日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「弁論大会」。「勉強に、アルバイトにと、忙しい留学生」。「作文を書く前に」。

2010-07-13 08:41:25 | 日本語の授業
 今朝は静かです。辺りは嘘のように静まりかえっています。天気予報によると、今日はこの地でも、大雨になるそうなのですが…。しかしながら、こうも静かですと、少々不気味になってきます。一体どんな大雨になることやら…。

 さて、「日本語能力試験」が終わってから、「弁論大会」へ舵を切っています。今まで「逃げてきた」のですが、今回だけは参加せねばならぬそうで、学生の大変な日常を知っている者からすれば、なかなか頼みにくい…のですが。結局、人のいいというか、断ることが苦手な学生に「白羽の矢」が「当てられる」ことになってしまいました。勉強やアルバイトの時間を調整し、それらをかいくぐっての参加です。しかも、日数は、参加者を決め、録音に至るまで、わずか十日あまり。はっきり言って大変です。もう学校でも、11月の「留学生試験」に向けて、「総合問題対策」が始めねばならない頃ですし。

 選ぶのも大変、書かせるのも大変、指導するのも大変なのです。しかも、参加する学生には、書くよりも何よりもまず先に、「話させ」なければならないのです。

 一般的に言って、就学生(今年の7月から「留学生」という呼称に変わりましたが)の境遇というのは、心穏やかに、弁論大会向けの作文の準備が出来るというものではありません。

 幾たびも、このブログで書いて来たことですが、一番長くこの学校にいられる学生でもこの弁論大会に出場できるほどには、なかなかなれないというのが実情なのです(4月に入ってから「あいうえお」の学習を始める学生です)。

 4月に来日し、半年ほどで「みんなの日本語(Ⅰ・Ⅱ)」を終え、4ヶ月ほどで「中級から学ぶ日本語」と「現代日本語コースⅠ・Ⅱ」を終えても(その間に「日本語能力試験」N2,N3,N4の指導も入ります)、まだまだ自分の主張を書けると言うほどには至れないのです。日本語の四分野から見ても、漢字圏であれば「N1」、非漢字圏であれば、「N2]ほどの実力がなければ、無理なのです。

 それだけではありません。「作文技術」が、中国を始め、おおよその中進国・発展途上国においては、それほど重視されていないのです。まず、「自分の心のまま、思ったとおりに書く」という「小学校の段階」すら到達出来ていないのです。

 特に、漢字文化を共有している中国人学生は、この「病」が重い。いつも、大学や大学院を受験する時に、作文指導をしているのですが、まず、「あのね、先生」からやらねばならないのです。「自分の本当の気持ちを書いてごらん。或いは、見たこと聞いたことを書いてごらん」と言われても、固まってしまうだけで、筆を動かすことができないのです。

 彼らが書けるのは、「私は、このようなすばらしいことをした。つまり、私というのはなにほどかの者である」という、彼らの実態から遠く離れた、「虚像」なら書けます。見事なほどに、あからさまな嘘です。ここまで徹底していますと、化けの皮を剥ぐとかそういう表現は使えません。却って、当方が不安になってしまうのです。「嘘の自分しか書けないのか」と。

 中には、そういう、面の皮が1㍍もありそうな「自己アピール」が書けない学生、いいわゆる「誠実、小心な」学生は、つまり固まって、書けないのです(少なくとも、こういう学生は、自分はそんな立派な人間ではないと思っていますし、また、自分で自分をごまかしてそう思い込むこともできないのです)。

 自己陶酔、あるいは嘘をつくことに慣れきっている学生は、いろいろな事を書いてきますが、多くは、一読すれば「嘘だろう」としか言えないような代物です。「本当のあなたはどこにいる」と聞けば、「今まで、これで通ってきた。だれもこれを問題にしなかった。」からでしょう、これもまた固まってしまいます。

 「『嘘を書く』というのは技術が必要だ。本当のことすら書けない人間に、嘘なんて書けるはずがない」という文章を書く上での鉄則が彼らには判らないのです。かなりの指導を加えても。

