曇り、後雨。
「『朝焼け』だァ」と見ていたのに、いつの間にか暗くなり、ポツポツと降り始め、今は本降りになっています。予報で、こんなこと言っていましたっけ?学生達が来るまでに、やんでくれるといいのですが。
さて、学校です。
ベトナムの学生が多いクラスでは、…やはりなあ(私の話を聞いても、聞き取れなくなっている…表情から窺えます)。ベトナムの学生が、あまりいないクラス(二年生になるのですが)では、そのままに授業を進められ、特別に対策を講じなくとも良さそうです。
二年生はまあ、いいとして、一年目の四月生は、悲惨ですね。そうでなくとも、ヒアリングが悪かったので、休み中は、七月生のクラスに来て、一緒に(バイトが休みだという週の2日は)補講に参加して勉強するように言っておいたのですが、来ませんでしたもの。これでは、先が思いやられます。今、手を抜いていると、後々それが祟ってくるのは目に見えていることなのに、わからないのでしょうねえ。多分、こうやってベトナムの高校でも過ごしていたのでしょう。
二年生クラスでは、休み中、5回ほど漢字のテストを実施したのですが、それに参加していた学生は、漢字力もそれほど落とさずに済んでいます。ヒアリングは元々いいので、「長期休みがあったが故に」という特別な手当もせずに済みそうです。
もちろん、皆が皆、そうというわけではありませんが。一つのクラスとして引っ張っていく上での、授業のやり方が関係してきますから、休み明けの彼等の状況はよく見ておかねばなりません。
それほど「力」が落ちていなければ、休み前と同じようにやっていけます。(休み前)クラスのレベルから見て、当人の「力」が崖っぷちにあったにもかかわらず、タラタラして(休みを)過ごしていれば、当然のことながら、休み明けの授業にはついていけません。さて、どうするでしょうねえ。「わからない。難しい」と言うだけでしょう。だからといって、努力するという頭はないようです。ただ、それが(クラスの)大半の学生であったなら、教師の方で、授業の組み方を変えていかなければならなくなるでしょう。
ただ、どのクラスにも、目的意識をはっきりと持って努力している学生がいますから、タラタラしている人たちのために、彼等を犠牲にはできません。つまりは、目的意識を持っている人たちを主にして、そうではない人たちにはご遠慮願うという形をとっていかざるをえないのです。つまり、「ゆっくりクラス」で、ゆっくりやってもらおうとなるのです。
不思議なのですが、こういう人に限って、自分のレベルがそれほど高くはないということがわからないのです。「えっ、私、このクラスにいられないの?」不満を感じるようですね。ついていけないのだから、ゆっくり(もう一度)やった方がいいというのは、明らかなことなのに。
母国では、(勉強が)できてもできなくても、同じクラスにいられた。(テストで)判らなかったら、隣の人のを見ればいいし、ほかの人のを見てとった点数であっても、それは私の点。」それで、どうこう思った事なんて無かった…。そうなのでしょう。
この学校では、「日本語能力試験」の前、対策期間を除いても、「N5」「N4」など、一定の勉強が終わった後に、レベルチェックの試験をしています。カンニングが習いになっている国の人もいることですから、それができないように、その時だけの席替えもしています。だから、このときの点数は信頼できると思うのですが、それを見ても、「ちょっと失敗した」くらいにしか感じていないのでしょう。「こんな点、私のじゃない」くらいに思っているのかな。
ただ、そういう国の人が、今は来ていませんから、点は点として受け止めてもらえるようです。カンニングだけは、監視が大変になるのですが。
日々是好日