日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「日本では、日本語が出来なければ何も出来ないということを、できるだけ早く気づいて欲しい」。

2012-10-09 12:46:44 | 日本語の授業

 うすぼんやりとした天気です。こんな日は、何となく放哉が恋しくなってきます。

「たった 一人に なりきって 夕空」
「障子しめきって 淋しさをみたす」
「何か求むる心 海へ放つ」
「迷ったまんまの 犬で居る」
「雀のあたたかさを 握る はなしてやる」
「こんなよい月を 一人で見て寝る」

 「せきをしても ひとり」の句で、忘れられない詩人の一人となった放哉。ただの呟きで、これほど、時間と空間を切り取ることができようとは。とはいえ、持って生まれた「怪物」は、理性なんかの力では抑え付けることはできません。それは気の毒ではあるのですけれど、おかげで、後世の私たちは、結構、充実した時間を過ごすことが出来たりするのです。

 さて、学校です。

 日本に来たら、日本語が出来なければ何にも出来ないということが、どうしてわからないのかと思って見ていた学生が、急にそれを悟ったらしく、どうにかしようと足掻いています。どうも、身内が日本にいて、その人がどうにかしてくれるものと思い込んでいたらしく、その人からお呼びがかかれば、学校を休んでも平気、教師にきつく咎められても平気。そして、翌日か翌々日か翌々翌日に、平気の平左で、学校へ来たりしていたのです。これぞまことに「蛙の面になんとやら」。

 ところが、急に彼女の態度が変わったところを見ますと、あちらの方でなにやらあったかと、勘ぐらなくてもよさそうなことながら、勘ぐりたくもなってしまいます。まあ、どちらでもかまわないことなのですけれども。

 とはいえ、来日後、三ヶ月ほども経てば、真面目にやってきた学生と、テキトーにやって来た学生との間には、深くて超えられないほどの差が出てきています。同じくらいの能力、同じくらいの年齢であってもそうなのですから、それが最初から差がついていれば…まあ、どちらにしても、それぞれが出来る範囲でやっていかねばならないのですが。

 教師というのは、手を添えることはできるけれども、その人の人生を作ってやることも、出来ない人を急に天才にすることも、できません。まあ、当たり前のことですが。

 あくまで、手伝いしか出来ないのです。要は本人のやる気次第。どれだけ時間を割くことができるのか、そして(教師に)言われたことを、どれだけやることができるのか。そんな、いわば、たわいもないことの積み重ねで、知識を吸収していったり、技能を身に付けていったりするのです。

 これは、たわいのないことであるけれども、ある意味では、学ぶ上での王道なのです。それを忘れると、手痛い目に遭うのは本人と言うことになります。

日々是好日
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「『十月生』が、中国からなかなか来ない」。

2012-10-05 08:57:06 | 日本語の授業
 快晴。秋晴れです。昨夜は大雨がザッと来ましたが。

 さて、小学校の校庭を走っていた、「廻し姿の豆力士」の姿が消えて久しいと思っていましたら、最近は体操服姿の小学生達が、「バトン渡し」の練習をしています。時折、激しい声が、聞こえてくるのは、きっと「バトン渡し」がうまくできず、先生に叱られているのでしょう。小学校の先生も大変ですね。

 この「バトン渡し」は、運動神経がある程度ある子供達にとってはそれほど難しいことではないかもしれません(勿論、オリンピックなどのレベルとは違います。いわゆる、もっとゆっくりで、ただタイミングを合わせるだけという意味で)

 けれども、普通の子供達にとっては、かなり難度の高い練習で、足を使い、走ることだけでも大変なのに、それプラス、手の不自然な動作が絡んできますから、「ハッ」と思った時には既にバトンは後方にあるということにもなりかねないのです。そういう先生に叱責されている、私と同じ「ドンクサイ」子供達に、心の中で、声援を送ります

 さて、学校です。
「十月生」は、やはり予感が当たりました。勉強してきたと言っているけれども、それはあり得ないだろう。きっと、その場しのぎの返答であったのであろうと言っていたのですが。来日して困るのは目に見えているのに、それをいくらベトナム側に言っても、中国側にも言っても、どうもこれまで彼等の母国にいた時と同じように「テキトー」やっても大丈夫と考えてしまうのでしょう。

