日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「休み中の『自習』」。

2014-03-27 09:07:45 | 日本語の授業
 曇り。時々、小雨。

 今日は一日中、こんなお天気だそうです。

 学校へ着いてから、ふと水場の「ラン(蘭)」の花を見ると、蕾がかなり綻び始めていました。この「ラン」は可憐な感じが全くせず、蕾がつくまでは、「あの、寸胴の竹」と、私は呼んでいたのです。ランマニアからは、「不届き者」とか、「美の何たるかを知らぬ者」と蔑まれそうですが。だって、花びらだって、ボッテリとして、あまり可愛くないのですもの。でも、蕾は今年もたくさんついています。この学校の水場と相性がいいのかもしれません。

 さて、学校です。
 
 今週の月曜日から春休みが始まって、そして、今日で四日目。学生達はビザの更新やら、学費・寮費の支払いやら、進学の書類について質問やら、一人、また一人と、ポツポツとやって来るので、それはそれなりに忙しく過ごしています。

 そして、今年は、久しぶりに、自習の学生がやって来ています。皆、上の階に上げているのですが、7月に「N2」を受けたいという学生が二人(以前の、「過去問(2級)読解」をさせています)。

 それから、階段から落ちて足が腫れ上がり、学校に来られなかった学生が、来られなかった分を取り戻そうと、一度やってきました。これは急には追いつけませんね。けれども、やらないよりはやった方がずっとまし。

 そして、何を思ったか、「Eクラス」の学生が一人やって来ました。来るなり、「勉強します。勉強するために来ました。ベンキョウです」と公言しますので、「はあ、どうぞ。上の階に行って下さい」と言いますと、「○○さんは来ていますか。来ていない?じゃあ、△△さんは?」というので、すぐにばれてしまいました。どこかで、他の学生が、学校へ行って勉強すると言っていたのを聞いたので、「じゃあ、自分も」とやって来たのでしょう。けれども、ちょっと考えれば、この「○○さん」も、「△△さん」も、休みの時に学校に来てまで勉強するような人ではないということが判ると思うのですけれども。

 とはいえ、寮に住んでいると、アルバイトがない時間というのは、皆まちまちですから、下手をすると一日だれとも会えないということも起こりかねないのです。すると、スリランカの学生は寂しがり屋なものだから、人恋しくなってしまうのです。となると、よく知っている場所で話し相手が必ずいる所、つまり学校へやって来るのです。きっと彼も、学校には同じスリランカの学生がいて、淋しさを紛らすことができる…くらいに考えて来たたのでしょう。一人ではできそうに見えない学生ですもの。

 ところが、豈図らんや、だれもいない。こわい先生がいて、「さあ、よく来た。何々、勉強したい?よしよし、それでは、これとこれを持って行きなさい。そして、こうやって勉強しなさい。今日の計画は?何をどこまでやるつもり」なんて言う。素直な彼は、縮こまって神妙に聞いてはいましたが、一日だけで終わってしまいましたから、多分、懲りたのでしょう。…ちょっと、やり過ぎたかな…。

 とこころで、「N2」を目指している二人の学生達(一人はミャンマー人、一人はベトナム人)のことです。 

 …中国人学生が多かった頃は、「読解問題」にしても、日本人と同じような感覚で捉えることができましたから、それほど困りはしなかったのですが。もちろん、彼等(中国人)だけの時には、「日本人とは違うなあ」としょっちゅう感じていました。

 東南アジア、西アジアへとやって来る学生達の区域が増えてきますと、また人数も増してきますと(この学校には、中部や北部アフリカからも、中南米などからも学生を入れたことがあります。けれども、せいぜい二人か三人で、同時に十人以上在校しているということはなかったのです。だから、それぞれの国の傾向は、それほど掴めませんでした)、どうもそういうやり方では、特に「読解」などはやっていけなくなる場合が多くなったのです。

 一言付け加えておきますと、私がここで言っている対象の学生というのは、こちらの言う通りに、漢字の練習はし、ある程度は読めるし、書ける、また意味も判っているという学生のことで、休みがちであるし、日本語にはあまり興味を持てないという人たちのことではありません。実際に、一年以上いようとも、漢字が書けるどころか、読めもしないという人も少なくないからです。こういう人は、「読解」以前の問題で、まず、アルバイトに困らないように普通の会話ができることを目指すしかないのです、とにかく、日本に来てしまっているのですから。

 ミャンマー人学生は、在日の方なのですが、よくできます。ほとんど手はかかりません。彼女には、未習の単語を入れればいいだけです。

 そしてもう一人はベトナム人学生です。彼女は日本語が大好きで勉強が楽しいと言います。休み中はアルバイトがたくさんできるので、しっかり働いていると思うのですが、それでも、起きるとすぐにアルバイトの時間までと言いながら学校へやって来て、勉強しています。

 学校に来ると、二人に(一緒に来るということはありませんので、いつも別々です)、プリントを渡し、まず最初に自分で考えて解いてみるように言います。それから、仕事の合間に上へ行き、質問に答えたりしているのですが。

 ベトナム人学生は、まず「いつ、だれが、どこで、何を、どうした」を考えねば意味はとれないということが判っていなかったようです。それで、それを言い、解いてごらんというと、急にスルスルと解けるようになっていきました(もちろん、主語が見えないといった難しい部分はありましたが)。その後は、未習の単語や文法に引っかかりはしたものの、大きな困難はなかったようです。帰る時に、「判った、判った」と言いながら、うれしそうに帰っていきましたから。

 読み取り方も、自分達にとっては少しも大きな問題ではなかったので、理屈で考えたことはなかったのですが、それを理屈で身に付けさせなければならない人もいるのです。「日本人に日本語の文章を」というわけではないので、しかも、常に5カ国か6カ国から来ている人がいるので、それなりに、難しい部分もあるのは確かなのですが、それでも、こういう「普通の文章」(法律や経済などには、別の思想があります。それが理解できていなければ、なかなか読み取れないこともあるのです)でも、「判らない」となってしまうのです。

 本当に、彼女には、ちょっと「ヒントを与える」だけでよかったのです。

 これも、休み中に来てくれたから、個別に指導できたので、もし、一斉授業であったら、彼女も遠慮して言わないだろうから、「『判らない』は、『判らない』」で終わっていたのだろうと思います。

 「一文」で、ほとんどが終わってしまっている「初級」から、長文とまでは言えずとも、中長文となる「中級」の読解は、まず初めは、できれば個別指導が望ましいのかもしれません。そういう読み取りのコツを母国で学んでいない人が、かなりいるようですから。

日々是好日