日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「雨を見て、雪を思う」。「節分」。

2014-01-31 08:52:26 | 日本語の授業
 晴。あまり寒くありません。北の方では、ずっと雪が降り続いているというのに。

 昨日は、予報通りに、雨が降りました。午後の学生達が帰る頃には止んでいましたが。けれども、この雨に、一番がっかりしたのは、去年の冬を経験していない人たち。「もう、雪が降ることはないのか」と尋ねます。

 一月も末になり、どうも冬も終わりに近づきつつあるのではないかという気がしてきたのでしょう。

 「いやあ、4月に降ったこともある」と、期待が淡雪のように解けてしまわないように言っておきます。

 その点、「雪」と聞いてハッスルするのは、去年、雪を見た人たち。去年降ったことさえ忘れていた私に、「雪です。雪です。去年、窓を開けて、びっくりしたァ」。「えっ。去年降ったっけ」。

 非難するような目で私を見て、きっぱりと「降りましたよ。2日か3日残っていました」。「そう…でした…っけ…(ごめん)」。

 2、3年ほども、行徳に住んいれば、当然のことながら、雪に出くわす機会もあるのでしょうが(パラパラの程度であっても)、1年ぽっきりであれば、これは僥倖を当てにするようなもの。「霙」で終わってしまうことだってあるのですから。

 雪なんて、1年に1回くらいでしょう、降るのは。太平洋側の、このあたりなんて、そんなもんです(日本に来てすぐの頃、「日本は雪が降ると聞いてきた。見たい」と言う学生もいるのですが、どうも、北海道か新潟の映像を見ていたらしいのです)。雪が2㌢か3㌢でも積もったら、大ごとです。電があっちこっちで遅れたり、不通になったり、もしかしたら、臨時休校なんてのも出るかもしれません。歩いていて、滑って転んで、大けがをしたなんてのは、日常茶飯事で、救急車の出動回数がぐっと増えるんですもの。この辺りの都市では、雪が降ることを想定して計画されていないのです。

 さて、学校です。

 今日は、早めの「節分」をするということで、卒業生達は、「海苔巻き」作り。もちろん、「恵方巻き」を目指します。そして、一年生は、その恩恵を受けると言うことで、口を開けて待っています。

 これ(海苔巻き)も、芸術作品のようなもの(中身です。花の形になったり、自分の顔であったり)を作ったり、出来は普通の「海苔巻き」であっても、その飾りに趣向を凝らしたりと、なかなか見応えのあるものが出来上がってくるのですが、本当に数年に一度、全員が、型どおりの、ごくごく普通の「海苔巻き」を作り、飾りも「食えればいい」ようなもので終わることがあります。今年の彼等はどうでしょうか。

 一年生は、正規の授業をし、最後の30分ほどを使い、「節分」を楽しみます。まずは解説。そして、DVDを見ながら、卒業生達が作ってくれた「海苔巻き」を食べ、最後に「鬼は外、福は内」と、「福」を招き入れ、そして終了。

 今年は、卒業生も、まだ「福」が来ていない人達が数人、残っていますから、一年生達と一緒に、「鬼は外、福は内」をやった方がいいのかもしれません。

 ところで、この、最後の後片付けなのですが、中国人学生がいないと、率先して動く人がかなり少ないと見ておいた方がいいのです、男女とも。しかも、動く人はいつも限られていますから、なかなか、これが大変なのです。特に今年のスリランカの男子学生達は、甘やかされて育って来たなと思われる人が少なくないので、もしかしたら、それは「お前達の仕事」という態度で来るかもしれませんね。もちろん、そんな態度は潰していきますが、人数が多いと一度に叩き潰すというわけにもいきません。

 こういう人たちは、授業や課外活動、伝統行事などを通して、「働く」ことを学ばせていかねば、だいたい、彼等が希望する日本企業での就職だって難しいのです。

 日本企業の方だって、こういう時に、パッと働けない男なんて、だれもいらないでしょう。別に気働きをしろとまでは言いませんが。それがわからず、自分は特別だからみたいな意識や態度でいると、いつかどこかで、しっぺ返しがくると思うのですけれどもね。これがなかなかわからない。すでに20年くらい、こういう育てられ方できているわけですから、急に変われと言われても、まあ、確かに困るのでしょうが。

 こういう人は往々にして、授業の時でも、自分一人で受けているような態度を取り、皆の顰蹙を買ったりするのですけれども。もちろん、この学校にいる間に、変われる人もいます。また、変われないまま卒業するという人も、出てきます。私達も、彼等がそれに、まず、気づくように指導していくのですが、こういう人たちは(そうされると)、最初は、被害者のような気になるらしい(指導するにしても、使える言語がありませんから、簡単な既習の単語しか使えないので、そう感じさせてしまうのでしょうが)。

 「どうして、私だけに、言いますか」となるのです。それで、最近は、彼の周りの人もまとめて注意するようにしているのですが、そうすると、今度は「先生は、○○国の人間が嫌いです」となる。

 だいたい、そういう人と話しているのは、彼と同じ国の人間だけですから(他の国の人間は、授業中、ペチャクチャとずっと話し続けるなんてことは)。

 まあ、これも時間との闘い…ということになるのかもしれませんが。

日々是好日
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「『朝日新聞社』見学」。「自転車置き場」。

2014-01-30 08:37:25 | 日本語の授業
 今朝は窓を開けた時も、んんん????と思われるほど…寒くなかった…。聞けば3月並の気温と言いますから、なるほどです。ただ、お日様はお休みのようで、今日はこれから下り坂になるとのこと。昼前から、雨との予報が出ていましたから、せっかく「朝日新聞社」に行ったのに、帰りは築地市場の散策もままならぬことになるかもしれません。

 さて、学校です。

 卒業生クラスの学生達が学校にいない…と(卒業生で、もう一度やりたいと、他のクラスに入っている学生もいますが、彼等も他の卒業生と一緒に「朝日新聞社」へ行きますので、今朝はちょっと寂しいのです)、まず、学校の前に停められる自転車の数が違うのです。

 去年の7月頃から、学校の前は、交通整理が必要なほど(これはちょっとオーバーですが)でした。少し遅れてくると、もう置き場がありません。それで隣のマンションの方へ侵入してしまい、お叱りを受けてしまう…ことになってしまうのです。最初は目を光らせているので、大丈夫なのですが、敵もさるもので、こちらが忙しい時とか、手薄であるなと見て取ると、すぐに、置いてしまうのです。こうなると、朝っぱらから、まるで、モグラ叩きの始まり、始まり…。

 もとより、彼等には、悪いことをしているなんて感覚はこれっぽっちもありません。それどころか、「空いているのに、どうして置かせてくれないの。嫌な人」くらいの気持ちなのですから。

 「あれは他の人の土地。よその人の陣地」と言っても、「だからなんなんだ」ですから、最初はお話にならないのです。それで、「よその人の土地に置いていると、よその人が出入りしたり、自分の土地に車を停めようとしても、そうすることができないでしょ。だから、困るでしょ」めいた、だだっ子に説明するような口調でやらねばならぬのです、そうさせないためには。だって、「どうして叱られるの」なんですから。「私は悪いことはしていない」なんですから。

 彼等の国ではそれでいいのでしょう。だれの土地であっても、だれも使っていなければ使う。だって、土地は広いのですから。不便だったら、「どけて」と言えばすむこと。それを「権利」だとか、「その侵害」だとか面倒くさいことを言われるなんて、「理解の外、フン」なんでしょう。

 ただ、お隣に老夫婦がお住まいなのですが、一度、その方達が出入りしている道を塞ぐような形で置かれていたことがあって(注意されたので、すぐに退かしに行かせたのですが)、そのとき、「あそこに停めると、お年寄りが出入りできなくなる。お年寄りのお友達もお年寄りが多くて、そういう人達は、行動が不自由な場合もある。だから、あそこへ停めてはだめ」と言いますと、これは効きましたね、一発で。