 もっとも、中国からは、三人来る予定の学生のうち、北京で二人は足止めを食っているとか。こういうところで嫌がらせをしてもしようがなかろうにと思うのですが。ただの鬱憤晴らしに過ぎないのでしょうが、中国人学生の中には、例の反日運動の一環で中国側が嫌がらせをしているという噂が流れているようです。ただの噂だといいのですが、多分、彼等は国で自分たちがそういうことをしてきたとか、そういう目に遭ってきているから、直ぐになかなか許可が下りないと、直ぐこういうふうに勘ぐってしまうのでしょう。

 もし、これが単なる噂に過ぎず、中国政府がそういうことをしていなかったとしたら、「そういうのこそ、『ゲスノカングリ』というのだよ」と言って笑って済ませられるのですが、一概に彼等の心配を笑うわけにも行かず、中国語を学んだ一人としては困っています。

 しかしながら、彼等の母国よりも治安がよく、人々の生活が安定している国に来れば、彼らの国では「テキトー」にやって済ませられたことが、「テキトー」にやれなくなるわけで、いろいろな所に齟齬が生じてしまいます。勿論、きちんとした生活をしてきた、いわゆるある程度の知識がある人々にとっては、どこで暮らそうが大した違いはないのですが、中以下、あるいはギリギリ中という層に、その違いが大きく出てしまうようです。

 日本では、ほんの2、30年前まで、一億の人口のうち90%くらいまでが、「自分は中流である」と思っていました。つまり、これができれば「人並み」だと国民皆が思っていることが、「自分でもできていた」のです。そして、その中で伝統的な慣習と、新たに「自分も中流である(つまり、皆同じという気持ちです)」という意識から生まれた習慣とが一つに合わさって、名所旧跡の地や、それほどまで行かぬ観光地へ行ったとしても、ゴミは持ち帰るものだとか、列に並ぶにしても、(自分だって列に割り込みされたら嫌だから、だから人が並んでいるなら)割り込みをせず自分も並ぶという習慣が根付いているのでしょう。

 けれども、これが、いくら自分がそうしても、他の人が常にズルをしているところへ行ったら、多分、日本人だとて、ここではルールを守る方が馬鹿者になるんだと、テキトーにずるようになるでしょう。

 「郷には入れば郷に従え」とは、いい意味でも、そしてこんな嫌な意味でも、言われなくとも、そうなってしまうのです。

 何回言っても、ゴミの分別が出来ません。例えば、プラスチックゴミの袋の中に、カン(コーヒーがまだ残っています)を入れたら、このゴミを捨てる人は、一度全部出して、そのカンを外に出し、袋をきれいにしなければなりません。自分もそういう目に遭うのが嫌だから、日本人はそんなことをしないのですが、「自分もそういう目に遭わされるかもしれない」という想像力がないから、やってしまうのでしょう。この想像力は、彼等が国で培われている「想像力」とは、もしかしたら種類が違うかもしれないなどと、思うこともあるのです。まあ、日本に何年かいる間に、(真面目に勉強していれば)身につくでしょうが。

日々是好日
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「天災」。「人災」。

2012-10-04 08:51:12 | 日本語の授業
 今朝も強い風が吹いています。「台風19号」の姿は見えないけれども、遠くにあって、この日本に影響を及ぼしているのです。世の多くの出来事は、きっと何が原因であるかがわからないまま、その目に入った現象に、世人は右往左往させられているだけなのでしょう。

 もしかしたら、その中には、人の手による「玩び」のものもあるのかもしれませんが。

 「天災」とまでは行かずとも、「自然」は、人々の体調やら心情やらを斟酌したりせずに、いろいろな出来事をおっかぶせてきます。その上、故意になされる「人災」までがやって来るとなりますと、世の人々は、ますます生きづらくなってしまいます。出来れば、いえ、できるだけ、そういう故意のものは避けてもらいたい…のですが。できるなら、なしにしてもらいたいくらい。何事も流れのままに、そう、自然に、生きていきたい。もっとも、これは物欲に駆られる時代を既に終わった国に住む人間達の、贅沢な望みなのかもしれませんが。

