日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

まるで春のような陽気です…けれども、ベトナム人学生を教えるのは…本当に大変…。

2015-03-17 10:44:01 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日、明日の朝は、湿度が高く、霧が出やすいであろうという予報が出ていました。が、今朝はすっきりと晴れています。 暖かい。今朝は暖房とつけていません。

 こんな天気の日は「タンポポ(蒲公英)」とか、「スミレ(菫)」とか、そういった春の野花が懐かしい。野山に出て、「踏青」でもしたくなります。

 やはり、春は心がウキウキとしてきます。

 ところが、学生のことを考えると、そうとばかりは言えなくなってきます。

 一週間ほど風邪で寝込んでいたベトナムの学生。直ったはずなのに、それからも教室に姿を見せません。しかも前日の休みの時には、他の(私たちが知らない)ベトナム人とどうやら町を歩いていたらしい。

 昨日も来ていなかったので、教員が起こしに行きました。ところが、「来る」と言った…のに、10分ほど経ってもやってきません。それで、今度は私が連れに行きました。…風呂に入っている…。ドンドンと叩くと、ドアを開けてくれた学生がいます。隣の部屋の学生です。彼の部屋では、二人がアルバイトに、一人が学校に行っているので、寂しいから、どうも遊びに来ていたらしい。

 風呂に入っていた学生、中から「先生、帰って。後から行くから」と何度も叫びます。私、「早く出なさい。一緒に行く(まで帰らない)」と言ったからでしょうか、なかなか風呂から出てきません。

 (風呂から)出そうになったので、外に出ます。そして、隣の部屋の学生と話しながら、待っています。すると、彼がドアを開けて、「先生、帰って。明日行く。今日は行かない」と言います。

 「休んでいたら、ビザがとれないでしょ。一緒に行くから」と言って、まだ待っています。ところが、出てきません。服を着替えているかと思っていたのに、どうもそうではないらしい。それで、また隣の部屋の学生を呼んで、中に入って呼んでもらいます。出てきて、(隣の学生)「…寝ていました」。

 それで、エイヤと気合いをかけて入っていくと(入り口の土間が高いのです。それで足の悪い私はどうも、上がれない)、本当に間仕切りのガラス戸を閉めて、寝ています。「もう、病気ではないのだから、学校に行きなさい。勉強するために日本へ来たんでしょ。このままだったら、判らなくなってしまう」。

 何度、一緒に行くように言っても、「行きません。今日は行きません。明日、明日」と言って、布団にかじりついています。がっしりした体格の学生なので、力勝負では負けてしまいます。こちらも、布団を引っぺがそうとしているうちに、だんだん息が上がってきました。

 「とにかく来なさい。このままでは大変だから」と言って、学校に戻ってきたのですが、今朝、その学生、昨日のうちに成田からハノイへ戻ったという連絡が入ってきました。

 高校生から、そのまま日本へ留学した学生です。やはり根性がないと言えばそうなのでしょうが、もう一つは、ベトナムの社会(働いたことがない)を知らないからなのでしょう。

 ひところに比べれば、ベトナムから来た学生達も、経済的には少し楽になっています。何が何でも金を稼ぐんだみたいな感じは、それほどしない人が増えてきました。とはいえ、ベトナムに帰って仕事があるかというと、それはちょっと、難しい(高卒ですから)。

 以前、津波の時に、大挙して帰った中国の学生の大部分が戻ってきたのですが、そのうちの一人が、「(中国に)帰ったけれども、何にもすることがなくて、辛かった。一週間も居たら、飽きて、暇で、どうしょうもなかった。アルバイトもないし、高校を出ただけなので、働けるわけでもないし。ほんとにつまらなかった。日本は大変だったけれども、アルバイトはあったし、給料(生活できるだけの)ももらえたし、勉強もできた。やれることがたくさんあったから、充実していた(だから、また、戻ってきた)」と言っていました。

 多分、ベトナムの状況も似たり寄ったりでしょう。韓国ほどではないにしても、財閥とか金持ちえの親でももっていない限り、そのままぶらぶらとしているしかないのでしょう。高校を出ただけでは。

 ベトナムの学生の中には、こういう人が半分ほどはいます。「私は頑張っています。他の人が頑張れるのだから、私も頑張れます」と、いかにも私はすごいみたいな顔で言うのです。けれども、彼の「頑張る」には、私たちがしてほしい「頑張る」は入っていないらしい。

 最初は「どっか変…」くらいの受け止め方だったのですが、彼が頑張っているのは、「アルバイト」でであり、ビザを取る(そして次の専門学校へ行く)ための「出席率」であるだけで、「日本語の勉強」の方ではなかったのです。

 もちろん、このような学生にしても、眠くないときは勉強に積極的に参加しようとします。けれども、学校で、眠っていた時間が、半年かそれ以上も経っていますと、もう勉強も、判るどころの話ではなくなっているのです。

 「初級Ⅰ」レベルなら、国で少しやってきていたから、何とかなる。「初級Ⅱ」も、アルバイトで日本人と話すこともあるし、「出席率命」ですから、毎日学校へ来ているので、うつらうつらしながらでも、聞いているので、途切れ途切れでも耳に入っているしょう、だから、チョボチョボわかる。

 けれども、「N3準備」レベルに入って、「文法」やら「読解」やらになると、もう歯が立たない。まじめにやっていても、ベトナムの学生は「読解力」が他の国の学生に比べて格段に劣っているので、大変なのです(ここまで手をかけねばならないという国の人も珍しい)。

 これまでは、一クラスにほんの少し(ベトナム学生)でしたから、それほど注意していなかったのですが、ところが、去年の4月生は、皆、毎日来るので、それで、彼らがわかっていないということがよくわかったのです。ああ、彼らにとって、日本語とは、これほど難儀であったのかと、今更ながら、驚かされたという次第。本当に面目ないことですが。

 文が長くなると、もう万歳なのです。それで、長い文を細切れにさせて、それから、たとえば「『A』という意見が出ると、『B』という答えがかえってきた」みたいにまとめて、やってみたのですが、それでもわからない。「みんなが子供のときはどうだった。こうだったでしょう」と、それぞれの経験に添わせてやってみても、そのことはわかるけれども、また戻る(と長い文になる)と、途端に、「はてな????」となってしまう。

 昨日は、私の引き出しがなくなってしまいました。二人ほどは、だいたい判ったようでしたから、それで「可し」として終わらせてしまったのですが、もう一度、確認は必要でしょう。もっとも、彼らの、これまで(ベトナムでの)の読書量も、圧倒的に少ないのではないかと思われます。結局、量,をこなさせるより方法がないのかもしれません。

日々是好日
コメント
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