 彼等は、こういう方面では本当に優しいのです。すぐに、「いけないことをしたね」「いけないんだね、先生」と何人かが言いに来て、それからはだれかが停めようとすると、注意してくれるようになりました。もちろん、学年が変わったり、こういう事件があった時の学生が卒業してしまったりしますと、また一からやり直しなのですが。

日々是好日
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「大学入試を前に…『お尻に火がついた』…学生」。

2014-01-29 08:47:25 | 日本語の授業
 寒い。朝は、なかなか手袋とお別れすることができません。昨日など、自転車置き場に着いてから気づき、でも、取りに上がるのは嫌だ…で、手袋なしで、そのまま自転車に乗ってきたのですが、その寒かったこと、寒かったこと。僅か10分にも満たない時間なのに、これが応えました。

 というわけで、今朝は、何はさておき、手袋で、出てきました。

 寒いことは寒かったのですが、その分、今朝の空気は澄み切っていたようです。富士山もくっきりと見えたことでしょう。私の住まいや学校からは、(ビルに阻まれて)見ることはできませんが、電車に乗っていると、時折、高架の上から見えることがあるのです。

 それに、今朝は、朝焼けがきれいでした。その、完全に空が赤くなる少し前、これ以上、細くはできないであろうと思われるほどのお月様と大きなお星様が、三段に色分けされたようなお空に白く残っていました。一番下は夜明け色、そしてだんだんと白んでいき、一番上はまだ夜の色。その夜の色のところに残っていたのです、お月様とお星様が。

 きれいなものを見た後は、本当はそのままジッとしていたいもの。ただ、その下が、ビルというのはいただけない。木々の上の月や星だったらよかったのですけれども…。

 さて、学校です。

 先週に引き続き、卒業生達の進路のことで、あれやこれやと忙しい毎日が続いています。私は「作文」を受け持っているのですが、これも、面接をして、彼等の気持ちを聞いて、そして書かせて、それからチェックして、そしてまた話を聞いて、書かせて…の繰り返しでした。

 ただ、クラスによっては、私が作文を担当していなくて、授業中にできないということもありました(その場合は、空き時間にやるか、授業中に他の学生達に作業をさせていて、その間にやるとかしていましたが)。

 一応、これでいいだろうと思われるところでまとめても、彼等はそれでも、二年近くを日本で過ごしているわけですから、使ってもらいたくない「言葉」というものもある。また、学生によっては、使われた漢字が多すぎて、覚えられないということもある。文法の問題というのも出てくる…。

 それを、最後になって言われると、またやり直しということで、私の方もアタフタと職員室に下りていって、字数を数えなければならなくなる…。

 けれども、こういう作業を繰り返しておくと、彼等自身、大学に入って何をしたいのか、が、少しは見えてくるのです。面倒でも、これはこれで、等閑にはできない作業なのです。

 朝も、8時を過ぎると、アルバイト帰りの学生がやって来ます。そのまま授業が始まる9時まで眠ってしまうと言うこともあるのですが、このように試験準備をしなければならなくなってきますと、なぜか夜勤明けでも、寝ようとせずに、書いたものなどを見せに来たりするのです。

 そういえば、午後のクラスでも、アルバイトの休み時間にやるから持って帰りたいなんて言っていた学生がいましたっけ。彼など、今まで一度も、そんなしおらしいことを言ったことがなかったのに。やはりお尻に火がついたと見えます。

日々是好日
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「『初級』から、『中級』へ。その前の一つの作業」。

2014-01-28 08:09:08 | 日本語の授業
 今朝も寒い。それでいて、今日は14度から4度の間で動くと言いますから、内陸部の(気温の)変動みたいです。ここは海の近くですから、あまり、こういう日較差なんてないはずと思っていたのですけれども。

 さて、学校です。
「N3クラス(10月生)」では、少しずつ、『初級』後についての話を始めています。このクラスは、皆「非漢字圏」(一人、中国人で、高校受験を目指している学生がいるのですが、この春には、多分高校入学ができるでしょうから、今年の7月の「日本語能力試験」の時には、既に高校生でここにはいないでしょう)で、中国人などの「漢字圏」の学生とはまた違った試験対策を練らねばならないのです。

 「あれでもない、これもあまりよくなかった」という試行錯誤(数年やりました)を通して、今度は、まず一度、「N3」文法を軽く通してやってみよう、できれば1か月ほど。それから、「N3」レベルに近い「読解」なり、「聴解」なりをやっていこうということに話が決まり、まずは、それでやってみるつもりです。

 前は、どうもよくなかった。『初級』から上がった時の、『中級』教材が難しすぎたのです。しかも内容が、先進国で生まれ育った人による視線、考え方で、貫かれていましたから、途上国出身の学生達には、どうも「ピンと来なかった」のです。その上、中には、「お寺出身の人」なんてのもありましたから、もうそれだけで、彼等は「お坊さんが結婚していいの」という疑問が出てしまうのです。それを狙って出したのかも知れませんが、その時(何せ、まだ日本の歴史の語りを聞ける、日本語のレベルではありませんから)は適当にやり過ごすにしろ、どこかで(彼等がこの学校にいる間に)、日本の仏教や神道の流れを説明しておかねばまずいということになってしまいます。

 そういうものよりも、最初は、素直に、「読解」だけに集中できるような「教材」がほしいのです。

 「文」レベルのものから、短いにせよ、急に「文章」に入る。これも大変で、「漢字」は多いは、「単語」もよくわからないのが入っているは、「文法」も一文型に止まらず…というわけで、感覚としては、これはもうワヤワヤしているだけということになっていたのでしょう。

 『中級』からは、『初級』の時のように、「リピートすればどうにかなる」とはならず、説明を聞いて理解できても、それで終わり。やっても、せいぜい短文作りくらいのもので、あまり一文型の練習に終始してくれない…で、「わけがわからん」。

 結局は、枝葉(単語や漢字)ばかりが気になる人が増え、文章の内容が、「読み取れない」。

 もちろん、どの国の言語で書かれたものでも、すぐに「読める」人はいます。けれども、それは「特殊」と見なすべきで、普通の「非漢字圏」の学生には当て嵌まらないと思っていた方がいいのです。

 もっとも、中国人学生でも「読解」が苦手な人がいました。これは日本人でも同じでしょうが。有名大学を出ていても、大学院を出ていても、問題文として、「小説」系が出てしまうと、まずは「ため息」、そして私の顔を見て、「諦めましょうかね」と言うのです。

 ある時、一クラスにこういう人が二人(理系)いました。二人とも、その他のことは全く非の打ち所がなかったのですが、この「読解文」が大の苦手。最初は二人を気遣っていた他の「高卒者」(何と言っても、二人の方が彼等よりも10才ほども上でしたから)も、試験が近づいてくると、「先生、中国語で説明してもだめだから、二人を構わないで」などと言い始める。そして、二人共、模擬試験の答え合わせの時など、「やはり、違うでしょうね。いいですよ。説明は」なんて、引っ込んでしまう。

 ただ、二人は、頭はよかったし、試験には慣れていましたから、例えば、「(四択の時)②と④は明らかに違う。残りの二つの中、自分は①の方が正しいと思う。よって正解は③である」なんて、答えの出し方で、合格してしまいましたが。

 さてさて、「非漢字圏」の学生達のことです。軽い文法を先に流すことで、少しは「読解」の重しが軽くなるかしらん。こちらは、それを期待しているのですが。

日々是好日

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「一転、また冬に戻りました」。「日本語以外の知識…」。

2014-01-27 08:33:58 | 日本語の授業
 寒い。昨日は、まるで春のような陽気だったので、この寒さは応えます。土曜日は夜半に雨が降ったせいか、しっとりとしてそれほど寒さは感じられず、そして日曜日の朝、窓を開けても、「全然寒くない!」。