 10月から、少し「BCクラス」の様子を変えてみました。実は9月の新学期の頃から少しずつ試みてはいたのですが、どうもきっぱりとやってしまう気にならないでいたのです。それが、10月に「十月生」が入ってくることで、「Eクラス」も編成を変えることになり、思い切ることができたのです。

 クラス編成で難しいことは、彼等のアルバイトの時間との兼ね合いです。大卒の学生などは、それなりに考えて行動していくことができるのですが、それより四歳ほども下の人達は、なかなかそれができません。その多くはそれほどきちんと勉強をしていけるわけでもありませんし、それやこれやで、やっと軌道に乗ったアルバイトの時間を変える、あるいは変えてもらえるように頼む(時にはアルバイトを変える)ということが、彼等の想像を超えるものであるからなのでしょう。

 もう一つ簡単なクラスの方がいいと思い、そう図っても、「できません」という返事が返ってきます。聞くと、「御飯を作るから…」。日本人は割合とこういう作業が苦手ではありません。どれが一番大切かを見極め、それに応じて自分の生活のリズムを変えることに長けているというよりも、そうせざるを得ない状況に慣らされていると言った方がいいのかもしれませんが。

 けれども、これが本当に苦手な人達がいるのです。皆、同じ重さで彼等の肩にかかってくるようで、御飯を作ることと、勉強すること、アルバイトに行くことが同じ鼎の重さ大きさで迫ってくるようなのです。

 そういう時の彼等の切羽詰まった顔を見ていると、もう私たちには何にも言えません。「でもね、勉強するために日本に来たのでしょう」と言っても、「はい」で止まって、じっと私の顔を見ているだけなのです。「どうしようもないことなのだ。自分たちはこういう環境のなかで必死に学校に来ている。これ以上のことはできないんだ」というのが、じわじわっと彼等の全身から攻めてきます。

 「ほんの少し、考え方を変えられれば、もう少し楽になるだろうに」、「もう少し、時間をずらせば、もっと生きやすくなるだろうに」と思うのですが、これで「できあがっている」ようで、それを変えることなど、またごちゃごちゃになって、何が何だかわからなくなる状態にもどってしまう…(と、思い込んでいるので)怖いのでしょう。勿論、それもわかります。

 一日に一つのことをし、後は周りの人達と世間話をして時を過ごす。だれか客が来れば、それこそ大騒ぎで近所近辺の人達が大勢集まってくる…。そういう世界から来てみれば、あれもしなければならない、これもしなければならない。その合間にご飯も作り、洗濯も買い物もしなければならない…。それは大変です。

 私も日本人の中では、とても、そういうことが不得手の方ですから、彼等が私の言うことを聞いてパニックになるのがよくわかります。これは、時間が経って、アルバイトにも慣れてくると、少しずつ周りが見えてくるはずですから、その時を待つしかないのです。待っている間に勉強はどんどん進んでいくと思って、(私の方が)焦り、こうした方がいい、ああした方がいいなどと言ってしまうと、よけい彼等の頭の中は収拾がつかなくなってしまうのです。

 今、教室で、こんな彼等にでも出来るような(勉強の)時間を別に作り(他のクラスメートとは別の作業です)、別の課題を与え、少しずつでも日本語の勉強のこつを掴めるようにさせていかねばならないのでしょう。

 で、その作業の軌道がちょっとですけれども、いきかけています。彼等の反応を見ていると、やるべきことがまだちょっと納得できていないかなという感じ。とはいえ、これも一二週間も経てば、今、何をしなければならないかが見えてくるでしょう。そうでないと、「学校に来た。でも、眠くてよくわからない。よくわからないけれども先生がやれと言うことを自分も、とにかくしなくては」、と思って(皆と同じことをしてしまい、それで)終わってしまいます。

 漢字なども、「四級」が、きちんと入っていないと、上の級のものはいくら書いてもなかなか覚えられません。この「きちんと」というのは、「さんずい」や「てへん」、「こざとへん」や「しんにょう」などの形がとれ、正確に書けるということなのです。

