日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春の雨」。

2014-03-05 08:38:57 | 日本語の授業
 雨。

 早朝、降っていたのは、霧のような「小糠雨」ではなく、割としっかりとした粒の雨でした。が、家を出る頃には、中休み状態。…その隙を突いて、突破とばかりに、自転車で…やって来たのですが、小学校の角を曲がった頃から、また雨粒は少し大きくなり、「こりゃあ、いかん」となってしまいました。

 とはいえ、先だってのように、「濡れると、凍える」ような雨ではなく(さすがに弥生の雨です)、「濡れていこう」ではありませんが、「濡れてもいいか」程度の感じにはなっていました。

 学校の「ジンチョウゲ(沈丁花)」の蕾も、心なしか、少し膨らみを増したようですし。

 さて、昨日、「寝ているから」と言って、教室を追い出された学生、四人。自習室で、熟睡しているかと思いきや、様子を見に行った教員とおしゃべりが出来たことに、大喜び。起こそうとして自習室に入った私に、満足げに、「(『えっ。寝なかったのですか』と聞いたのに対して)はい。先生と話しましたから」とにこにこ顔。いいような、悪いような…。

 彼等は不真面目というわけではないのです。どうしても疲れて眠ってしまうのですが、「やはり勉強はしたい…」と、そう思っているのが、よく伝わって来るような…タイプの学生たちなのです。

 それで、普段は、朝、来た時に、「どうしますか。寝ますか」と挨拶代わりに聞くと、大丈夫な時は、ニコニコしながら「今日は眠くない。勉強します」と答え、夜勤明けの時には、「先生、今日は辛い。でも、頑張ります」と、それでも、気を張って答えていたのです(これは、あくまで、その時のこと。その時は頑張るつもりなのですが、教室の中は、暖かいし、先生の声は心地よいし…で、思わずフウワリと、熟睡の世界に入ってしまう…)。

 学校というのは、クラスという「コア」があって、その一つ一つが集まって、大きなまとまりを作っているのです。ですから、授業に毎日入っていなければ、なかなか、このクラスはどうだという判断を下してはならぬところがあるのです。

 私も以前、大学を出たての22歳の時に中学校に赴任し、そこですぐにクラスを持たされました。教育学部での勉強など、多くはそれほどの実践を伴っていないわけですから、教員というのは、現場で鍛えられていくしか技術も能力も伸びていける術がないのです。で、当然のことに、あっちでもこっちでも問題続出。

 中学生は私のことを、友達としか見てくれません。年だって、他の教員達より中学生の方がずっと近いのですから。(私など、13年ぶりの新人と言われ、他の教員は、一番若くても40歳後半、他の方々は既に定年間近でしたから)。

 それに、学校を出たばかりの私の目線も、「教員として」というより、自分はこうされたくないという中学生目線で、(教員を)やってしまいます。

 それでも、他の先生方は、教員は一クラスでも任されれば、その船の船長さんですから、きちんと私を立ててくれました。もちろん、出来なさそうだなという時は、私が頼むまでもなく、隣のクラスの先生が助け船を出してくれましたが。

 一度など、PTAからも、大学を出たての新人が、自分の子どもを教えることに対する不安がかなり出たようで、会長の息子が私のクラスにいたのですが、クラスの懇談会の時に、この会長が、個別で面談したいとやって来て、彼といろいろ話したことがあったのです。

 その後、このPTA会で、不満を言った父母に、この会長がきちんと応対してくれたと他の国語の先生から、話を聞きました。学校の先生方ばかりではなく、父母の一部からも、守られていたのだと思いました。

 理科の先生からは、「能力の足らない分は、彼等(中学生)と遊ぶ、それでいい」と慰めともつかぬような慰められかたをしましたし。

 もっとも、教科は、国語でしたから、同じ部分を同じ時期に四回繰り返せるわけですから(一学年は四クラス)、それで、経験はかなり積んで行けます。けれども、なかなかものにできなかったのは、その他の問題でした。

 私など、ごく平均的な家庭に育っていましたから、いわば、学校教育の中で、乳母日傘で育てられたのと同じです。つまり、世間の荒波に揉まれるどころか、触れてもいなかったわけなのです。教育の現場で知らされたのは、同和問題だけでなく、他にも、いくつかの地域の問題がありました。

 世の中には、絶対的な貧しさがあり、自由に学べない人もいたり(かといって、こういう親御さんは、生活保護を勧めても、なかなか受けようとはしないのです。「子どもが肩身が狭くなる」と言って)、あるいは、子どもであっても、家庭内の重たい問題が彼等の背にのし掛かっていて、動けなくなっていたり…。

 子ども達に何らかの問題の兆候が現れた時、そのほとんどは、彼等に起因するものではなく、彼等の身近な、そして彼等にとって、本当に大切な人たちに因るものであることが多いのです。

 それでも、すべてを反面教師として逞しく育っていける人もいましたから、(その人にとって)何がよくて何が悪いのかということは、本当にわからないのです。生まれ落ちた環境に潰される人もいれば、潰されない人もいる。

 もちろん、人は皆、愛されて生まれて来たいし、幸せな人生を過ごしたい。そして、できれば、すべてのことに、感謝しながら死んでいきたい。けれども、それが出来なくてもなんなんだというような気持ちになることもあったのです。

 十分に頑張った。結果はどうであろうと、そんなことは大したことじゃない。生きていく過程が大切なのだ。そしてまた、日本では、結果をあまり問わないという「習慣}(他国から見れば悪習)もありますから、そういう気持ちが、より強くなったのかもしれません。

 ただ、こういう日本語学校では、ビザの関係上、結果を出さねばならないので、そういうわけにはいかないところもあるのですが。

日々是好日
コメント
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