日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「目的がなく来日し、目的がなく…まあ、大学にでも行ってみるか…。どうするのだろう、それで」。

2013-07-22 09:10:30 | 日本語の授業
 曇り。

 「文月」も、下旬に入りました。「文月」とは、「水無月」、「文月」、「葉月」へと繋がる、ちょうど真ん中の月…。まあ、だからといって、なんということもないのですけれども。

 今週は雨の日が多いそうで、季節感がどこへやら行ってしまったかのよう。「梅雨だからどうだというのだ。夏になったからどうだというのだ。梅雨だからと言って毎日が雨であるわけで無し、夏に入ったからと言って、入道雲が見られ、虹も時々出現するわけでも無し」。こんなことでむかついていてはなりません…、とはいえ、「セミ(蝉)」は力なく…泣いています。そう、最近の蝉の声は「啼く」でも、「鳴く」でもなく、まさに「泣く。むせび泣く」ように感じられることがあるのです。

 ただ、「セミ」の声は「夏」を表し、どのような声であれ、聞こえてくれば、「夏が来た」となります。私はまだ見ていませんが、近くの公園では「セミ」の抜け殻が、あちこちに落ちていたとか。
 
 「フヨウ(芙蓉)」の花も、「ムクゲ(木槿)」の花も咲いています。「ユウガオ(夕顔)」も「ツキミソウ(月見草)」も、「ツユクサ(露草)」も、花を咲かせています。

 「ユウガオ」は源氏物語の印象が強く、どうしてもそういう目で見てしまうのですが、「ヒョウタン(瓢箪)」と近縁種で、「カンピョウ(干瓢)」になると聞けば、「ユウガオ」には罪なきことながら、ちょっとはすかいに見てしまう自分に気がつきます。

 それに比して、「ツキミソウ」は「マツヨイグサ(待宵草)」、「ヨイマチグサ(宵待草)」とも呼ばれ、歌にも詠まれているほど、また「ツユクサ」も「月草」「青花」「蛍草」とも言われ、共に懐かしい花であります。

 クドクドと可憐な花のことばかり書いてきたのですが……実は、どうも、最近は、見知った花が少ないのです。特に、この、夏という季節には。街で見かけるものは、夏の暑さにも負けぬとばかりに、意気軒昂と咲き誇っている、華やかなものばかり。…まあ、それも、それはそれで、良いのですけれども。

 さて、学校です。

 最近の一番乗りは、七月に来たベトナムの女性。個表をとって、教室に上がっていく時に、必ず「勉強してきます」と言うのです。こう言うようにと言われてきたのでしょうか、当たり前と言えば当たり前のことながら、改めて、「勉強してきます」などと言われると、思わず「ハハッ」となってしまうのです、こちら側も。

 そして、次に来るのは、前後して、スリランカの二人か、中国から来た女子学生。学校の裏手にある寮からの学生は、いつも決まってギリギリ組。近いと、走れば間に合うさとなってしまうのでしょうか。そういえば、彼らはギリギリまで寝ていても間に合う…確かに。

 先週の金曜日に、「留学試験」の申し込みを、皆で書いたのですが、写真を規格通りに切るために職員室へ行った学生が、「もしかしたら、大学に合格できるかもしれないから」と言っていたという話を聞き、ガックリ。

「留学試験」を受けていないと、「大学」の「受験」が出来ない場合もあると、「六月」の申し込みの時にも諄く言っておいたのに、全く記憶の片隅にも置かれていなかったのです。これは「大学受験」の条件であって、それで何もかもが決まるというわけではないと、あれほど言っておいたのに…。

 そういえば、最近の中国人学生は、「大学受験」と言わなくなっているようです。以前は、まず、どのようなことがあっても、高卒であったなら、「大学受験」と言ったものでしたが。彼女も、ご多分に漏れず、専門学校へでも行くかと思っていたのでしょう。それが、クラスの仲間が、「大学、大学」と言い始めた…それで寂しく(?)なって、大学にでも行くことにするかと思い出した…のかもしれません。

 目的がなく、大学へ行っても、後が困ると思うのですけれども…。まあ、そもそも、日本へ来る時にも、日本へでも行ってみるかと思って来たのでしょう。昔に比べゆとりがある学生が増えた…ことが、その一因になっているのかもしれませんが。

日々是好日
コメント
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