 こういうことも、まず一歩から。それができるようになったら、また別の課題を考えていくつもりです。彼等のアルバイトの様子と、体調とを考えながら。もっとも、これも、勉強したいと、彼等なりに必死に食いついてくるから、こちらとしてもやる気になるだけなのですが。とはいえ、彼等にとっては、これも「人災」なのかもしれません。それなりに流れていく(彼等の気持ちでは)のを、遮ろうとするわけですから。

日々是好日
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「遠くなった、『秋の七草』」。

2012-10-03 08:26:22 | 日本語の授業
 曇り。硫黄島辺りから、台風19号がスルスルとやって来て、関東平野を霞めそうです。ただ17号とは違い、だんだんに勢力を弱め、掠める頃には温帯低気圧になりそうだとか。

 今年はお彼岸を過ぎても台風が来ない、あるいは少ないと言っていましたのに、来るとなったら立て続けです。これは、もしかしたら秋の長雨と言ってもいいのかもしれません。もっとも、台風なんて呼んでしまいますと、急に情緒が吹っ飛んでしまいそうですが。

 以前は「秋の七草」の代表選手である「ススキ(薄)」にせよ、「ハギ(萩)」にせよ、どこにでも生えている「草」という感じでしたのに、最近は、「お月見」の頃に、花屋へでも行かなければ見つけられなくなってしまいました。勿論、街中を離れて、山里へでも行けば別のことなのでしょうけれども。

 とはいえ、山中のものは勢いが違います。生命力と言いましょうか、ワサッと、生えているのです。茎も太いし、ちょっとやそっとの力では抜けやしません。これも、「観賞用」に「植えられている」ものと、「自分の力で生きている」ものとの違いでしょうか。多分、人でもそうなのでしょう。

 やりたいことが見つかってそのために学んでいる人と、何をしているかわからず、ただ言われるままに目先のことをしているだけの人と。これも割り切って考えられればいいのですが、人というものはなかなかそうはまいりません。

 宮沢賢治なら、「人とは、生き甲斐を探すために生きているのだ」なんて言えるのでしょうけれども、平々凡々たる一般人にとっては、これは、なかなか重いことなのです。

 「生き甲斐がなければ、本当に生きていることにならない」と思っているから、「生き甲斐のない人生は、ただ生まれてしまったから、死ぬまで存在しているだけ」のものになってしまうのです。

 だいたい、人にとって「生き甲斐」なんて、よほど幸運な人でない限り、見つけられるようなものではないのです。「この仕事、楽しいな」とか、「向いているかも」くらいで終わってしまうのがせいぜいなのでしょう。

 才能が偏っていれば、それしかできないわけですから、選びようもないのですが、世の大半の秀才連の才たるや、どれもが「平均より少しばかり上」で、どの分野においても似たり寄ったり、ドングリの背比べ程度のものでしかないのです。その中から、「これ!」というものを捜し出せなんて言われても、それは無い物ねだり、無理難題をしかけられているという被害者意識しか生まれはしないでしょう。

 とにかく、根性を決めて、自分で名指しし、それに20年でも30年でも打ち込まない限り、どうにか、それらしい形はできないのです。ただ、そうやってみたところで、生まれつき才能を持っている人間には敵いません。才能というものは、本当に無慈悲なものです。50年かけて打ち込んだとて、5年選手に負けることすらあるのです。

 そんな中、律儀に、そして忠実に仕事をしている人ほど、可憐でいとおしいものはないのかもしれません。

日々是好日
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「また、秋」。「カンニング」。「アルバイトをやめた理由…」

2012-10-02 08:52:00 | 日本語の授業
 台風が運んできた生暖かい風が、熱風となって、真夏に逆戻りしていた昨日とはうって変わり、涼しい朝を迎えています。また秋です。

 やはり、10月に、30度を超す日があるというのは、異常です。もう異常という言葉は使いたくないのですが、一応、10月ですからね、何と言いましても。出雲の地以外では、既に「神無月」になっていのですからね、一応。

 そういえば、台風が関東地方を襲う直前、暗くなる少し前(台風は突然にやって来て、突然に去っていったような感じだったのですが)、蝉がミンミンと鳴きはじめたのです。その前日までは、蝉は…もう終わった…と思っていたのに。だって、その前までは、声もしなければ、地にも落ちていなかったんですから…。

