日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「大雨」。「日本のやり方。彼らの国でのやり方」。

2013-07-29 10:18:20 | 日本語の授業
 急に、雨が降り出しました。ザァーというより、ゴーッと言った方がいいような降り方です。そして、今、小降りになっています。けれども、…小降りになったかと思うと、また蘇ったように音を高めています。

 これは、まるで、梅雨末期の集中豪雨。今朝、空気が…どこやら、息苦しいなと思いながらも、自転車で学校に来、窓を開け回して、ヨイコラショッと席に着いた途端に、ドバァーッと来ましたからね。また慌てて窓を閉めに上に上がり、下に下りして、今、ホッと一息ついたところです。

 今日は、一応、(朝のうちは)曇りの予定でしたが、雨の降り方を見ていると、このまま行くんじゃないかなといった感じになっています。しかしながら、このまま降り続けてしまうとお空の雨庫がカラになってしまうのではないでしょうか、日本に降っているだけで。

 実は、土曜日、ちょうど隅田川の花火大会が途中で中止になった、あの日です。治療院の朝の予約が取れず、結局は5時半になってしまったのですが、その帰りのことです。

 噂に聞いていた「雷とはこのことか」という体験をしました。私が駅に着いてから、治療が終わって駅を出るまでの2時間、雷様は鳴りっぱなし。しかも、治療院にいた時の雷様は、こんなのは雷様じゃないと言われましたもの。

 帰りのこと。駅に着いた途端、バケツの底が抜けたような大雨に見舞われました。しかも風に舞うので、どこにいても水しぶきを浴びてしまいます。駅のアナウンスも雨の音にかき消されてブンブンと機械音が鳴っているよう。どうも大雨のために電車が止まっていると言っているらしいとわかったのは、かなり時間が経ってから、前の駅を出たというアナウンスがあっても、徐行しているという知らせです。
 
 真っ黒い雲の下では、もうドンドン、ピカピカと雷様がまるで真上で暴れ回っているかのよう。ここの人達は、いつも、こんな目に遭っているのかしらんと、同情しながら辺りを見回すと、お上りさんのように「あっちを見、こっちを見」しているのは私だけで、皆、落ち着きはらっています。

 私など、駅のプラットホームで雨のしぶきが当たらないところを求めてウロウロしていたのですが、皆は先に適当なところを捜し、そこに腰を下ろして、平然としています。

 やっと来た電車に乗れても、次の駅で急行を待たねばならない。降りて、急行を待っていたのですが、ここも地下ではないので、雨が吹き付けてきます。待つ時間は、どうしても長く感じられてしまいます。前のはきっと定時に出てしまい、次の急行を待たねばならなかったからかもしれませんが。シズシズと来た急行に乗っても、大雨のため、急行とは名ばかりの「亀さん歩み」で、ノロノロとした徐行運転。

 乗れたのは良かったのですが、運悪く、花火大会が中止になってからの若者達がドッと乗り込んできて、電車の中は「すし詰め」状態。彼らはまだ祭りの余韻が残っていますし、しかも途中で打ち切られたわけですから、どこか中途半端で、昂揚した気分を発散したくてたまらない。いつもは静かな電車の中が、これまた、うるさいこと、うるさいこと。家に着いたのはもう9時を廻っていました。

 まあ、これは土曜日のこと。
 今朝の雨は、学生が来る頃には止み、また湿度がグッと高くなってきました。きっと今日は降ったり止んだりを繰り返すことでしょう。

 もちろん、この学校に来る学生は、ごくごく普通の外国人です、多分。彼らの国では普通の人達であり、彼らの国の普通の人達がやるのと同じようなことをするのだと思います。それはいいのですが、彼らの国では認められても、日本では許されないことも少なくないのです。

 折に触れ、彼らの習慣で目に余ったことを注意しているのですが(抽象的に言っても結局は理解できないのです。具体的に言って、しかも何かと比較しながら注意していくしかないのです)、これはなかなか難しい。一つは日本語のレベルが低くて、日本語の段階で理解できないという理由で。

 毎日学校に来て勉強していれば、いくら下手と言ってもそこには最低線というのがあるのですが、それが、中には、一年半経っていても、何を言っているのかこちらには全くわからないという学生もいるのです。本人にはやる気がないとしか、こちらには思えない。ところが、そういう学生に限って、自分は日本語を上手になりたいと思っていると(私たちが聞いた時には)言うのです。だから、下のクラスに行きたいと。そのくせ、そこでも勉強しないのです、もう手に余る…しかも、彼らの国ではいい大学を出ているというのですから、確信犯でしょうね。

 こちらから見れば、「教科書代を払わないくせに、一週間で、45㍑のゴミ袋一杯になるほどビールを飲んでいるのは許されることか」なのですがね。

 国によっては、「学費は払わなければならないと思っているようだが、部屋代は別に何とも思っていない」とか、「ガス代、電気代、水道代などは、払う必要があるということがあまりよくわからない」とか、「光熱費が一ヶ月遅れくらいで請求が来るのがよくわからず、揉める」とか…。

 もともとは、日本語のレベルが、一年半居ようと2年居ようと、そこそこのレベルにまで至らないので、こちらが言っている意味が取れないということが関係しているのでしょうが。想像力、観察力が欠けている場合も少なくないのです。

 また、日本語がある程度身についていれば、それなりに日本で生活していけているというわけですから、日本のしきたりとかルールとかがわかるようになっているはずですが、それが全くない人がいるのです。

 それで、日本にいながら、母国のやり方でやろうとし、それが通用しないと言うことがわからない。おそらくそういう学生は、ここに、後二年いようが、多分、自分の国の理屈でもってやっていこうとするのでしょう。

 「日本では、そうなのですか」とか、「日本と、私の国では違います」とか言えるのは、こういう外国人の中でも、素質共に、ある程度のレベルがある人だと言うことになるのでしょう。もちろん、これは日本人が外国に行った時でも同じです。その国に馴染めるというのは、ある程度の想像力と観察力が必要になってきます。「あれっ、自分の国とは違うな」ということを、目にしたり、耳にしたりする機会も多くなるはずでしょうから。

 それなのに、それに気づかないで、自分の国でのやり方を通そうとすれば、それはいろいろな所で無理が生じます。そしてその時に日本を恨んだりするのですが、それは自分が悪いのです。

 日本語がある程度でき、日本に対する観察力も、想像力もあるという学生を通して(通訳)、説明は既にしてあるのです。けれども、そういう学生は、えてして、自分の国では大丈夫だから日本でも大したことにならないだろうと高を括ってしまうのでしょう。

 特に、何でこうなるのと思いたくなるのは、教科書代を払うように言った時、後から払ってやるから、それでいいだろう的な言い方をする学生。ベトナムというのは、勉強しに来ていて、自分が使う教科書を自分の金で払うというのはないのか。なんで私が「頼む」ような形にされなければならないのか。もちろん、違うだろうと怒りましたけれども。多分彼の頭の中には、「私がお願いしていて、彼が鷹揚に払ってやる」という図が描かれているのでしょうね。どうしょうもないことなのかもしれませんが。

日々是好日
コメント
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