今朝は曇り。天気予報によると、夏日になるようですが、凌ぎやすい(ムッとするような湿気を感じません)、いいお天気です。梅雨入りが迫っていることなど忘れてしまいそうです。
実は、今年になってから、「真向かいの、と言いましても、道を挟んでの」なのですが、そこで、解体工事が進んでいるのです。ガタガタと、あれよあれよと見る間に、四階建てのマンションが突き壊され、更地になりました…と見えたのですが、本当は、まだ更地になっていなかったのです。地下にまだ巨大な杭(杭と言いましても、木ではありません。鉄です)が、残っているのだそうです。
そのまま建てても、地盤が弱いので、ここは建築には適さないらしいのです。それで、まず、固い地盤があるところまで掘り進め、捜し出したら、その深さまで、巨大な杭を何本も打ち込み、基盤をしっかりしたものにしてから、しかる後に、マンションは建てられていたのだそうです。その固い地盤までどれほどの深さなのかと聞くと、40㍍とのこと。これは、これは、大変です。巨大な重機が、回転しながら、腕を大地につっこみ、その杭を引き抜くと言うのですから。それに、引き抜いても、そのままにしておけませんから、クワガタの鍬のような重機で、それを少しずつ切り取って、小さいものにしてから、かたづけるというのです。、
実際に、職員室から、工事現場がよく見えます。その巨大な杭が引き抜かれるさまや、切られていく様子などを見ているうちに、その職人さん達の「技術力」と「チームワークのよさ」に、感動してしまいました。
日本のマンションは、大陸のもののように、だだっ広いところに余裕を持って建てられてはいません。狭い狭い土地に、ギュウギュウになりながら建てられているのです。巨大な重機が四つも五つも入ってしまえば、本来ならば身動きが取れないはずです。それが、互いに接触して事故を起こすでなく、ギリギリですれ違いながら(時には、見ている方が冷や冷やしてしまうことがあります)、互いの仕事を完結させているのですから…全くすごい。私など、高いところにいる人を見ただけで、ビビッてしまうのですが、平気の平左でどんどん仕事を進めています。何でも、「とび職」の方だとか、さもありなん。さすが「とび」の方は違います。
もちろん、感嘆しているだけではありません。ここは学校ですから、ヒアリングの試験の時には、「今日は…ちょっと」とお願いすることもあります。それに、あまりに音が邪魔になる時には、電話をし、音を下げてもらえるようにしています(キリリッと強く言える人が、この学校にはいるのです。軟弱な私はとてもまねはできません)。
学生たちは、こういう仕事をする人のことを、どう考えているのだろうかと思い、様子を見てみたのですが、途上国の人たちは、こういう仕事をする人を身近な存在としては考えていないようなのです。大卒は、汚れないデスクワークをするものと決めてかかっているのかもしれません。そんなことを考えているうちに、日本の方が特別なのかしらんという気になってきました。昔(封建の世)から「手に職をもっている人は偉い」と思われていましたし。
とは言いましても、これは「そんじょそこらのレベル」の人ではありません。まずは、専門における高い技術が必要です。それから「親方」とか「棟梁」とか言われるようになるには、その技術があった上で、人を指導し、束ねることができなければなりません。もちろん、自分で、自分は専門の技術だけで生きていきたいと思ったら、それはそれでいいのです。そういう世界の人もいますから。
とはいえ、それが許されていたから、日本は、このような発展を短時間で遂げられたのでしょうし、社会も、他の国に比べれば、礼儀正しく秩序をもって(程度は少々ですが)いるのでしょう。だいたい、それが許されないような国であったら、こういう習慣はありえないでしょうしね。
実際問題として、人が、たとえ小さくとも、一つの組織を作っていれば、そこで働く者の間に、技術や能力に、差(これは「違い」ではありません。レベルという意味の「差」です)が出てくるのは当たり前のことです。けれども、人というのは大したもので、互いに適当に譲り合いながら、その組織の中で、自分なりの部署(能力や技術、或いは性格を生かせる場所)を見つけていきます。それぞれが、自分の能力や技術、そして個性と呼ばれるような性格を、生かせる場所につければ、気持ちよく仕事もできますし、誇りも失わずに済みます。
ただ、これは一朝一夕にできるかというと、そういうものでもなく、時間はかかります。よほどのことがない限り、一度ついた職業を辞めない方がいいと言うのは、この意味からしても真実であると思います。
学生たちもそうです。アルバイトと軽んじること勿れ。最初は日本語ができませんから、しようがないでしょうが、ある程度、話したり、聞き取れるようになってから就いた仕事は、変わらない方がいいのです。それに一日でも先に始めた方が、先輩なのですから、日本では。