 あれは、地から湧いたか、天から降ったか。それから少し経って、急に暴風が吹き始めると同時に蝉の声がピタリと止んで、台風の襲来です。そして今日。あの前と同じように秋の虫たちの声しか聞こえてきません。あの蝉たちはどうしたのでしょう。あの風に空へと吹き飛ばされ、そして雨で海へと流されてしまったのでしょうか。

 蝉は人と違って雨宿りも出来ません。風の吹く方向と逆の側の幹に、しっかりとしがみつきながら、風をやり過ごそうとするのは(突風というのは、場所によっては逆巻く渦ともなりかねませんから)あまりにも無策。

 下手に軒端に逃げ込めば鳥たちの餌食になってしまうでしょうし。他人事ながら、ついつい同情してしまいます。

 さて、昨日、日曜日の朝に着いたベトナム人学生が、同室の学生に付き添われてやって来ました。表情を見ていても、どれくらいのレベルなのかわかりません。ちょうどあのクラスでは、今日で、『みんなの日本語Ⅰ』が終わり、明日がテストという話ですから、レベルを見るのはちょうどいい。昨日は「ひらがな」と「カタカナ」のチェックだけで、あとは「七月生クラス」で勉強していたようです。

 彼等は、国で勉強していて、テストにも合格し、旧「四級」レベルにはなっているはずですのに、本当にベトナム人学生は蓋を開けてみなければわかりません。

 以前、中国人学生もそういうところがありましたが(ある日本語学校では、来日以前に、日本語のレベルをみるために、ホテルでレベルチェックのテストをしたのだそうです。その時、代わりにホテルの人に監督を頼んで、ちょっと席を外したのだそうですが、ものの見事にカンニングの嵐が吹き荒れ、彼等には試験をしても意味がないということに気がついたのだそうです。それで、その学校では、唯一、大卒しか入れないようにしたのだそうですが)、ベトナム人学生はそれに輪をかけているような気がします。カンニングを悪いことだと思っていない点では同じでしょうが。

 もっとも、それが嫌な学生もいるようで、この学校にいる一人(ベトナム人です)は、テストとなると、「いいですか」と言って、一人用の机を引き出し、一人でそこに、皆に背を向けて座り、テストを受けていましたっけ。

 今は、彼は上のクラスに行き(他の国の学生が多いので)普通に皆と机について試験を受けるようになりましたが、多分、ベトナムの国内でも、「カンニングをするのが当たり前、普通であると思い、そうしないことを裏切りと感じる層」と、「それを浅ましいと思い、腹立たしく、忌々しく、鬱陶しく感じ、(自分まで一緒にしないでくれ)と思っている層とがあるのでしょう。

 残念なことに、カンニングを普通と思っている層が、多く来日しているので、私たちには、そのことがあまり感じられないのですが。

 今度はアルバイトの話です。
 昨日、一人の学生とアルバイトの話をしました。彼は帰りがけで、一階にいた私と窓越しに立ち話をしただけだったのですが。

「今のアルバイトは、冷凍室(マイナス20度くらいと彼は言うのです)での作業であるけれども、自分以外は皆、日本人で、この会社の人の言葉はとても丁寧。前の会社(工場です)はみんな言葉がとても汚かった。所長の言葉もとても汚かった。とてもとても嫌な気持ちだった。多分、みんな働いているのが外国人だから、あんな言葉を使うのだろう。今の会社の人はきちんと自分と話してくれる。学校で習っている言葉を使うことができるからいい…」

 彼が元いた工場をやめた時には、かなり叱ったのです、私も他の教師も。だって、アルバイトがなくていろいろな所を探しまわり、それでもなくて、最後に、やっと他の学生に紹介してもらったのが、そこでしたから。けれども、ある事件が起こった時に、学校に(その工場の人が)理性のひとかけらもないような、ひどい罵りの電話をかけてきたのです。自分で責任者だと言い、名乗りまで上げていましたから。とんでもない工場です。あんなレベルの人間が責任者なんですから。その時、同時に、「ここは、留学生でも、国でそれなりの地位にあった者には耐えられまい」と思ったものです。