 ところが、日曜日の昼過ぎ頃から、だんだん風が出始め、それが夕方を過ぎた頃には窓を打つようなものに変わり…そして、今朝です。風は止んでいますが、昨日のあれは、北風だったようで、また冬将軍の手下達を運んできたようです。

 とはいえ、伊豆大島では「椿祭り」が始まりました。300万本もの椿が、赤や白、金茶の色を煌めかせて、さぞや美しいことでしょう。自然は、人を、絶望の淵にたたき落とすこともありますが、それだけではなく、反対に、人の心を絶望から掬い上げてくれる力も持っているようで、こういう祭りが復活しますと、どこか希望の光が見え隠れしているようで、心が少し明るくなってきます。もちろん、当事者は、それこそ、必死の思いで(後ろを振り返らないようにして)動いているのでしょうけれども。

 さて、学校です。

 今週が、卒業生の忙しさのピーク。ただそう思っているのは、教員の方だけのようで、のんびりしている彼等の顔を見ると、ムカッとしてくることさえあるのです。けれども、彼等は彼等なりに、日本語学校の学費を払った後、大学や専門学校の入学金をまず準備していなければなりませんから、毎日学校へ来て、私達に元気な顔を見せるだけでも、ぎりぎりのところ(仁義)なのかも知れません。

 私達の方としては、この学校を去る人達に、「日本語の勉強だけでなく、世界の動きとか歴史なども見せておいてやりたかった。一般的な常識も入れてやりたかった」と、残された日々を数えながら、口惜しい思いをしているのですけれども。

 しかしながら、知らないということは強い。知らないが故に、己の、あるいは彼等の民族、国民の所業を顧みることなしに、他者を大きな声で非難したり、罵ったりすることもできるのですから。また、心に何の蟠りもないが故に、(悪いのは他者のみと)のんびりと海を見てうたた寝をすることだってできるのでしょう。

 それを、人類の、人類であるがための所業と、己のことに引き寄せて考えることができるように(結局は「想像力」なのでしょうけれども、知らねば「想像力」も養えないのです。一方的な「妄想」による被害意識に凝り固まって、己は常に正しい。他者は常に間違っているになってしまうでしょうから)させていくのは、これは日本人とて同じことでしょうけれども、時間がかかります。

 何事であれ、外から内を見る機会を与えられた彼等、きっと、いい方向に進んでいけることでしょう。少なくとも、中にいる人達に比べれば、知識も経験も、ふえているでしょうから。

日々是好日
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「梅花は雨に 柳絮は風に 世はただ嘘に揉まれる」。

2014-01-24 08:45:49 | 日本語の授業
 「梅花は雨に 柳絮は風に 世はただ嘘に揉まれる」

 「……夢の中なる夢なれや 夢の中なる夢なれや」

 「何ともなやなう 何ともなやなう  うき世は風波の一葉よ」

 「思ひ廻せば 小車(をぐるま)の 思ひ廻せば 小車の  僅かなりける うき世かな」

 『閑吟集』や『達小歌』など、室町後期の「歌」には、無常的であると一言でまとめるよりも、どこか「今だけを生きている」、いつの世でもいる人達の感情が込められているようで、時折、読むと、心が鎮められるような気がしてくるのです。

 作られた、あるいは、流行したのが「乱世」であり、それを読む現代人である私は、「乱世」とはほど遠い世に生きているというのに、おかしなものですね。けれども、「死」を「常」としていた人達の方が、「生」に深く結びついており、反対に「死」を「非常」としている私達の方が、上滑りな「生」の中にいるのでしょう。それ故に、彼等の「生」の感情を嗅ぎ取ろうとしてしまうのは、人としての、ある意味では「本能」なのかもしれません。

 さて、学校です。

 人というのは、自己を正当化するために、ある人に、一度でも、嘘をついてしまうと、今度はそれを糊塗するために、いろいろな所で嘘のつきまくりをしなければならなくなってしまいます。

 そして、それを聞いた人が、それ(そのことを)他者に言ってしまうと、途端に、「えっ、違うと言っていたよ」という具合に、ボロボロと化けの皮が剥がれてしまうものなのです。が、それでも、わかっていても、やってしまうというのが人というもの。…人というものはよほど業の深いものと見えます。

 ある人の、些細な思い込み、そして、また別の人の、最初は大したことのない小さな嘘、そういう出来事が幾つか重なってしまいますと、(それを聞いている自分が)なんとなく、アップアップしてしまうのです。本当はどうでもいいことなのでしょうが。

 以前は、それこそ、そういうものが山のように襲ってきて、押し潰されそうになってしまったことがあったのです(そういう人達の間に立たざるを得なくなってしまいますから)。自己を正当化、あるいは、自分は被害者だということを強く人に言いたいがために、ついた小さな嘘でも、それによって傷つく人も出てくるわけで、それを非難されると、また別の嘘をつかねばならなくなる…。

 人というのは、他者に好かれたい。いい人だ、可哀想な人だと思われたいと見えます。この「可哀想に思われたい」というのは、私は願い下げなのですが、人によってはそう思ってもらいたいと強烈に願っている人もいるようで、そうなりますと、だれか加害者を作らなければならなくなってしまいます。

 まあ、私がその役を担ってやってもいいのですけれども、他の人に振られるよりはこちらの方がずっと気が楽ですし。

日々是好日
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「ハクビシン」。「地道な作業は…嫌いな学生」。

2014-01-23 18:19:40 | 日本語の授業
 風がないと、これほど違うものかと思いながら、それでも自転車で風を切って(ゆっくりなのですけれども)学校へ。

 今日は鳥の姿をよく見かけました。寒さに羽を膨らませて、「ぶっとく」見える、「まるまっこい」鳥の姿は、なんとも愛くるしい限り…。

 ところで、学校の前の道を「ハクビシン」が通ったらしいのです。普通に、野良猫や家猫が歩いているように、ごく普通に、歩いていたらしいのです。噂には聞いていましたけれども…、「動物園」級の動物が、いつのまにか、日本の野山で徘徊を始め、、それが、とうとう、この辺りでも出没するようになったのかと驚き入った次第なのですが。

 最初は、(この辺りで初めて見たので)教員も、「あれは猫かタヌキか」と思ったと言います。「でも、額から鼻先まで、おしろいを塗ったように白いし…やはり『ハクビシン』だ。でも…、小さいな」。それを聞いた学生が、きっぱりと「子ども(の『ハクビシン』)だからです」。中には、よくわからないくせに、「食べます」とか、「食」の方へ走る学生もいて、「ハクビシン」よりも、学生達の反応の方が面白かったらしいのです。

 この、「ハクビシン」で沸いたクラスも、『初級Ⅱ』の第45課が終わるくらいになりますと、少しずつ、自分の言いたいことが言えるようになってきているようです。

 この、いつも思うのですが、(アルバイトできるくらいに)話せるようになったら、もうそれで、「勉強が終わり」になってしまう人達のことです。

 書いたり、読んだりするのは、苦手。好きなこと、興味のあることを話すのは、好き。つまり、本を読むのはだめだが、井戸端会議ならぬ「お話し合い」は大好きなのです。授業中、勉強に関係のないことを言って、皆を笑わせる、あるいは驚かせるという努力は惜しまないくせに、地道に漢字を覚えなければならないような作業(ただ書くのではなく、覚えようとして書く)になると、途端につまらないと言うのです。飽きてしまうのです。

 そこで、「いくら書いても覚えられない」(学生)と「覚えようという気が無くて、ただ写しているだけだから覚えられないのだ」(教師)の闘いが始まるのです。

 漢字一字の意味は入れてあります。「N4」レベルの漢字がもうすぐ終わりそうなので、漢字二字の言葉にするにしても、大部楽です。で、それも入れたりしているのですが、聞いた当座は喜んでも、覚えようとしないので、「聞いた。わかった。忘れた」という流れで終わり、いつも。

