは真逆に、「一点上がった。うれしいな」で終わり。それだけで、喜んでくれる人が多くて…、欲がないというか、のんびりしているというか…いやはや、教師としてはちょっと、張り合いがなくて、空気の抜けて風船みたいになってしまうほどなのです、こちらの方が。
今日も、「Aクラス」で、「N2」の文法の説明をしていたのですが、そこに、今回も「N3」を受ける学生が、単語の質問をし始めると、自分の問題はそっちのけにして、「それはこうだ」「いやいや、ああだ」とお節介が始まってしまい、(頭に来た私が)雷を落とすと、「先生、(このクラスは)楽しいね」と機嫌取りが始まります。「どこが楽しい。私は全く楽しくない。この顔を見て判るだろう。勉強しろ」と怖い顔をして見せても、「先生は怖い顔をしたことがない」と、心にもないことを言って、茶化します。
そう言って、話を逸らしている学生達も、一人一人を見れば、これまで二年近くの間、私がひどく叱りつけたことも一度や二度ではありませんでした。
ただ、最後までついてこれた(頑張れた)ということは、つまりは、目的が私たちと同じだったということなのです。そうでなければ、どうして、叱られたのかも判らずじまい、2年いたとしても、「ああ、ここでは嫌な思いをした」としか(思い出に)残らないことでしょう。
結果次第で、この2年間の色合いが変わってしまうのです。本来ならば、2年間頑張れたから、「いい思い出になった」なのでしょうけれども。
そうは言いましても、本当に、勉強で縛り付ける必要さえなければ、みんな気のいい学生達です。
スリランカ人というのは、一人でも、飽きっぽい学生がクラスにいると、本来なら集中力のある学生まで、そちらの方に引きずられていくので、ちょっと始末に困る。これは、それが彼等の習性なのか、それとも、そうせねばならぬ(村八分にされたりする)から、そうしているだけなのかは判らないのですけれども。
その点、今いるベトナム人学生は、一人でコツコツとやるので、楽と言えば楽。判らないことだけを聞いてくれるので、放っていても大丈夫なのです。
できれば、もうみんな中学生や高校生ではないのだから、一人でも勉強できてほしいですね。もっとも、国でもそれほどやっていなかったという人達が大半を占めているのでしょうから、それは、ちょっと、無理かもしれませんが。
日々是好日
風が冷たく、強い。
昨日、道に散り敷いていた落ち葉はどこへ行ってしまったのでしょうね。今朝、もっと落ち葉が積もっているであろうと思っていたのに、意に反して、随分少なくなっていました。
風に吹き飛ばされたにしても、落ち葉の吹きだまりが近所にあるはずなのに、そういうものも見当たらない。ということは、ご近所さんが、早朝、早起きして掃いたということかしらん。それにしても、葉を落とした木々がすっきりとして見えること。急に、風通しがよくなったようで、見ているうちにブルブルッとしてきました。
まだ体が「冬」に慣れていないのです。関東地方でも山の方ではとっくに雪が降っているというのに、この辺り、海の近くでは、ずっとそれほど寒くはなかったのです。
ですから、一昨日、雨が降って、寒くなって…となると、遅れたり、休んだり…の人が続出。新しい学生の中には、「起きられませんでした」という人もいて。それはそれで、しょうがないとしても、二年生の中にもいたので、本当に「こらっ」でした。
だって、7日には「日本語能力試験」があるのですよ。それなのに…もう、まったく。今年の学生は、「できるだけ点を取る」と意気込むのとは真逆に、「一点上がった。うれしいな」で終わり。それだけで、喜んでくれる人が多くて…、欲がないというか、のんびりしているというか…いやはや、教師としてはちょっと、張り合いがなくて、空気の抜けて風船みたいになってしまうほどなのです、こちらの方が。
今日も、「Aクラス」で、「N2」の文法の説明をしていたのですが、そこに、今回も「N3」を受ける学生が、単語の質問をし始めると、自分の問題はそっちのけにして、「それはこうだ」「いやいや、ああだ」とお節介が始まってしまい、(頭に来た私が)雷を落とすと、「先生、(このクラスは)楽しいね」と機嫌取りが始まります。「どこが楽しい。私は全く楽しくない。この顔を見て判るだろう。勉強しろ」と怖い顔をして見せても、「先生は怖い顔をしたことがない」と、心にもないことを言って、茶化します。
そう言って、話を逸らしている学生達も、一人一人を見れば、これまで二年近くの間、私がひどく叱りつけたことも一度や二度ではありませんでした。
ただ、最後までついてこれた(頑張れた)ということは、つまりは、目的が私たちと同じだったということなのです。そうでなければ、どうして、叱られたのかも判らずじまい、2年いたとしても、「ああ、ここでは嫌な思いをした」としか(思い出に)残らないことでしょう。
結果次第で、この2年間の色合いが変わってしまうのです。本来ならば、2年間頑張れたから、「いい思い出になった」なのでしょうけれども。
そうは言いましても、本当に、勉強で縛り付ける必要さえなければ、みんな気のいい学生達です。
スリランカ人というのは、一人でも、飽きっぽい学生がクラスにいると、本来なら集中力のある学生まで、そちらの方に引きずられていくので、ちょっと始末に困る。これは、それが彼等の習性なのか、それとも、そうせねばならぬ(村八分にされたりする)から、そうしているだけなのかは判らないのですけれども。
その点、今いるベトナム人学生は、一人でコツコツとやるので、楽と言えば楽。判らないことだけを聞いてくれるので、放っていても大丈夫なのです。
できれば、もうみんな中学生や高校生ではないのだから、一人でも勉強できてほしいですね。もっとも、国でもそれほどやっていなかったという人達が大半を占めているのでしょうから、それは、ちょっと、無理かもしれませんが。
日々是好日