日々是好日
実は、今年になってから、「真向かいの、と言いましても、道を挟んでの」なのですが、そこで、解体工事が進んでいるのです。ガタガタと、あれよあれよと見る間に、四階建てのマンションが突き壊され、更地になりました…と見えたのですが、本当は、まだ更地になっていなかったのです。地下にまだ巨大な杭(杭と言いましても、木ではありません。鉄です)が、残っているのだそうです。
そのまま建てても、地盤が弱いので、ここは建築には適さないらしいのです。それで、まず、固い地盤があるところまで掘り進め、捜し出したら、その深さまで、巨大な杭を何本も打ち込み、基盤をしっかりしたものにしてから、しかる後に、マンションは建てられていたのだそうです。その固い地盤までどれほどの深さなのかと聞くと、40㍍とのこと。これは、これは、大変です。巨大な重機が、回転しながら、腕を大地につっこみ、その杭を引き抜くと言うのですから。それに、引き抜いても、そのままにしておけませんから、クワガタの鍬のような重機で、それを少しずつ切り取って、小さいものにしてから、かたづけるというのです。、
実際に、職員室から、工事現場がよく見えます。その巨大な杭が引き抜かれるさまや、切られていく様子などを見ているうちに、その職人さん達の「技術力」と「チームワークのよさ」に、感動してしまいました。
日本のマンションは、大陸のもののように、だだっ広いところに余裕を持って建てられてはいません。狭い狭い土地に、ギュウギュウになりながら建てられているのです。巨大な重機が四つも五つも入ってしまえば、本来ならば身動きが取れないはずです。それが、互いに接触して事故を起こすでなく、ギリギリですれ違いながら(時には、見ている方が冷や冷やしてしまうことがあります)、互いの仕事を完結させているのですから…全くすごい。私など、高いところにいる人を見ただけで、ビビッてしまうのですが、平気の平左でどんどん仕事を進めています。何でも、「とび職」の方だとか、さもありなん。さすが「とび」の方は違います。
もちろん、感嘆しているだけではありません。ここは学校ですから、ヒアリングの試験の時には、「今日は…ちょっと」とお願いすることもあります。それに、あまりに音が邪魔になる時には、電話をし、音を下げてもらえるようにしています(キリリッと強く言える人が、この学校にはいるのです。軟弱な私はとてもまねはできません)。
学生たちは、こういう仕事をする人のことを、どう考えているのだろうかと思い、様子を見てみたのですが、途上国の人たちは、こういう仕事をする人を身近な存在としては考えていないようなのです。大卒は、汚れないデスクワークをするものと決めてかかっているのかもしれません。そんなことを考えているうちに、日本の方が特別なのかしらんという気になってきました。昔(封建の世)から「手に職をもっている人は偉い」と思われていましたし。
とは言いましても、これは「そんじょそこらのレベル」の人ではありません。まずは、専門における高い技術が必要です。それから「親方」とか「棟梁」とか言われるようになるには、その技術があった上で、人を指導し、束ねることができなければなりません。もちろん、自分で、自分は専門の技術だけで生きていきたいと思ったら、それはそれでいいのです。そういう世界の人もいますから。
とはいえ、それが許されていたから、日本は、このような発展を短時間で遂げられたのでしょうし、社会も、他の国に比べれば、礼儀正しく秩序をもって(程度は少々ですが)いるのでしょう。だいたい、それが許されないような国であったら、こういう習慣はありえないでしょうしね。
実際問題として、人が、たとえ小さくとも、一つの組織を作っていれば、そこで働く者の間に、技術や能力に、差(これは「違い」ではありません。レベルという意味の「差」です)が出てくるのは当たり前のことです。けれども、人というのは大したもので、互いに適当に譲り合いながら、その組織の中で、自分なりの部署(能力や技術、或いは性格を生かせる場所)を見つけていきます。それぞれが、自分の能力や技術、そして個性と呼ばれるような性格を、生かせる場所につければ、気持ちよく仕事もできますし、誇りも失わずに済みます。
ただ、これは一朝一夕にできるかというと、そういうものでもなく、時間はかかります。よほどのことがない限り、一度ついた職業を辞めない方がいいと言うのは、この意味からしても真実であると思います。
学生たちもそうです。アルバイトと軽んじること勿れ。最初は日本語ができませんから、しようがないでしょうが、ある程度、話したり、聞き取れるようになってから就いた仕事は、変わらない方がいいのです。それに一日でも先に始めた方が、先輩なのですから、日本では。
日々是好日