 そういえば、前に、インド人で、ここの学校に通っている人の中にも、そういう人がいました。気はよくて、みんなに好かれるのですが、(その時は中国人が多かったので、最初の頃はよくても)大学入試の時期が近づいてくると、カリカリしている彼等の邪魔になってしまう。まあ、彼は大学を出ていましたから、年齢も普通の留学生などよりずっと上で、そういう皆の気持ちもわかるので、(その頃は)抑えていましたが。

 ところが、同じくらいの年齢の若者であったりすると、その、「抑える」ことができないのです。頑張っていれば、少しぐらい出来なくても、みんな待ってくれるのですが、そうではないとなると、ちょっと皆も待つ気にはなれないようですね。

 出来るだけはやく、そういう自分から卒業してほしいものだと思うのですけれども。

日々是好日
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「夜勤明けの学生」。

2014-01-22 08:50:52 | 日本語の授業
 「寒い、寒い」と言いながら、夜勤明けの学生が登校してきました。最近、引っ越してからは、いつも、終わったらすぐに学校に来るのです。彼女のアパートは遠く、「一度、戻ってしまうと、もう気力が続かなくなってしまう、だから来るのだ」と言います。早く来る時はいつも、7時半ごろ。これが週に2日か3日あります。その時はいつも「どうしますか。(これから9時まで)寝ますか、それとも勉強しますか」と聞くのですが、答えは決まって「えへへへへへ…」。病気にならなければいいがと心配になるのですが、そういう彼女ももうすぐ、大学を受験しようと言うのですから、月日の経つのは速いもの。

 ところで、昨夜、雨が降ったと見え、道に水たまりができていました。確か、予報では雪になるかもしれない…だったのですが。昨日も、学生達が帰る時に、「今晩、雪になるかもよ」と言うと、「先生、(予報官は)嘘つきです。(前も、今か今かと)ずっと(雪を)待っていたのに、降りませんでした」と言われてしまいました。

 もっとも、日本でも、南国人の部類に入る私には、「雪」と聞いても、すぐに思い浮かぶ「名称」など、それほど多くはないのです。せいぜい、「綿雪」とか「牡丹雪」、あるいは「淡雪」くらいのもので、雪国の人々のように、多彩で華麗な「名称」など、わからないのです。

 あとは「霙」とか「氷雨」とかいった類の、水分のかなり多く含まれたもので、夕方などに降られると、翌日は道がシャーベット状になって、通勤通学の足が取られるといった、マイナスイメージのものでしかないのです。

 さて、いろいろと思いだしているうちに、お日様がお顔を覗かせ始めました。これからは雲が切れ、青空が広がっていくことでしょう。冬は、ここ(行徳)からも雪に覆われた富士山がくっきりと見えるのですが、夜は夜で星の数も夏に比べると随分増えているような(増えるわけはないのですが)気がします。乾燥しているので、澄んだような気になるのでしょうか、空気も。

 ところで…、学校です。

 この学校では、4月、7月、10月、1月と、1年に四回、新入生を迎えています。今週の金曜日が今年の一月生の入学式になるのですが、これは、いつもより、10日ほど遅くなっています。クラスは既に開講されており、14日から既に、「初級」らしいリピートの声が元気に響いています。

 これまで(ここ、1年ほど)は、午後のクラスは「一クラス」だけ。しかも『中級』が終わった後、最近は、DVD教材を使った授業か、「音韻」や「慣用句」の講義か、あるいは「N1文法」の説明などでしたから、もしかしたら、午後に学校の前を通る人は、ここが日本語学校だなんて気がつかなかったかもしれません。

 普通の、日本語学校のイメージは、「『初級』程度の日本語の練習」をしている所…なのですから。

 新しいクラスが開講するたびに、「あいうえお」というコーラスが外にまで聞こえて来ます。その度に、こちらも、「ああ、ここは日本語学校であったのだ」と思うのですが、以前、「漢字圏」の学生達が主であった場合は、こういう感動も一過性のもので、すぐに日本人と同じようなものを学ばせていくという段階に入っていたものです。

 「新聞記事」や「文学教材」などを扱うと、彼等は読解力は日本人と同じと見ていいので、読解力の少し劣る教員が上のクラスを持つと、途端に「……」という反応が返ってきます。もちろん、それが感じ取れない教員もいないわけではありませんから、だれが何を持つかというのも、大切なことでした。

 もっとも、中国人は、世界情勢や世界の歴史などに対する見方が偏っていたり、あるいは全くそういう知識が白紙であったりするので、「なぜ、そう理解すべきなのか」という作業が主になっていたと思います。つまり、知識を入れていく、あるいは埋めていくのです。どこが欠けているのかがわからなければ、どうしてそういう判断をするのかがわかりませんから。

 これは、私も中国で経験のあるところで、多分ああいう国では特にこういうことが大切であったのだと思います。表面的に読んでいては、決して彼等が言っているような意味にはとれないのです。それどころか、全く、反対のことを言っているようにさえ、思えたのです。

 「これは上等の表現であ」と、まず言われ、曰く、「(なぜかと言えば)何年何月に、党のある幹部がこういうことを言って失脚した。だから、この一文字で、皆、それを連想するのである。だから、皆、すぐに、こういう判断を下すのだ」。

 「そんなこと、私に、わかるか。私は共産党にも唯物論にも興味はないんだし」と、その時には腹を立てたものでしたが、そうは言っても、今の中国を知りたい人には、もしかしたら、こういうことが一番大切なのかもしれません。

日々是好日
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「日本人は、冬、家の中で、どんな寒さ対策をしているのか。特に寝る時」。

2014-01-21 08:19:26 | 日本語の授業
 寒さは続いています。今日は11度から4度とのこと。ただ、夜間には平野部でも雪がうっすらと積もるかもしれないという話。もちろん、うっすらとうっすらとでしょうが…。

 時々、学生達は、外を見やりながら、「雪が降りませんねぇ」と言います。その気持ちは「おかしいな。日本は雪が『ある』と聞いていたのに…」なのでしょうね。ある者は「雪は降らない方がいい。アルバイトに行く時、自転車で行けないから」と言い、またある者は、「いやいや、雪というものを見たい」と言います。

 冬になると、必ず出てくるこの話題。テレビのニュースなどで、東北地方や日本海側、そして北海道の冬の景色が流されるたびに、ため息が洩れてきます。「いいな、いいな。雪があんなにある。触ってみたい」なのでしょう。

 気持ちはわかりますけれども…。豪雪地帯での苦しさなどは、画面を見るだけでは伝わってきません。「雪下ろし」もさることながら、暖房のための費用も馬鹿になりませんし。このあたりでの寒さですら、電気代が一万円を超したとびっくりしているような人達なのですから。

 というわけで、先日、暖かい毛布の話をしました(しかも、2000円はしないのです)。

 実は、この南国から来た学生達、スリランカからの学生達は、冬でも、薄い、いわば夏物の掛け布団だけ。そして、エアコンをガンガンにかけて寝ているらしいのです。どうも、掛け布団というのに、馴染みが無いようなのです。なんでも、スリランカでは、寝る時、何も掛けていない…らしい。

 日本のように、こういう気候のところでは、夏には夏の服、春秋には春秋の服、冬には冬の服があるように、寝具も季節や暑さ寒さ、湿度などにより、換えていくものなのです。けれども、彼等は、(母国では)一年中、同じ服。だから季節毎のファッションなんて考えられないのです。それと同じように、寝具も夏物で、ずっと通してしまうのでしょう、それが一番馴染んでいるという理由で。

 先週、聞きに来た二人の学生に、それを一応は説明したのですが、土曜日にホームセンターに行って見ても、結局、わからずじまいだったと言います。幾つかのものを説明したので、きっとそれがごちゃごちゃになってしまったのでしょう。それに、見せたチラシは他の店のものでしたし。