 彼はかなりプライドが高かったし、日本語のニュアンスもある程度つかめていたので、それが感じられたのでしょう。

 簡単には叱れないなと、ちょっと、我が身を反省してしまいました。学生が大切なアルバイトをやめるには、わがままでやめる場合も勿論あるのでしょうが、それはそれなりにいたたまれなくなっててやめるのだということを、それをちょっと、ほろ苦い思いとともに思い知らされたのです。

 でも、生活は大切です。何と言いましても、生活費くらいは稼がなくては。「金に守られていない人間の尊厳など脆いものだ」みたいなことを言ったのは、江藤淳でしたっけ。本当にそうですからね。たくさんは要らないけれども、一人で生きていけるだけは、やはり必要です。プライドを守るためにも。

日々是好日
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「台風一過」。

2012-10-01 08:54:46 | 日本語の授業
 昨夜の暴風が嘘のように静まりかえっています。台風は非常に足早に去ってくれました。それに、早朝、ふと気がつくと、いつもは何も見えなかったあちこちに、小さな星が微かに瞬いているではありませんか。いつもこの時間には、強い星が、二つ三つしか見えていませんでしたのに。

 少し経つと、空が東からだんだん明るくなってきました。東の地平線のあたりから、じわりと黄味を帯びていき、それがそのまま明るさに繋がっていくような、そんな感じで…。今日はいい天気になりそうです。

 昨日、早朝にベトナムから学生が一人やって来ました。迎えに行ったのは、2人のベトナム人学生。7時半には成田についているためには、朝6時15分の電車に乗らなければなりません。それで5時半には起きてもらわなければなりません。ということで、電話をします。

 電話をすると、二人は、ちゃんと起きてくれました。そしてうまく二人で行けて、会うことができたようです。「今、会った。今から行徳に戻る」と電話がありましたから。

 こうやって、自分達(同じ国の先輩が迎えに行ける)で迎えに行けるようになると、私たちとしても助かるのですが。何せ、いつも「あっ、今度は何時だっけ」とか、「急に来ることになった」とか言い、時間の調整をしている人を、すぐ傍に見ていると、大変だなあという気になってくるのです。

 もちろん、同じ国の人が在籍していないとか、いてもまだ日本語が迎えに行けるほどではないとかいう場合は、学生だけをやるわけにはいきませんが。

 昨今のように中国人学生が少なくなってきますと、非漢字圏の学生達の教え方をもう一度考えていかなければならなくなってきました。「学校に来ない。もしくは来ても眠ったいる。あるいは、勉強する習慣が(母国で)ついていない」ような学生は別ですが、だいたい、「学校に来るし、来たら(わかるような進度、内容であれば)それなりにいわれたとおりに勉強する」ような学生が大半なのです。

 勿論、中には、漢字の問題こそあれ、後は中国人と同じくらいの進度で勉強していっても少しも遜色ないという「非漢字圏」の学生もいます。それで、このような学生は多少、無理が出来るようでしたら、適当なところで上のクラスに行かせています。この「無理が出来る」というのには、アルバイトの時間や状態が関係しているのです。本人が「嫌だ」と言えば、無理をして行かせても結局は潰れてしまうことになりますから。

 この「無理」の一つは、アルバイトの時間であり、もう一つは寮でどれくらい一人で勉強できる時間を取れるかということなのです。こういう学生は時間があれば、言われなくとも、きちんと予習、復習をします(なぜこんな七面倒くさいことを言うかと申しますと、時間があっても、御飯を造るとか、友達とおしゃべりしたり、ゲームしたりすることとかに、時間をとられてしまって、勉強することが出来ない学生も少なくないのです)。

 と、いろいろ考えているうちに、以前、スリランカやバングラデシュの学生が入り始めた頃のことを思い出しました。彼等は真面目で勉強もよくしていましたし、彼等の他にもタイとベトナムから来た学生がいましたが、あのクラスはみんな大学に入りました。

 そうだ、あの頃はこんな風にしていたんだっけ。いやいや、ああもしていたっけ。考えれば、いろいろと思い出してきます。ただ、ベトナム人の学生は、バングラデシュやスリランカの学生に比べて、ヒアリングが悪いのです。おそらくは母語の関係でしょうが、きちんと音が取れるという人が少ないのも事実なのです。それを加味して、少しずつ考えながら、良さそうだと思われる方法を幾つかやってみましょう。

日々是好日
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