 だから、まず、「先生、あのね」なのです。

 去年、作文指導をした学生にも、(指導を加えるまでは)言いたいことが山ほど、心の中に潜んでいた…ことが判りませんでした。でも、書けない、書けないのです。「先生、書けない。何を書いたらいいの」と不安そうな顔で見つめます。「不安なんだ」ということが判ってからは、まず話すことにしました。書かずにずっと話すのです。

 そして、彼女が言う、一つ一つを肯定し、その中から、「その時の自分を書いてみよう」をやってみました。そのテーマで、「どんなことがあったか」を、まず書き、次に「自分の感じたことや考え」を書き、どうしてそれを素直に言えなかったのかを考えてみることにしたのです。

 もう、これは「『日本語』教育」からは、はみ出しています。けれども「日本語『教育』」の分野ではあると思います。いわば、一種の「心理学的療法」なのです。「砂」を使ったように、(日本語学校ですから)「言葉」を使います。「言葉による自己解放」教育なのです。

 自分が解放されていないと、「表現」は出来ません。自分で「これも駄目、あれも駄目」と、否定ばかりしていますと、「自分を表現する」ことが辛くなります。「表現して然るべき自分」が見えないのです。表す価値のない自分の姿しか目に入らなくなくなるのです。

 おそらく(彼らの)母国の教育でそれをやられ、感受性が強い学生ほど、その影響をもろに受けて来ていますから、自分で自分を否定してしまい、書けなくなっているようなのです。器用に自己韜晦をやってのける学生もいることはいるでしょうが、それに呑み込まれずにやり続けていくことはおそらく至難の業でしょう。

 何事であれ、「感じる」ことは自由ですし、「思う」ことも自由のはずです。それを口にしたからといって、非難されることがあるなんて、今の日本人には想像もできないことです。けれども、国中の大半の人がそう思っていれば、皆、当然のことのように「あなたがそう感じることは間違っている」と言うでしょう。

 「思うこと」「感じること」に、「間違い」や「正しい」など、あるわけがないのです(実行に移してしまったら、法的な不正や違法はあるでしょうが。人様の迷惑や人様に損害を与えるという意味において)。もちろん、その人の資質の高低、また経験や知識の多寡によって深浅はあるでしょう。けれども、そのどれもが「間違い」というほどのものではないのです。

 一度、この理屈が判りますと、次から次に書けるようになってきます。が、それだけでも駄目なのです。次の作業があります。「書くに値するもの」を、書く。「書くに値するもの」を、見つけるという作業です。つまり、判断力を養うのです。思ったり、感じたりすることは自由ですが、そのテーマは書く価値があるのか、今、考えなければならないことなのかということです。それがある程度出来るようになりますと、次は、深さと幅をもたせる作業が待っています。

 とはいえ、日本語学校で、そこまでやれるかというと、現実的にはできないのです。時間切れなのです。わずか二年にも満たない期間で、第二の作業まで一応やれるというのも、この学校では、やる気のある学生には、(必要がある場合)時間外にも教師がつくからなのです。

 いわゆる「日本語」を知っているだけという「教師」は、「日本語の知識を『言えば』、それで終わり」です。「人を育てる」という考え方も希薄でしょう。けれども、「日本語学校」は、あくまでも「学校」なのです。「教育」という視点から、学生を見られる人が、そこに存在していなければなりません。時には、「日本語」とは関係の無い所で、問題が発生します。その時に、「経営」面からだけ考えて対処してしまったり、「私は日本語を教えているだけだから」と逃げてしまったりすると、そこはもう「学校」とは言えない場所になってしまいます。

 学生というのは、「いい教師」が、手をかければかけるほど伸びていきます。反対に「自称・教師でも、相手のことを考えない、おかしな教師」が、手をかければかけるほどおかしくなっていくものです。「教師と呼べないような教師」は、反面教師として、そこに存在しておくだけにした方がいい。これは、「教育現場」云々と言うより、経営というか、組織のほうの問題でしょうが。