 で、もし、今日、アルバイトまでに時間が30分ほどもあれば、近くのホームセンターまで連れて行ってみるつもりです。確かに「勘を働かせる」なんてのもできないでしょう。想像するにも、「ライオンしか知らない者に、ミミズを想像させる」ほどの難しさがあるでしょうから。

 さて、学校です。

 昨日は「Eクラス(10月生)」で、「やりもらい(くれます。あげます。もらいます)」をしました。この、「だれ」から、「だれ」へという流れが混乱してしまうのです。「だれから」と聞かれても、矢印で書いて見せても、今一つピンと来る様子はなし。「耳」だけでは、この「から」も聞き取れていないのかもしれません。

 それで、スリランカのことを知らないベトナム人学生に、スリランカ学生の故郷の街を案内してやるという形で例文を一つ。そして、「AさんがBさんにCさんを紹介する」を日本に来る前に見知っていたかどうかを確認してから、ベトナム人とスリランカ人の三人の学生同士の会話と言うことで一つ。

 やれやれ…、普通の「○○さんが△△さんにペンをあげました」「 △△さんは○○さんにペンをもらいました」は、うまく入っていたのですけれどもね。

日々是好日
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「大寒」。「書くという作業を通じて身に付けるもの」。

2014-01-20 15:23:32 | 日本語の授業
 今日は「大寒」。

 いよいよ、今年も来ましたね…この日が…というところですが、今日よりも、ずっと寒い日が続いていたせいか、それほどの「感動」はありません。それに今日、お昼には10度近くになりそうですし。

 先週の土曜日のこと。治療院への道すがら、「ロウバイ(蠟梅)」が、今年も蝋細工のような透きとおった黄色い花びらを綻ばせているのを見つけました。この「ロウバイ」というのは、故郷にもたくさん咲いていて、親しい花なのです。庭木としてもよし、野山を彩る花としてもよし。お日様がその花びらに当たっている時など、思わず「飾りじゃないのかしらん」などと思って触れてみることさえあるほどです。

 そういえば、大島の「椿祭り」は、1月26日から始まるそうですし、「大寒」が過ぎると、次は「立春」、そして「雨水」、「啓蟄」…。「啓蟄」まで来ますと、心は「サクラ(桜)」を思ってざわつき始めます。

 さて、学校です。

 大学入試を控え、それぞれ面接やら、作文の準備やらをしているのですが、この「作文」というのは、いわば、彼等のこの学校での「総まとめ」兼、次の段階への「心の準備」でもあるのです。

 「どうして日本に来たのか」「どうして日本語を勉強しようという気になったのか」という、非常に基本的なことを聞いていくのですが、これがなかなか出て来ないのです。

 必ず、何らかの「きっかけ」めいたものは、あったはずなのですが、日々の忙しさ、来日後の辛さにかき消され、「初心」というのがどこやらへ行ってしまっているのです。それを改めて問われ、留学生の大半は、まず、ごまかそうとしたり、そんなの、何もなかったと居直ったりして、何も書こうとしません。もちろん、彼らの国の教育によっては、そんなことを書いたことすらないがゆえにそうしてしまうということもあるのでしょうが。

 とはいえ、大学まで行きたいと思い、またその努力をしている者には、どのような理由があれ、それを許すわけにはいきません。厳しく問い詰めていきます。

 「考えろ、考えろ」と押していき、「いつ」「どこで」「なにがあった」と、心の中に探らせていきます。これは、一人一人違うのです。探っていく過程で、様々な枝葉を語りはじめたり、時には、全く無関係なことを話しはじめたりするのですが、それを通して、稚拙な表現であれ、自分の物語が書けるようになるのです。

 「どうして日本へ来たのか」を考えていく過程で、改めて自分自身が、「そうだったんだ」と気づき、そしてそれが、来日後のこれまでの自分を考えていくよすがとなる。

 この「よくよく考える」そして、それを「書き上げる」という作業を、一度経験しておくと、次に何かを書かせた時に、スッと書けるようになっていきます、それまではあんなに手間暇がかかったのにと驚くほどに。

 この作業が終わった一人のベトナム人学生、「さあ、これは終わったので、『卒業文集』のための作文を書こう」と、書かせてみると、短時間で400字あまりの文章を書き上げました。「自分が出ている」文章です。読んでみて、ホロリとさせられてしまいました。

 「来日後は苦しく、半年ほどは勉強する気になれなかったこと。アルバイト先の日本人に何のために日本へ来たのかと厳しく言われ、それから心を入れ替えて勉強を始めたこと」などが書かれていました。

 そうなのです。彼等が学んだり、影響を受けたりするのは、なにも「日本語学校の教師」からだけではないのです。いろいろな所にいる日本人の方々のおかげで(時には先輩であることもあるでしょうし、外国人、同国人であることもあるでしょう)、立ち直れたり、あるいは何かに気づかされたりして、成長していくのです、特に高校を卒業してすぐに来たような学生は、そうです。

 この学生も、ベトナムで初めて会った時には(4月に来るということで、2年あまり前に、三人に会ったのですが)、好印象を持った二人のうちの一人でした。ところが、来日後は勉強している様子も見られない、いつもこちらと話す時にはへっぴり腰で(つまり、聞き取れないのです。それでも食いついてくるというタイプではなく)、とにかく、ここから逃げ出したいその一心だったのでしょう。

 それが、その日本人に出会ったおかげで、「初心」に戻れ、今では私達も、「今現在の日本語のレベルは高くはないけれども、大学四年間で、積み重ねていくことができるだろう」と、彼を信頼できるほどにはなっているのです。

 この「積み重ねができる」というのは、言語の習得に限らず、何事に於いても大切なことで、それができるとできないとでは、将来の道を異にしてしまうほどなのです。

 民族によっては、日本語のヒアリングや会話がすぐに(つまり、系統だってがっこうでべんきょうしなくとも)ペラペラと話せるようになれるのですが、けれども、それだけで終わり。この日本語という道具を使って知的な何かを身に付けるということではないのです。

 …ここまで書いてきて、まだ書き上げていない数名のことが頭に浮かんできました。またお尻を叩いて書かせるようにしませんと…はあ。

日々是好日
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「勉強しない責任は私にはない」。

2014-01-17 08:50:34 | 日本語の授業
 曇り。昼近くには晴れるとの予想…(ほんとかな)。雲は重く重く垂れ込めているように見えます。

 昨日、「CDクラス(大半は七月生)」で、蕾をつけた「ジンチョウゲ(沈丁花)」の話をしました。花や樹などの植物は日本の文化と密接な関係があるので、できれば、身近なものから覚えた方がいいなども、ついでに言ったのですが、すると、黙っていた中国人学生が、カレンダーを指さし、そこにあった花の名を問うたのです。「チューリップ」と言うと、すぐにフィリピンの学生が反応。

 そう言えば、中国にいた時も、「チョウ(蝶)」を見て「パピヨン」と言うと、フランス人がパッと振り返り、花を見て「アマリリス」と言うと、ドイツ人の友人が歓声を上げたりしたものでした。

 こちらとしては、どこの国の言葉かなんて、考えもせずに言ったにすぎなかったのです。が、面白いことに、それから何となくお互いに近しく感じられたような気がしたのです。同じ言葉を使うと、たとえ、それが一単語だけであっても、急に親近感が増したりするのですから、不思議なものです、言葉というものは。

 ところで、別の話です。

 教室に来ても、皆と一緒にリピートもしない、拗ねたように下を向いて、時折、如何にも勉強はしているというふうに、漢字を写しているだけ(ああいう書き方では覚えられるはずがありません)の学生が、

「先生は最初は親切だったのに、今は親切じゃありません。いつも怒っています。ベトナム人が好きです」

「勉強しないから、怒るのです。『なぜ、言わないのか』「なぜ、リピートしないのか」と。わからないのなら、勉強しなくてはならない」

そう言うと、何と答えたと思いますか。

「先生が怒っているから、気分悪いのです。だから勉強しないのです」
「勉強しないから、勉強するように言っているのです。それでもしないから叱責しているのです」そういう意味のことがを言っても、さも、責任はそちらにあるというふうに、「先生が怒るから、気分が悪いからしないのです」を繰り返しているばかり。多分、彼等の世界ではそれがまかり通るのでしょう。

