日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「雨」。

2014-05-27 09:09:00 | 日本語の授業
 雨。

 昨夜からの雨がまだ降っています。夜中には強く降ることもあったようでしたが、今は、いわゆる「こぬか雨」。家を出る時に、「まあ、いいか」と、そのまま自転車で来てみれば、良いどころではなく、着いた時には、かなりグッショリと濡れていました。そうなると、この頃の雨はたちが悪いようで、寒ささえ感じてしまいます。失敗でしたね。

 さて、そろそろ「アジサイ(紫陽花)」の花が、色を付けはじめました。「鎌倉旅行」は六月の予定なのですが、ここはちと早いのかもしれません。鶴岡八幡宮へ行き、大仏さんを拝み、「アジサイ」を見、江ノ電で海へ向かう。このコースでは、いつも海でどれだけの時間を過ごすかによって、帰りの時間が決まってしまいます。いろいろな国の人がいるので、予定がつかないときもあるのです。

 中国の内モンゴルから来た学生が多かった頃は、なかなか海から上がろうとしないので困りました。「帰りますよ」と言っても、海から出ないのです。海を見るなり、「入ってもいいか」と聞き、「いい」と言うと、途端に駆けだして、海の中に入っていくのです。そして膝くらいの高さのところで、波が来るたびにキャアキャア言ってジャンプして楽しむのです。1時間でも2時間でもそうしているのです。飽きないのですよね、困ったことに。

 こちら(私たちだけではなく、海のある地方から来ている学生達)としては、待っているのも疲れてしまって、いったい何がそんなに楽しいのだろうと、不思議でたまらなかったのですが、初めて海に入ったとすれば、そういうものなのかもしれません。皆、あきらめ顔で待っていました。

 それと反対に、ネパールの学生などは、海が近づいて、潮の匂いがし始めた時、「臭い。これは何?」なんて言っていましたっけ。…そうか、知らなければ、「臭い」なんだ…。と変な納得をさせられたものでしたが。

 ところで、学校です。

 留学生の中には、日本に親戚がいて、その人に呼ばれてきている人もいます。もちろん、途中で喧嘩して、面倒なことになったりする場合も少なくないので、要注意であることは確かなのですが、仲が良すぎて、ちょっと困るということもあるのです。

 呼んだ方が、彼等は日本語を学びに来ているということを軽く考えて、勉強の方を二の次にしてしまうのです。その家族が温泉に行く時には、一緒に連れて行き、学校を休ませる。それが、まだ『初級Ⅰ』であったりすれば、3日で二課進んでいるわけですから、動詞の「て形」に入る時なんぞであれば、それは、戻ってきた時に、一時的であるにせよ、ついて行けない状態になってしまう。


 もちろん、一応、その前に電話で「学校を休む」と知らせてくるので、無断で休むのは悪いと言うことは知っているのでしょうが、「行ってはいけません。あなたは旅行に行かないで、学校へ来ます」と言っても、どこまで聞き取れているやら…。

 言葉の上では判っていても、どうしていけないのかが判らなければ、それは自分の考え、あるいは親戚の考えに従うでしょうね。

 中国で働いていた時も、親戚が北京に遊びに来るから駅まで迎えに行くと言って会社を休む人がいたので(堂々とそれを言って休むのです)、ひっくり返るくらい驚いたものでしたが、これも、それが常識とされていれば、驚いたり、いけないことだと思うことの方が非常識。必死で「染まってしまったら、日本で働けなくなる」とガードを固めてしまった私の方が変な人なのです。もっとも、私と同じように腹立たしげに見ていた人も、いることはいましたが。

 易きにつくは、いとたやすきことなれど、己を律するというのは、面倒なことなのです。「いいじゃないか、みんなやっているし、大した仕事じゃないから」と、そこに勤める人、皆が、思い始めてしまうと、仕事なんてのは、ドンドン、レベルが下がってしまいます。

 そうでなくても(積極的に休まなくても)、人は生き物ですから、病気もするし、他の人に頼めないような用事も出てくる。自分は大丈夫であっても、家族に具合が悪い人が出てくれば、休まざるを得ないということもある。その度に引け目を感じるのは嫌なものだから、たいていの者は、駅に、遊びに来る者を迎えに行く(体が悪ければ別ですが)なんてことに、休みなどはとらない…中国にいる時には、そんなことを考えるのは、日本人だけだなんて言われたものでしたが…本当にそうかな。

 大したことでなければ、それは休みを取らない方が良いのです。もちろん、職場で、皆が皆、暇で暇でしょうがないというのであれば、それは気散じに、駅へ行って親戚と一緒に遊んだり、食事したりするのは楽しいでしょうけれども、それでも、それは勤務時間内なのです。日本人から見れば、それはちょっと不謹慎であるような気がするのですが。

 それと同じようなことを、学生達にも感じさせられることがあるのです。

 「そんなに厳しくやらなくても良いじゃないか。適当にやって、だれかが面白いことを言って、それでみんなが楽しければ、それで良いじゃないか。みんなアルバイトで疲れているんだし…」。そう考えていると思わざるをえない(実際にそう言います)ような国の人がいるのです。

 もしこれが、彼等と一緒のクラスで勉強する人というのが、勉強があまり好きではない中国人とか、「非漢字圏」の学生であっても、彼等とほぼ同じような考えの人であるとかすれば、問題はないのですが、一生懸命に勉強していても、ヒアリングがかなり悪くて聞き取れないとか、漢字をなかなか覚えられないけれども、懸命にしている学生とかであった場合、これは大変なことになるのです。

 もちろん、(私の方では)どちらに合わせるかといえば、当然のことながら、後者に合わせます。すると、器用にすぐに聞き取れ、話せるようになる彼等は、(教室で冗談を言って受けを狙って面白くやりたいだけですから)漢字を覚えたり、文章読解の緒(指示語や動詞の種類の確認であったり、接続詞や接続助詞の意味など)などを聞いているのは、面倒でつまらないのです。飽きてしまうのです。

 皆が皆、そういうタイプであれば、そちらに合わせて、適当に勉強させていけばいいわけで、ある意味では、教師は努力する必要がないし、楽かもしれませんが(いえ、きっと、反対に疲れてしまうでしょう。なんとか、それでも勉強させていこうとして)。

 いやはや、大変です。

日々是好日
コメント
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