 話は元に戻りますが、いわゆる、こういう作業過程を母国で経験していない学生が大半なのです。

 学生達を見ていると、日本が、「平和」であり、「自由」な国であると、つくづく感じてしまいます。「平和呆け」して、その意味が判らなくなっているという、マイナスの面もないわけでもありませんが、自分で自分の心を縛らざるを得ないという、他国の若い人達を見る度に、自らをふり返れば、自分で自分の心を(彼らのように)縛らされたことはなかったと思います(もちろん、これは中国人だけではありません。一元的な価値で育てられますと、無意識のうちにそれが身についてしまうのです。これは主義であれ、宗教であれ、同じだと思います。全くそれに従うか、それに極度に逆らうか、あるいは沈黙してしまうか)。

 だからでしょうか、彼らには自分の能力が見えていないのです。どこかしら、自分はすばらしい能力をもっているはずだと潜在意識の中で信じ込んでいるように思われるのです。努力も要しない、いわゆる天賦の才があるという考え方です。おそらく、これも、今まで、何事か自分の好きなことに必死になり、必死になって頑張っても、他者に及ばないことがあるという経験がないからでしょう。

 自分の国では、親の収入とか、地域の差とか、党との関係とかで、自分は能力を発揮できなかっただけだ。日本は自由なら、自分の(そのようなすばらしい)能力が示せるとでも思っているように見える人もいるのです。

 いくら日本が自由な国であっても、だからといって、皆が皆、何でも出来るというわけではありません。日本人は子供の時から、少しずつ挫折を味わって育ちます。それがクラブ活動であったり、あるいは学科の音楽や美術であったりするのですが、生来の能力が災いする場合もあるのです(才能のある人には、相手の能力が判ります。だから、絶望することもあるのです)。

 ただ、そのことを悟らせるまでには、(この学校では)至れません。

 「上級で学ぶ日本語」を中心とする「上級教材」が終了するのは、普通、二年目の五月の末。それからやっと普通の(日本人が読むような)新聞記事や文学作品、或いは高校の教科書などへ入れるのですが、もうここまで走らせるのが必死で、他に割くことが出来る時間などないのです。

 そのほかにも、一二ヶ月に一回、「伝統行事」や、「鎌倉」や「横浜」、「明治神宮外苑」、また「博物館」や「動物園」、「富士山」や「日光」、「ディズニーランド」や「ディズニーシー」などへ、息抜き旁々、見聞を広めるために連れて行ったりしているのですから。しかも、その間に年に二回の「日本語能力試験」同じく年に二回の「留学生試験」があるのですから。

 日本語学校の力があるかどうかと言うのは、(公教育の世界から来たものからすれば)ひとえに、「教育」に関しては、およそ基本的に教育力を養成できていない日本語教師に如何に教師としての考え方や対処の仕方を身につけさせるかにかかっています。それをしていないと、知らぬ者は強いですから、すぐに「天上天下唯我独尊」になってしまいます。「教師」として大切にされることに慣れていない人は、「先生」と言われ、立てられてしまうと、すぐに「いい気」になってしまいます。私は、時々、どうしてこの人は「教壇に立つことに畏れないのだろう」と思うこともあるのですが。

 人は、皆、人に教えうるものを、生来もっていると思います。ただ「教授法」を知らないだけであり、「学生を見る目」が養われていないだけなのです。

 「教師」と呼ばれ、人様から「先生」と呼ばれることに「あぐら」をかいてしまっていれば、後は高転びに転んでしまうだけです。

 そのためにも、授業のための(教壇から離れた時)準備や人間洞察の力を養うことが大切なのです。もっとも、これは、そういう教育機関がないわけですから(不思議なことに日本語教師は、教育学部で養成されていません。つまり、彼らは教師としては育てられていないのです)、現場で先輩教師を見つつ、それを手伝いながら育ててもらうしかないのです。現場にそれほどの教師がいなければ、つまり、そのときは場所(職場)を換えるか、あるいは「往生する」しかないのです。

日々是好日
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