 しかしながら、これが、二十歳を疾うに過ぎた人の言葉であることを考えると、その幼さに愕然ともしてしまいます。

 普通、来日直後は(留学生というのは)日本のことがわかりません。アルバイトも捜せない人もいます。彼等の状況を考えて、出来るだけ、家で勉強しなくてすむように、勉強の負担が、過度に重くならないように、こちらも「勉強しろ」と、強く言うことはありません。しかし、それも3か月くらいまでですね。あとは、何のために来日しているかを考えれば、勉強せざるを得ないはず。経済的に恵まれている人が多くはないので、その点は考慮しますが、それ以外で、ふて腐れていれば、きつく指導します。すぐカンニングするとか、スマホで遊ぶとか、母国語で騒ぐとか。

 以前、同じスリランカ人で、こう言っている学生がいました。彼はアルバイトがなかなか見つからなかったのですが、その理由は、日本語が下手だから。ある日、彼が自転車で帰ろうとしているのを見つけて、

「今、アルバイトもないのだから、時間はある。どうして毎日学校へ来て勉強しないのか」

「アルバイトの面接の時、『日本語が下手だから、だめだ』と言われます。だから、気分が悪いです。だから勉強しないのです」

「それじゃあ、また同じことを繰り返すだけでしょ。なぜ、そう言われないように勉強しないのか」

「だって、嫌な気分になりましたから、勉強したくないです」

 つまり、責任は自分では無く、こんな「いい人である」自分を、「嫌な気分」にさせたアルバイトの面接者にあるというわけです。これを延々と、20分ほども繰り返しました。さすがの私も、頭に来て、「もう帰りなさい。いくら話しても無駄だから」。彼は如何にもわからない人だという顔をして、またそういうジェスチャーをして、悠々と帰っていきました。

 それから、これはまた、別のスリランカ人なのですが、彼も、授業中の態度も、それ以外の時の態度もあまり褒められたものではない(言葉が汚いのです。決して学校で習った言葉ではありません)し、実際、勉強もしなかったそうなのですが、スリランカ人はヒアリングがいいので、「初級レベル」の文法で、単語を使い回しているだけであっても、如何にも上手…であるかのように(日本人に思われ、上手だと言われつけているので)振る舞えるのです。

 ところが、日本語教師にかかるとそうはいかない。基礎の基礎、「初級」レベルのものしか使えていないことがバレバレですから、「なぜ、きちんと勉強しない」と厳しく言われる。そして、教師は、キチンと勉強している人達の手当をしてやりますから、いくら言っても態度も変えないし、勉強もしない人は、(言っても無駄だと思われ)ほっておかれるということになる。

 多分、このような人達は構ってもらいたいだけなのです。勉強は嫌だけれども、「ははははは」と楽しく笑って、教室に座ってさえいれば、あたかも勉強しているような顔はできますから。けれども、「大学に行きたい」と、言語のトレーニング、そして漢字を必死になって覚え、文章の内容を捉えようと真剣に考えている人達が大半を占めているクラスでは、ちょっと、困りますね。構ってもらえなければ、それはそれで嫌なのです、寂しいのです。

 それで、ある時、課外活動に出かけている時(私は彼のクラスを担当したことはありません)、私がある学生と話しているのを見て、「先生は中国人が好きで、スリランカ人は嫌いです(つまり、自分を構ってくれないと言うことです)」

 その時、私が話していたのは、タイ人だったのですけれどもね。

 だから、これ(現在校生の言葉)を聞いて、思わず「出たア。さすがスリランカ人」と思ってしまいました。

 この学校には、多い時で「15」くらいの国から来た人が、一緒に学ぶことだってあるのですが、他の国の人から、こういう(スリランカ人が言うような)せりふを聞いたことがないのです。勉強しないから、自分は叱責されているということが、ちゃんとわかっているからで、それにまた、こちらばかり見て、あの人はどうだこうだというよう暇もないのでしょう。

 彼等と同じように勉強しなかった学生達は、卒業する時、あるいは生活が落ち着いて勉強し始めた時、よく、謝りを言ったものでした。

 「ごめんなさい。私は悪い学生でした。でも、本当に疲れて勉強できなかったのです」と言った学生もいましたし、「国を出て、解放されたような気分になってしまって、つい、遊んでしまいました。でも、これからは勉強します」と言って、卒業していった学生もいました。

 彼等は、私の態度を、まずは「我がこと」として、みることができたのです。それを自分の国の人間全部に押し広げて、押し広げてしまうことによって、自分の責任を「ないことにする」というような考え方はしていませんでした。

 こういう言い方をするのが、一人だけでなく、三人くらいも出ているわけで、またそう言っていることに、「当然」と言わんばかりな、したり顔で来るわけですから、「村根性」はなかなか治らないのかもしれません。少し見渡せば、彼等(同じスリランカ人)の勉強の「表現」によって、私の態度が全く違うということがわかりそうなものですのに。

 自分の責任ではないということを、言っておきたいのでしょう。けれども、これでは、せっかく外国に来たと言うのに、「変われ」ないでしょうね。残念ですが。また、そういう人が一人ではなく、現れたということは、それを当然だと、認める風土が確固としてあるからなのでしょう。

日々是好日
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「ジンチョウゲの蕾」。「大学へ行くための準備」。

2014-01-16 08:45:12 | 日本語の授業
 寒い。今年一番の寒さ。なんと「-0.3度」とか言っていました。とうとう「マイナス」の世界に入ったのです。とはいえ、お日様が出てからは気温も上がっていき、8度くらいにはなりそうだとのことでしたが。

 寒い、寒いと自転車を走らせて、学校に着いたのですが、いざ、カーテンを開けに廻っていると、一階の窓のところの、鉢植えの「ジンチョウゲ(沈丁花)」に、蕾がいくつもついているのを発見しました。正に「寒中」に「春」を探し当てたように気分です。

 さて、学校です。
昨日は、朝7時20分に着いてから、すぐに大忙し。最初から、ブログのことは捨てていました。大学に行きたいと言う学生達とその理由などを、その前日話してみたのですが、まだ、焦点が定まらないのです。

 ほとんどの留学生達は、「テーマを絞って書き物をした」という経験がなく、「母国語でも書けないのに、どうして外国語である日本語で書かなければならないのか、理不尽な仕打ちを受ける」というような顔をして、私を見ます。

 そこのところを、宥め賺しながら、ある意味では、全く本題とは関係のないことから話をさせていきます。そして、少しでも関わりのあるところ、関係のありそうなことに出会ったら、そこでストップ。もちろん、彼等にはなぜ私がそこに興味を持っていろいろ聞いていくのかわかりません(だいたい、それが、自分にとって大切なことであるということさえ、気づかない人が多いのです)。

 以前、中国人の学生だったのですが、話を聞いて、「そう、それはすごいことだよ」と言った時、わけがわからぬという顔をして「どうして? 『そんなことは、とてもつまらないことだ』と中国で先生に言われていた」と言うのです。だから自分で心に蓋をしていたのでしょう。本来なら、自分にとって、一番大事で、守らなければならなかったことなのに。

 と言うわけで、「大切かどうかは私が判断する、だから何でも話していいのだ」という雰囲気の中で、話させていきます(本当のことを言いますと、これは、私が決めるのではなく、学生自身が私に教えてくれるのです。話している時の、表情などで、すぐにわかります)。そして気になる点を、少しずつ拡げ、深めていき、ある程度のところで、「そう、それが聞きたかったんだ」と言うと、「こんなことが関係あるの。こんなことが大切なの。こんなこと書いていいの」と驚きます。時には、それくらい、迂遠なやり方を取っていかねばならないこともあるのです。

 これは、「自分探し」と言ってもいいのかもしれません。時々、心理療法のような感じだなと思うこともあるのです。最初は、訊いて訊いて、何度も理由や経験などを話させながら、答えを探っていく(何が「答え」なのか、人それぞれですから、最初は見えないのです)。とにかく、話させる、話をさせていく。すると、いつも、ある時、突然、彼等が勝手に語り始める時があるのです。それからは、私はただ、「うん、それから」、あるいは「なぜ」くらいの合いの手を入れるだけでよく、後は彼等が自分で答えを見つけていきます。

 それが、人によってはかなり時間がかかることもあるのです。まず、最初の彼等の反応は「考えたことがない」なのですから、ましてや、それを書くとなりますと、頭の中は真っ白けでどうしていいのかわからなくなってしまうようなのです。

 そのためにも、1度話させた後、(私は)どこかにとっかかりはないかと、すぐに考えていかねばなりません。この糸が切れてしまうと、また全部やり直しになってしまいます。「やり直している」ということは、彼等には見えますから、(この意味における)信頼関係は切れてしまいます。すると、急に語るのをやめてしまうのです。字文を出さなくなってしまうのです。それ故に、この話させた後、私が考えるという作業はとても大切なことなのです。

 その時間がないと、1度切れてしまうわけですから、二重三重に手間がかかってしまうと言うことになってしまいます。だからこの時期、(学生との話が終わった後)本当に時間がいるのです。細切れに授業に行かねばならなかったり、余計なことが入ってしまうと、私のよくない頭が混乱してしまいます。一人のことに集中していたいのに、どうしても何人かを同時に見なければなりませんから、あっちでも切れ、こっちでも切れてしまうのです。
 
 まあ、昨日は、私一人が焦っていたようで、学生の方では、まだ受験料も払っていない、願書も書き上げていないというわけで、前日の続きをやるどころではありませんでした。

日々是好日
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「昨日は『成人式』でした」。「ガスの工事」。

2014-01-14 08:43:57 | 日本語の授業
 寒い。暦は本当に正直です。今日はストーブをガンガン焚いても(灯油なので、焚くというとおかしいかもしれませんが、なんとなく、そう言いたいような気分なのです)なかなか暖かくなりません。それで、来た時のまま、ダウンにくるまりながら、カーテンを開け、窓の開閉をし、お湯を沸かし、ウロウロして、そして、少しはマシになったかなと戻ってきたのですが、やはりだめですね。職員室は冷たいままです。今日はおまけにお日様の力が弱いのです。陽が射し込むと、少しは気分が楽になるのですが。

 思えば、中学校の現場にいる時は楽でした。その時は用務員さんがいて、教員が来るまでに職員室を暖めていてくれましたから。それを今やっている私は、もしかしたら、用務員なのかな。まあ、教員もついでにしているような。

 昨日は「成人式」で、お休みでした。学生達は、今一つわからなかったようですが、とにかく、「赤の日」で休みであることはわかったようでしたが(この学生というのは、10月生です。他の学生達は、かなり意思の疎通がはかれるようになっているので、時には意味を聞きに来たりすることもあります)

 以前は、市役所から、こんな葉書が来たと、「成人式」のお知らせを持って来たりしたのですが、今年は、そんな学生はいませんでしたね。19才とか20才になったばかりの学生が何人かいるので、もらっていなければ、おかしいのですが。

 この3日間、チョイチョイと学校に来る用事がありました。昨日もどうしようかなと思ったのですが、学生のアパートのガス工事があり、それが10月生と7月生の部屋で、しかも彼らは日本語に不安が少々ある…。隣の部屋の4月生が見てくれると言うけれども…これも不安…で、工事が終わるであろうという時間の前に学校へ行って、仕事をしながら待とうかという気分になったのです。

 ところが、学校に向かっている時、13時を過ぎていたでしょうか、携帯電話に連絡がありました。10月生からで、工事は終わり、修理をしてくれた人から話を聞いたということを伝えてきました。聞くと「みんなわかった」というのです。「ええっ」ということで(聞いてみんなわかったなんて、あり得ないでしたから)、すぐに行くから待つように言って、ドアを叩くと、すぐに彼が出てきました(私が来たのがわかったのでしょう、10月生まで出てきました)。

 会うなり「大丈夫ゥ」と大きな声で言います。「みんなわかりました」と言います。疑わしそうな目で見ると、10月生まで、声を揃えて「大丈夫ゥ」と言います。

 アパートの前に停めてある車を指さして、「工事の人」と聞きますと、そうだと言います。こちらが見てもなかなか気づいてくれませんので、車のフロントガラスを叩いて、お礼の一言なりとも言おうとします。すぐに下りてきてくれて、新しいガスの使い方、そして、もし止まった場合の対処の仕方などを説明してくれました。

 話を聞いている途中、別の二人の学生が、スーパーから大きな袋を抱えて戻ってきました。「あら、先生」と言い、うれしそうに、「今日はパーティです」。「うるさいのはだめですよ」と言うと、「大丈夫、静かです」。ホントかなという顔をして見ていますと、そばにいた女子学生が、「3時に終わります。大丈夫」と私の心配を見透かしたように加勢します。

 それで、学校に戻る時、「隣の人達がうるさいので、騒ぐのはだめです。それから、お酒もだめです」ともう一度、念を押しますと、三人の男子学生は声を揃えて、「お酒はだめ」。私が、「何がお酒はだめだ。靴箱の上にビールが於いてあるじゃないか」と指さしながら言うと、「先生。お酒はだめ。ビールはお酒じゃありません。だからいいです」。授業中、「ご飯」と「お酒」の二つの使い方(意味)を教えたのに、全然聞いていなかったのだなと睨むと、それでもニコニコしています。

 結局、女子学生が大丈夫と言うので、そのまま出てきたのですが。ベトナムの学生は、女子学生の方が頼りになるのです。だいたい男子学生は女子学生におんぶに抱っこされている連中が多いのです。

 ただ、昨日の学生達は、私達が部屋に行くと、すぐにみんな出てきてくれます。叱られると相場は決まっているのに、ニコニコしながら出てくるのですね。そして叱られて、困った顔をしながら、すごすごと部屋に戻っていくのです。それでいながら、「帰りますよ」というと、前のことをすっかり忘れて、すぐに「さようなら」と明るく言うために出て来るのです。

 お勉強ができないのは困るけれども、まずは、屈託ない笑顔が一番。勉強できないというのも、アルバイトで疲れてということもありますし、音がとれないということもあるのです。ベトナムの学生の半分ほどは彼等に責めはなく、つまり母語の関係で音がどうしてもとれないのです。これも、(音楽で)音階がいつも外れる人がいるのと同じような感じで、同じ単語を聞いても、(音の)区別ができないことが多いのです。

 音がすぐにとれる(「ち」と「つ」はとりにくいようですが、それも単語を覚えてしまえばそれほどの問題にはなりません)スリランカの学生と、ヒアリングに難のある彼等が一緒に勉強していくことになるわけで、ちょっとどころではなく、大変なのでしょう。

 しかしながら、最近は、頭で(単語を覚えるとか、前後の分から判断するとかして)全体の文を考えることの出来る学生がチラホラ入ってくるようになりましたから、漢字を覚えることの出来るベトナムの学生の方が伸びるかもしれません。スリランカの学生は「読んで」意味をとることがなかなか出来ませんから。

 もっとも、これも時間の問題です。一生懸命にし続けることが出来る人は、2年か3年ほどで殻がパチンと弾けるようにわかり始めるものです。ただ、スリランカの学生でそこまで忍耐できるかというと、やはりかなり数は少なくなります。途中で飽きてしまうのです。頑張れないのです。

 能力や素質は同じくらいであっても、やはりこの「忍耐」とか「頑張る力」とか言うのは、年中暖かいというか暑い国の人達は苦手なのかもしれません。けれども、頑張らないでやっていけるかというと、多分、先進国では、無理でしょうね。母国で習得してきた分量の差が加味されてしまいますから。

日々是好日
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「この冬一番の寒さ」。「慣れないアルバイト」。

2014-01-10 19:21:59 | 日本語の授業
 寒い。この冬一番の寒さです。

 とはいえ、まだよく猫の姿を見かけます。猫は…どうしてでしょうね。彼らにとっては「寒さ」よりも、「暑さ」の方が大敵なのでしょうか。昨日も、一時雨がやんで、お日様が照ったのですが、その時は、足が濡れるというのに、猫が、学校の前の道を横切っていくのを、数度見かけました。猫は水に濡れるのを厭うというのに。最近の猫は、進化したのかしらん。

 近くのマンションでのこと。その前の道に、少し豆が落ちていたのです。少しと言いましても、お菓子の小袋に入っていたくらいはあったのでしょう、鳥たちがかなりやってきても、まだ残っていましたから。

 最初は、例の、「ハシブトカラス」が。さすが目ざといですね。ただ彼らが陣取っていると、他の小さな鳥たちは食べたくても来られないので、大邪魔です。彼らが飽きてどこかへ飛んでいった後、次に来たのは、最近あまり見かけなくなった「スズメ(雀)」たち。そして、その後は「ハクセキレイ(白鶺鴒)」のつがいです。なかなか賑やかな一隅となっていました。

 ちょっと、いつもと違うことが起こると、ああ、「ここにも、彼らがいたんだ」という、少し、ホッとできるような生き物達がやってくるので、心が優しくなるような気がします。

 さて、そうはいかない学生達のことです。

 新学期が始まって、3日経ちました。特に来日後3か月ほどしか経っていない学生達はどうなのかな(休み状態から戻れるのかな)と見ていたのですが、始業式に来た学生達は、大丈夫でした。ただ、休み中は、1日8時間仕事ができたので、しっかりと働いていた学生は、かなり参っていました。

 それに、学校の半分ほどの学生にとっては、日本の冬は初めてですから、寒さと疲れで(特に夜のアルバイトはくらくて寒い時に自転車で帰るということになりますから)かなり疲れたのでしょう。けれども、アルバイトは、なければないで、困ります。とはいえ、こういう、暮らし(アルバイトと勉強との両立)が出来て初めて、彼らは逞しくなっていけるのです。

 その、現在のところ、一番下の「10月生クラス」の学生のことなのですが、初日に来なかったスリランカの、一人の学生。最初の頃、アルバイトがなかなか見つからず、いつもくらい顔をしていました。多分、スリランカのいる時、うまい話しか聞いていなかったのでしょう(「日本語が出来なくても大丈夫だよ。アルバイトなんて、すぐ見つかるよ」なんて言葉しか聞いてきていない人が実際にいるのです)。

 もちろん、友人達はいるし、だれかが紹介してくれて、やっと見つかったことは見つかったのですが、如何せん、日本語が下手な人には、いいアルバイトなんて見つかるはずがありません。というわけで、いざ、始めてしまうと、今度はそれが大変。(その大変さを)皆に訴えようとしますが(大変なのに、自分は頑張っているということで慰めてもらいたいのでしょう)、他の人達は既にその時期を過ぎている。で、彼に「すごいね」とか「頑張っているね」なんて言ってくれないのです。それどころか、「それが何さ」くらいの目でしか見られないのです。中には、まだ見つかっていない人もいますから、「何さ、あるだけいいじゃないの。こっちはなくて困っているんだから」という目で見る人もいます。

 「(自分は、)大変なのに、頑張って来ている大した男なのだ」コールを繰り返していると、クラスの中の位置がドンドン下がってしまう、つまり「男が下がってしまう」のですが、それが、わからない。見えないのです、現在「渦中の人」であるわけで。

 どのような形の集団であろうと、人が集まれば、それぞれのグループ内での「位置」が、自然な形で決まっていきます。「序列」が出来てしまうのです。男のグループであれ、女のグループであれ、男女混合であれ、同じことです。

 留学生の場合、特に、この学校のように、普通の人が留学してくるというような学校では、「富」とかいうのとは無縁なのです。見ていると、やはり頼られる人が一番強い。アルバイトを他の人に紹介できる人であったり、一緒にいると楽しいという人であったりします。愚痴をいつも言っているような人はやはり避けられてしまいます。皆、最初は生活が大変なのです。日本語がまだ下手なので、大変なアルバイトくらいしかないのです。

 学校にいる時は楽しくしていたい。早く日本語が上手になりたい。そして、もう少し実入りのいいアルバイトを見つけたい。学校にいる間は、アルバイトでの辛さを忘れていたいのです。

 それに何と言っても、日本語が上手な人は一目も二目もおかれますね。留学生にとって、何より価値があるのは、日本語の能力のようですから。

 日本語学校に来た留学生達のだれもが通る道。彼も早くそれに気づいて、地道に頑張っていけるようになってほしいものです。

日々是好日
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「雨です」「クラスの顔ぶれが少しずつ変わっていきます」。

2014-01-09 19:09:17 | 日本語の授業
 小雨。今朝は6度近くもあったそうです。昨日、帰りに「明日は冷え込むから気をつけてね」などと言ってしまった私は、また学生達から「嘘ついたァ」と言われそうです。

 けれども、本来、冬とは、一雨毎に寒さが厳しくなるはず…。だいたい、寒くなるか、それとも寒さが緩むのかは、神ならぬ我が身、わかりっこありません。ところが、だいたいいつも暖かいとか、暑いとか、涼しいとか、そういう中で暮らしてきている彼らには、「わかりません」が通じないのです。気象予報士のおじさん、おばさん、お姉さん、お兄さん達だって、誤ることはあるのに。

 どうか、私が間違えても、怒らないでくださいね。もっとも、振りだけだから、ちっとも怖くはないのだけれども。

 とはいえ、昨日の昼過ぎから降り始めた雨は、シトシトと降り続き、まだ停みそうには見えません。とは言いましても、この雨は、昼頃には一旦上がるそうで、その時には、お日様もお顔を覗かせるそうですから、一息つけそうです。もっとも、また、夕方から降り出し、そして夜には気温がグッと下がり、もしかしたら今年初の雪になるかもしれないとのこと。

 都会は雪に弱いので、降られると通勤通学の足が失われてしまいます。それで、願い下げなのですが、しかし、一年に1度くらいは、雪を拝みたいことは拝みたい。

 特に雪を楽しみにして来日している学生はそうです。学校に来るなり、初日に、「雪はいつ降りますか」と聞いた学生もいたくらいですから。ただし、彼が聞いた時、その冬は1度も降らなかった年でしたので、こちらも慎重になり、「さあ、どうですかね。降ることもあるし、降らないこともあるし…。それにまた、いつ降るとは言えませんし…」と言って、通訳を介して聞いた彼を、がっかりさせたこともありましたっけ。

 ただ、今朝の空気はしっとりとしています、ここ2、3週間、雨が降っていなかったので、かさついていたのです。皆(草木も鳥も犬も猫も、そして人間も)、この雨で、少し、ホッとしています。

 さて、学校です。  
 欠席者は少し見られましたが、いつも通りということで、授業は成立しています。「10月生クラス」では、昨日、クラス分けのテストをしました。『初級』の20課が、休み前に終わっていましたので、その範囲のテストだったのですが、不意打ちのような気がしたのかもしれません。まあ、その割には、一生懸命、参加してくれましたが。

 そのテストが終わっている「7月生クラス」では、午後のクラスから5人、来て、大賑わい。午後のクラスは、最後には、5人ということになってしまい、クラスとしては成立出来なくなっていたのです。何と言いましても、留学生は、在学する期間が決まっていますが、在日の人はいつまで勉強するかが予測できないのです。それで、よく、こういうことがおこるのです。

 それでも、まあ、これまでとは違って、普通の学級らしくなるのでしょう。

日々是好日
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